茨城県

真壁城 真壁久幹と真壁氏幹の鬼真壁

真壁城(まかべ-じょう)は、茨城県桜川市真壁町古城にある連郭式の平城で、国の史跡に指定されています。
筑波山に至る八溝山地の南端の山すそに築かれており、桜川に面した平地よりは、少し微高地になっているところに、真壁城が築かれていました。
四重の堀や土塁が良好な状態で残されており、本丸と二の丸は一段高く、二の丸の隅には櫓台とも思える土塁もあります。
最初の築城は、1172年で、真壁長幹(まかべ-ながもと)とされます。





真壁長幹は、常陸の常陸大掾職である多気山城主・多気直幹(大掾直幹)の4男であり、真壁郷を領して真壁氏を称しました。
1193年に、兄とされる多気義幹が謀反の疑いを掛けられて失脚すると、八田知家が常陸守護となり、常陸・小田城を築城しました。

そのためか、真壁長幹の嫡男と考えられる真壁友幹の後妻である加藤景廉の娘の子・真壁政幹がいますが、母方の所領を受け継ぎ、美濃・真壁氏を起こしています。
その美濃・真壁氏が出自と考えられる、真壁高幹(まかべ-たかもと)は鎌倉時代末期の武将であり、南北朝時代には足利尊氏に味方しました。
また、真壁家の宗家系図には、真壁智幹・真壁満幹・真壁親幹らは自害・討死などと記載されています。
それらのことから、真壁高幹は戦功により、常陸真壁郡など9カ所の地頭職を得ていますが、分家が宗家の所領を継いだと推定されています。

真壁城

史料にて真壁城が最初に登場するのは、南朝の有力武将である北畠親房が、常陸・小田城に助けを求めたあと、常陸・関城など転々とした際に「御方城々」として、真壁城の名前が見受けられます。

真壁城

南朝に味方した関東六城として、常陸・関城、常陸・真壁城、常陸・大宝城、常陸・伊佐城、常陸・中郡城、下野・西明寺城とあります。
※常陸・中郡城と言う名称の城跡は現在認められず、羽黒山城または常陸・坂戸城、常陸・橋本城か?

常陸真壁郡小栗御厨(真壁郡小栗)を支配していた小栗満重(小栗判官)が、1422年、鎌倉公方の足利持氏に対して謀反を起こし、小栗満重の乱(小栗氏の乱)となります。
このとき、宇都宮持綱・桃井宣義・真壁秀幹らは小栗家に味方しましたが敗れて、常陸・小栗城も真壁城も落城しました。

真壁城

その後、真壁慶幹の従兄弟・真壁朝幹が真壁城主となったようで、庶子の真壁氏幹との間で、真壁家は内紛状態に陥いりました。

真壁城

その後、真壁尚幹、真壁治幹、真壁宗幹と続きますが、常陸・小田城の小田政治とも争いとなってきました。
そして、真壁久幹が現れます。

真壁久幹

真壁久幹(まかべ-ひさもと)は、1522年に真壁宗幹の子として生まれました。
この頃の真壁氏は、常陸・小田城の小田家に従う小領主と言う状況ですが、その小田家も海老島の戦いなどで敗北しており、頼りになりません。

真壁城

そのためか、1548年、小田政治が死去すると、結城政勝の家臣で下館城・水谷治持の説得を受けて、真壁久幹は、下総・結城城主である結城政勝に寝返りました。
その後、真壁久幹は結城勢として活躍し、武功をあげました。

真壁城

塚原卜伝から剣術を学んだともされます。
1550年には、嫡男・真壁氏幹が誕生しています。

真壁城

1560年、常陸・府中城の大掾慶幹を攻めていますが、古河公方・足利義氏の仲介で和睦しました。

真壁城

1561年、常陸・太田城主の佐竹義昭が進出してくると、以後は佐竹家に味方し、常陸・片野城主になっていた太田資正の次男・梶原政景には、娘を嫁に出して連携を強化しました。
また、真壁久幹の次男は佐竹義昭から偏諱を受けて真壁義幹と称して柿岡城に分家しました。

真壁城

1569年、佐竹氏が小田氏治と戦った、手這坂の戦いで、真壁勢は配下の根来法師大蔵坊が鉄砲で、岡見治資を狙撃したとあり、大勝利にも貢献し、小田城の攻略にも戦功を挙げました。
そして、梶原政景と活躍するようになった嫡男・真壁氏幹に家督を譲って隠居し、闇轢軒道無と号しました。

真壁城

ともあれ、真壁氏は、佐竹氏と北条氏との間をうまく渡り歩き、最終的には佐竹氏の家臣として存続することになります。

真壁氏幹

真壁氏幹(まかべ-うじもと)は、北条氏政の偏諱を受けて真壁氏幹と称したようです。
鬼真壁・夜叉真壁との異名もある猛将であり、長さ2メートルある木杖(樫木棒・金砕棒)を振り回していたとされます。

ちなみに真壁城を訪問した際に、アプリゲームの城取りを行いましたら下記のように表示されました。

鬼真壁

ただ、その武勇は父譲りだった模様で、親子で恐れられたようで、そもそもの鬼真壁は父である真壁久幹を差しのではないかとする説もあります。

真壁城

その父・真壁久幹は1589年に死去し、その翌年には豊臣秀吉小田原攻めとなりました。
このとき、佐竹義宣は豊臣家に臣従し、真壁氏は真壁・筑波両郡に4500石と定まり、佐竹氏の家臣と言う立場になりました。

真壁氏

真壁氏幹は子がいなかったため、弟・真壁義幹の子である真壁房幹が家督を継いでいますので、真壁氏の本拠地は柿岡城になったようです。
朝鮮攻めでは、佐竹勢として肥前・名護屋城に出陣しています。

真壁城

関ヶ原の戦いのあと、佐竹氏が秋田の久保田城に転封となった際には、54万石から20万石への減少でもあったため、真壁氏も家臣の数を減らされます。
真壁房幹と弟・真壁重幹は僅かな家臣と共に秋田に赴き、角館城下に住んだようですが、真壁氏幹や多くの家来は残ったようです。

真壁城

真壁氏幹は1622年に死去しました。
下館藩主になっていた水谷勝俊の世話を受けていたのか?、墓所は、下館の常林寺です。

その後、真壁には浅野長政が50000石で入封し、真壁陣屋が置かれたようです。
真壁陣屋は、現在の真壁伝承館歴史資料館がある場所となります。

真壁陣屋

浅野長政は、豊臣秀吉にもっとも近い親戚で、五奉行(浅野長政・前田玄以増田長盛石田三成長束正家)の筆頭でした。
そのため、関ヶ原の戦いの前に、徳川家康暗殺計画の疑いを掛けらます。
このとき、浅野長政は無実を証明するため所領から離れて、自ら江戸城に近い、武蔵・府中の屋敷で謹慎しました。
その神妙な心構えと、嫡男・浅野幸長徳川秀忠軍に加わって、上田城攻めなどに参加するなど貢献したことから、許されます。
浅野家は和歌山城にて37万石となり、1605年に浅野長政が隠居すると、1606年、徳川幕府はその隠居料として常陸・真壁藩5万石を与えたと言う事になります。

真壁城

この時、真壁で浪人していた、旧真壁家の家臣らも、浅野家が迎えたようです。

1611年、浅間長政は真壁陣屋にて死去。享年65。
菩提寺には真壁郡桜井村の伝正寺です。
次男・浅野長晟(あさの-ながあきら)は、長兄・浅野幸長に子がいなかったため、和歌山藩を継ぐ予定だったことから、真壁藩は三男・浅野長重(あさの-ながしげ)が真岡藩2万石から移ってきました。(真岡2万石は幕府返上)





この浅野長重には、1500石の筆頭家老である大石良勝(おおいし-よしかつ)がいました。
大石家はもともと、関白・豊臣秀次の側近でしたが、浅野家が召し抱えていました。
大石良勝の軍功もあり、浅野長重は大坂の陣で徳川勢として活躍するなどの功績が認められて加増を受けると、53500石にて笠間藩に移ります。
笠間藩主となっても浅野長重は笠間城に入らず、真壁の陣屋で政務を執り、父の菩提を弔ったと言います。





笠間城の城代となった家老・大内良勝の家系からは、赤穂浪士大石内蔵助で有名な大石良雄が出るに至りました。
このため、赤穂浪士47人の忠臣には、真壁出身の家柄である潮田又之丞高教(うしおだ-またのじょう-たかのり)や、剣術の達人である勝田新左衛門武尭(かつた-しんざえもん-たけたか)などがいます。
詳しい人数は不明ですが、47人中30人程度は真壁や笠間の出身藩士の家柄だったようです。

雨引観音にある薬医門は、真壁房幹が真壁城から寄進・移築したものとなります。

雨引観音・薬医門

真壁のその後は春日局の子である稲葉正勝が5000石で領しましたが、稲葉正勝が真岡藩4万石となると天領になりました。

現在、真壁城は発掘調査も盛んで、土塁などの復元工事も行われており、整備が続いています。





真壁城跡への交通アクセス・行き方ですが、下記のとおりです。

JR水戸線の岩瀬駅前にあるレンタサイクルを借りると、岩瀬駅から真壁まで約10km、自転車で60分となります。
歩くと徒歩3時間で、タクシーだと20分です。

東京からくる場合には、つくばエクスプレスの終点「つくば駅」で下車して、つくばセンターの「つくバス」3番乗り場から、北部シャトルに乗車して約50分「筑波山口バス停」で下車します。
そして、バスを乗り換えて、桜川市バスの岩瀬駅行きにて約25分「下宿(しもじゅく)」バス停下車となります。
バスの本数は少ないです。





駐車場は、真壁第1体育館の駐車場(100台)の利用が認められています。
観光バスも止められますが、事前に真壁体育館に連絡必須との事です。
また、北東側にも新しく無料駐車場ができるなど工事が続いています。
2箇所の駐車場の場所は当方のオリジナル関東地図にてわかるようにしておきます。

なお、真壁城跡については、真壁伝承館歴史資料館にて展示もあります。
無料で見学できますので、先に寄ってから真壁城に行くと、予備知識も良いのではと存じます。

真壁伝承館歴史資料館

真壁の街は、歴史を感じる古い街並みになっており、事前予約すれば、レンタル着物のお店などもあります。

真壁

真壁城の見学所要時間ですが、くまなく見ると1時間、本丸付近だけであけば15分といったところです。

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駐車場も完備されており訪問しやすい。




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