茨城県

笠間城 天守に石垣も残る続日本100名城 笠間綱家も

笠間城

笠間城(かさま-じょう)は、別名を桂城とも言う山城で、続日本100名城になっています。
標高は205mほどの山城で、茨城県笠間市佐白山にあります。
最初の築城は、諸説ありますが、鎌倉時代の承久元年(1219年)に笠間氏が築いたとされます。
この築城の逸話がまた面白いのですが、下記の通りになります。





なんでも、笠間城がある佐白山(さしろ-やま)には、佐白山には、651年から開基したと言う正福寺や百坊があり孝徳天皇の勅願寺にもなっていたようです。
鎌倉時代には僧坊が約100軒あったそうでして、この佐白山の三白山三白寺が、同じ真言宗の寺院である徳蔵引布山徳蔵寺(東茨城郡城里町)と抗争を繰り返していたと言います。
そして、劣勢になった三白寺(正福寺)の生田坊は、宇都宮頼綱に助けを求めました。

1205年、宇都宮頼綱は養子にしていた、塩谷朝業の次男である笠間時朝(15歳ほどか?)を大将に軍勢を派遣すると、まずは笠間の佐白山に本陣を構えるため、砦を築いたようです。
そして、笠間より北方にある徳蔵寺の僧侶ら300を討伐しました。
ところが、笠間時朝は佐白山の西麓(笠間稲荷の辺り)に館を築いて居座ったようで、笠間での権力争いになるのを危惧した、味方であるはずの三白寺(正福寺)ともやがて敵対するようになります。
そして、1218年、笠間時朝は三白寺(正福寺)を武力をもって滅ぼすと、山頂の寺院を破却して、笠間城を大改修しました。
工事は1235年に完了したとされ、笠間氏を称するようになった模様で、戦国時代まで18代続くことになります。

戦国時代には、笠間綱家(かさま-つないえ)が笠間城主でしたが、宇都宮氏の一門として続いていたことは間違えなさそうです。
なお、笠間幹綱(かさま-みきつな)と言う笠間城主が同時期にいますが、同一人物と考えてよいでしょう。
下館城主・水谷勝俊から磯部を侵攻されたとの史料もあります。
また、1580年から1588年まで、笠間綱家の弟・笠間左近が宍戸城宍戸義綱の支援を受けて反乱を起こしています。
その反乱を鎮圧すると橋本砦の奪い合いなどで敵対していた、益子城主・益子家宗を1589年に攻略しています。





そころが、笠間は、常陸・太田城佐竹義宣からも圧迫を受けており、どうやら宇都宮氏の命に背いて1590年、小田原に参じなかったため、宇都宮国綱から攻撃を受けています。(諸説あり)
その1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、宇都宮国綱や佐竹義宣は小田原に参じていますが、家臣の記録に、笠間綱家(笠間幹綱)は宇都宮氏の一門とあります。
小田原の役が終ったあとに、笠間綱家(笠間幹綱)は、豊臣家の許可を得た宇都宮国綱の侵攻を受けて、片庭村の古山へ逃れた笠間綱家(笠間幹綱)は自刃し、滅亡したものと推測されます。

その後、豊臣家の奉行・増田長盛の許可を得たようで、笠間城には、宇都宮国綱の譜代家臣・玉生高宗が入りました。
玉生高宗の家来としては川井肥前などが見受けられ、1590年11月に、水戸城主・江戸重通が攻めて来た際には金沢の戦いて江戸勢を撃退しています。

1595年3月15日には、玉生範昌が笠間城から岡本城に移ると、1598年から会津の蒲生秀行が下野・宇都宮城へ18万石で移封となり、蒲生郷成が3万石で笠間城主になると城の改修を行いました。
2重の天守も建てられたと考えられます。

関ケ原の戦いのあと、戦功があった蒲生家が会津60万石となったため、1601年から、武蔵・騎西城主だった松平康重が、3万石にて笠間城主になっています。
その後、江戸時代の笠間藩主はめまぐるしく変わりますが、1622年には真壁城から浅野長重が5万3000石で入封し、1645年、浅野長直の時に、播磨・赤穂城に転封となり、のち赤穂浪士に繋がりました。。

1747年から日向・延岡城より牧野貞通が8万石にて入ると、笠間焼が奨励されるなどして発展したようです。
ただし、この頃には既に、西麓に笠間陣屋(下屋敷)を中心に使われていたようで、山城の笠間城は放置されていたものと推測致します。

ちょうど、麓は紅葉の季節でしたが、さっそく、クルマで登って行きました。

笠間城

ちなみに、笠間城へ登る道路沿いには、歌手・坂本久さんが川崎から疎開した「九ちゃんの家」と言う建物(お母さんの実家)がありますが、かなり荒廃していました。

九ちゃんの家

さらに、ちなみにですが、奥様である柏木由紀子さんとの結婚式は、笠間稲荷神社で挙げるなど、笠間を気に入っていたとの事です。

笠間城の移築門が3つほど市内にあるようですが、そのうち、八幡台櫓がある真浄寺さんだけ、ここに来る前に先に撮影して参りました。

笠間城・八幡台櫓

残りの2つも移築門は、民家の門になっていると言う事でしたので、撮影は自粛させて頂いております。

途中、大きな岩(大黒石)を横目に、坂道を登って行きます。

大黒石

笠間城の本丸に一番近い千人溜駐車場は封鎖(使用禁止)になっていました。

千人溜駐車場

なぜ、駐車場が閉鎖されているのか、理由がよくわかりませんので、理解に苦しみます。
仕方なく近くの道路わき(駐車禁止ではない)にクルマを止めさせて頂きました。
そのため、できる限り短時間での散策に留めています。
心配な方は、大黒石の手前あたりに広めの駐車スペースがありますので、そこから歩いて行くと良いでしょう。

千人溜駐車場の奥から登城口となっています。

笠間城

しばらく舗装されている道路を登って行きますが、許可車両しか入れません。

笠間城

笠間稲荷とあわせて、低山の登山をするパーティーもおられまして、なにやらガヤガヤと話し声が聞こえてきました。

笠間城

往時のものか、移して再利用したのか判断がつきませんでしたが、低い場所にも石垣がありました。

笠間城

はぐれてしまった?のか、だいぶ下のほうの違う道から、上の方にいるグループさんに「お~い」と何度も呼び掛けている高齢者さんの声が響きます。
しかし、高所のグループは、自分たちの話声で聞こえないのか?お昼ごはんを食べているようでして、動きません。

笠間城

やがて、本丸とされている広い平坦地に出ました。

笠間城・本丸

土塁でしょうか、かなり高い壁が奥にあります。

笠間城・本丸

ガヤガヤと会話をなさいながら、楽しそうにお弁当を食べているグループは、その土塁のうえに陣取って「これ食べる?」など、食料を分けて食しているようでした。
そのため、邪魔してはいけないと土塁の上はスルーします。

笠間城

ここにきて、初めて、笠間城の案内板に遭遇しました。
よく見たのですが、自分がどこにいるのか、現在地がわからずじまいでして、役に立たなかったのは言うまでもありません。

笠間城の案内図

事前情報にてこの笠間城・本丸が一番の高所と言う事でなく、天守があったとされる天守曲輪が別途あるとのことで先を目指します。

笠間城

これまで無かった、階段が現れて、傾斜が急になります。
しかし、下のほうのからは引き続き「お~い」と聞こえます。

笠間城

数分程度登ると、笠間城天主跡の石碑が見えてきました。
天守と記載する時は多いかと存じますが「天主」と書くのは珍しいように感じますが、間違えと言うわけではないと思います。
珍しいだけです。

笠間城天主跡

やがて、朽ち果てかけているような石垣が見えてきました。
関東随一ともいえる笠間城天守台の石垣などは東日本大震災のときに影響を受けており、崩落の危険性があるため、しばらく天守付近は立入禁止になっておりました。
しかし、2018年秋の訪問時には、下記のように立入りが許可されていましたが、一部はまだシートをかぶせている状態で、階段も少し崩れかかっており、登りにくかったです。

笠間城

ただし、シートもブルーシートではなく、シルバーのシートを使っており、心遣いが垣間見えました。
でも、やっぱり、崩れかかっているためか、とても歩きにくいです。

笠間城

すぐに天守台の部分が見えて参りましたが、これまた、登るのにひと苦労でした。
おひとりさま、降りられる高齢者さんとすれ違いましたが「下にはまだグループがいた?」と聞かれました。
ニュアンス的に、先ほどのグループとは関係ない、単独行動のようです。

笠間城

佐志能神社がある山頂の木の合間からですが、笠間城からの展望です。

笠間城からの展望

下記は、上から下の方向を撮影したものです。
国指定史跡への登録も目指しているそうでして、楽しみです。

笠間城

笠間城の天守周りの石垣は、江戸城小田原城石垣山城唐沢山城、上野・金山城などのようにしっかりしたものであり、八王子城武蔵・小倉城など、関東地方で石垣がある城は限られますので、そのような意味では貴重です。

笠間城の石垣

下記は本丸の土塁です。
先ほどのお弁当グループは、行動を開始したようで「上には何かあるの?」「見晴らしは良かった?」などと、私に聞いてきます。

笠間城の土塁

しかし、天主より先行して降りられた、単独の高齢者さんが、わざわざ戻ってきて、すべてご回答してくださりました。
同じ年代の方々に、色々とご説明をなさりたかったようです。
そのため、止めている車が心配なので、下山を急ぎます。

しかし、少し、下って行きますと「お~い」と、また、下の方から声が聞こえます。
「来た、来た」と声も聞こえましたが「あれ?、違う人だ。」とも・・。
私を、仲間だと見間違えたのでしょう。
それにしても、そのお仲間だと思われるお弁当グループは、早く降りなくて良いのか?と考えつつ、笠間城を後にしました。
私、茨城県の生まれでございますので、あまりこのようなことを言いたくはないのですが、ツッコミどころが多い笠間城でした。
私の場合で見学所要時間は千人溜から30分ほどでした。
じっくり見る場合には、60分ほどあったほうが良いかと存じます。





トンネルが、千と千尋の神隠しに出て来るようなミステリアスな怖いトンネルも近くにあるようで、夜間などに奇特な体験をしたいと言う、別の目的での登城者もおられるようです。

続100名城のスタンプは、かさま歴史交流館井筒屋の受付右横にあります。
私はスタンプ、やっていませんが・・。

かさま歴史交流館井筒屋

将来的には、もっと整備されるのでしょうが、笠間城の城域には案内板などがないため、この歴史交流館にて事前にパンフレットをゲットしないと、散策している途中、道に迷いやすいと思います。
山に入ると、トイレもありません。

笠間城への交通アクセスですが、JR水戸線「笠間駅」にて下車し、麓の下屋敷跡の登城口まで徒歩22分です。
そこから、千人溜まで道路を歩くとプラス30分かかりますが、下屋敷跡の奥から直接登っていく登城路もあります。
文中に登場する各ポイントの場所は、当方のオリジナル関東地図にてわかるようにしておきますので、よろしければご参照賜りますと幸いです。

このあとは、笠間稲荷に行きました。

笠間稲荷神社「笠間の菊まつり」と駐車場攻略法も
常陸・太田城(舞鶴城) 戦国大名に発展した佐竹氏の本拠地
佐竹義宣 なんとか戦国時代を乗り切った律義者の世渡り
水戸城 徳川御三家の日本100名城 見どころポイント

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

0
この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
中級者向け
旧国名
常陸
著者コメント
天守に石垣もありなかなか見ごたえありますが駐車場が・・。




皆様からのクチコミ情報

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


関連記事

  1. 常陸・久慈城 常陸・久慈城 茨城の海城か?
  2. 常陸・武田氏館 常陸・武田氏館 甲斐の武田家発祥の地は水戸近くに
  3. 常陸・小幡城 常陸・小幡城 技巧も豊かな深い堀で迷う素晴らしい城
  4. 水戸城 水戸城 徳川御三家の日本100名城 見どころポイント
  5. 常陸・府中城 常陸・府中城(石岡城)の歴史を詳しく 大掾清幹も
  6. 多気山城(多気城) 多気山城(多気城)と多気義幹~筑波の北条にある関東七名城
  7. 木田余城 木田余城 信太氏の本拠地も佐竹家に奪われる
  8. 逆井城(飯沼城) 逆井城(飯沼城)のみどころ~戦国期の櫓門、橋、塀、主殿、二層櫓な…

カテゴリー

ピックアップ記事

  1. 高遠城
  2. 赤尾津城(天鷺城)
  3. 志摩・田城城
  4. 秋田城
  5. 常陸・馬坂城

城めぐり 2100城超えました

城めぐり
にほんブログ村 歴史ブログへ
PAGE TOP