茨城県

柿岡城 名だたる武将が歴任した裏筑波の城

柿岡城




柿岡城(かきおか-じょう)は、茨城県石岡市柿岡にある、比高7mほどの丘城です。
最初の築城としては、常陸・小田城の初代である八田知家の10男・柿岡時家(高野時家、柿岡時知)が、1192年に築いたとされます。
その後、戦国時代まで小田氏の領地になっていましたが、やがて佐竹氏の侵攻を受けて、片野城に入った太田資正(太田三楽斎資正)の子・梶原政景が柿岡城を任されました。





1569年(または1573年)、佐竹勢は鉄砲を駆使して、手這坂の戦いで、小田天庵(小田氏治)から大勝利を収めると、小田城も佐竹氏に落ちて、梶原政景は常陸・小田城へ移りました。
その後、柿岡城は真壁義幹の子・真壁房幹(まかべ-ふさもと)に与えられた模様です。
真壁房幹が1596年頃、真壁氏の家督を継いで真壁城に戻ると、長倉城主・長倉義興が柿岡城へ移っています。
1599年、水戸城修理のことで佐竹義宣に逆らった長倉義興は自殺ともされますが死去します。
その後、佐竹義宣の世話を受けた伊達輝宗の弟・国分盛重が柿岡城を与えられたともあります。

関ヶ原の戦いにて、佐竹義宣が出羽・久保田城に移封となると、真壁房幹も角館城へ移りました。
その後、天領になったのか、よくわかりませんが、1614年、立花宗茂の実弟・立花直次が、旗本5000石となって柿岡城主になっています。
立花直次は、岩屋城の戦いにて自刃した高橋紹運の子です。
ちなみに、立花直次の娘・虎姫は、真田信勝(真田昌幸の3男)の正室となりました。

江戸時代に入ると、1624年、5000石の稲葉正勝(春日局の子)が、柿岡5000石の加増を受けて、合計1万石の大名に列しました。
そのため、柿岡城を拠点に柿岡藩が成立しました。
ただし、4年後の1628年に父・稲葉正成が死去すると、父の所領である真岡藩を継いだため、柿岡藩は廃藩となり、所領は真岡藩4万石に組み込まれました。
その後、1632年、稲葉正勝は、相模・小田原城にて8万5000石となっています。





現在の柿岡城には、柿岡小学校があり、遺構などは失われているようです。
柿岡城への交通アクセス・行き方ですが、当方のオリジナル関東地図にて、案内板がある場所をポイントしておきます。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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