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彦根城の解説【日本100名城】国宝・彦根城を訪れるのならココを見よう・魅力とその防御陣形

国宝・彦根城

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彦根城とは

名称 : 彦根城、金亀城
場所 : 近江国
形態 : 連郭式平山城
天守 : 複合式望楼型 3重3階地下1階(現存)
遺構 : 現存天守・櫓・門・塀・馬屋・石垣・土塁・堀
築城年 : 江戸時代初期1604年
指定文化財 : 国宝国重要文化財国特別史跡

滋賀県彦根市にある彦根城(ひこねじょう)は、連郭式平山城(標高136m、比高46m)で1606年に完成した現存天守として、天守などが国宝に指定されています。
日本100名城日本の歴史公園100選にも選ばれています。
そもそも彦根には、石田三成の居城であった佐和山城があったのですが、1600年の関ヶ原の戦いのあと彦根には徳川四天王の一人・井伊直政が18万石で入りました。

井伊直政は、賊将・石田三成の佐和山城を嫌ったとも、領民から大変慕われていた石田三成の遺構を破却し新しい政治を行おうと、琵琶湖に近い磯山に彦根城の築城を計画します。


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しかし、関ヶ原で受けた鉄砲傷が元で、破傷風となった井伊直政は1602年2月1日に死去します。
この時、石田三成の怨霊が井伊直政を死に至らしたと言う噂も広まったため、家老・木俣守勝が徳川家康に相談すると命も受けて、あとを継いだ井伊直勝(井伊直継)は1603年から彦根城の築城を開始し、1606年に天守が完成すると居城を彦根城移しました。

彦根城の中堀

ちなみに彦根城の建造には、佐和山城だけでなく、小谷城長浜城大津城などの石垣や建造物も移築・再利用されたと言います。
工事は徳川幕府が主導し、近隣の大名も人足など負担した為、1614年の大阪の陣からは工事が中断しました。

彦根城の中堀

その後、井伊家のみで工事を再開させ、彦根城の全体の工事は1622年に完成を迎えました。

彦根城二の丸・佐和口多聞櫓

上記は、二の丸佐和口多聞櫓です。

彦根城・佐和口多聞櫓

現在佐和口多聞櫓は再建されたものですが、もとは、佐和山城から移築されたとされています。

木俣守勝の屋敷

上記は筆頭家老・木俣守勝の屋敷で、佐和口を入ったところにあります。

彦根城の内堀

彦根城の本丸したの内堀です。

彦根城の表門

表門が実質の正門で、表門橋を渡ると有料拝観の受付があります。
脇には表御殿(彦根城博物館)がありますが、外観のみの復元で内部は資料館になっています。
彦根城と玄宮園の通常券は大人600円、彦根城と玄宮園+資料館のセット券は1000円です。

彦根城・表門参道

緩やかな表門参道を登っていくと、やがて「堀切」に出ます。

彦根城の堀切

侵入した敵を、堀の上にある太鼓丸と鐘の丸の両側から攻撃できる設計になっています。
この防御陣形には魅せられます。

彦根城の天秤櫓と掛橋

良く時代劇ドラマでも登場する天秤櫓と掛橋ですね。
この天秤櫓は、長浜城から移築したとされています。

彦根城の鐘の丸入口

ここまで進入した敵は、ループ状に登って鐘の丸に入る事になります。

彦根城の掛橋と天秤櫓

そして、掛橋を渡る事になりますが、橋を壊せば、更に防御面を強化できる「落とし橋」の構造になっています。
ループ状の珍しい防御方式は、日本の城で彦根城だけです。

彦根城の堀切

掛橋から堀切を撮影すると上記のような感じです。

彦根城

天秤櫓を抜けると階段の先に太鼓門櫓が見えてきますが、天秤櫓の内部が公開されていましたので、入ってみました。

彦根城・天秤櫓の内部

やはり天秤櫓の内部は古い感じが致します。

彦根城の掛橋

先ほど通過した掛橋を窓からのぞきますと、上記のような感じです。
鉄砲などで攻撃するのにはベストポジションですね。

彦根城天秤櫓の階段

更に天秤櫓の屋根裏に上がれる階段もありました。

彦根城・本丸

さて、表に戻りまして進むと、本丸の石垣が見えてきました。

彦根城

いよいよ、彦根城の本丸に接近してきたと言う感じです。

彦根城の時報鐘

その途中には、時を知らせた「時報鐘」があります。

彦根城の太鼓門

そして、最後の門となる「太鼓門」です。

彦根城・太鼓門

太鼓門はどこかの城の城門を規模を小さくして移築したことがわかっていますが、どの城からかはまだ解明されていません。

彦根城の太鼓門裏

太鼓門の裏は壁がない廊下になっている構造で、恐らくは長槍で進入した敵を頭上から突けるようにしたのでしょうが、あれ?
ひこにゃんが手を振っていました~。(^-^)

彦根城の天守閣

時間が決まっていますが、彦根城域では1日3回ほど、毎日「ひこにゃん」が出迎えてくれるとの事です。

彦根城

天守と附櫓・多聞櫓(たもんやぐら)の2棟が国宝に指定されています。

彦根城

明治維新には多くの城が破却されましたが、明治天皇の北陸巡幸に同行した大隈重信が、彦根城の消失を惜しみ、天皇陛下に保存を願い出て解体が中止されたと言われています。

彦根城

なお、彦根城の天守は、京極高次が築城した大津城の天守が移築されたと考えられています。
ただし、大津城は5僧天守だったようで、彦根城では上層3階分が、再利用された模様です。

彦根城の水瓶

本丸には水場?もありました。

彦根城から佐和山城を望む

彦根城の本丸から佐和山城があった山を望む展望もあります。

彦根城からの展望

黒門がある方向にもカメラを向けてみました。

彦根城の天守内部

彦根城の天守内部に入って見ます。

彦根城の鉄砲狭間

彦根城の鉄砲狭間・矢狭間は、天守に全部で75あるそうですが、外からだと、どこにあるのかわからないように、しっくい壁が塗り込められていると言う特殊な構造となっています。

彦根城の内部

さすが現存天守で国宝ですので、非常に雰囲気の良い天守内部です。

彦根城の武者隠し

武者隠しもあちこちに設置されています。

彦根城の武者溜り

上記は武者溜りですね。
階段は結構急ですので、女性の方はズボンが適切だと存じます。

彦根城から望む琵琶湖

天守最上階から撮影した琵琶湖方面です。

彦根城の西の丸へ

さて、本丸を後にして、西ノ丸へと向かいます。

彦根城

振り返れば、先ほどの彦根城・天守が間近に見えます。

彦根城の西の丸

西ノ丸は桜の木でしょうか?
所狭しとと植えられていて、全く天守が写真に入りません。

彦根城

お詫びにもう1枚、彦根城の天守写真を載せておきます。

彦根城の西の丸入口

上記はその西ノ丸への入口を外側から撮影したものです。
重要な北の守り口ですね。

彦根城の堀切

西ノ丸と北にある山崎曲輪の間にも大きな堀切がありました。

彦根城の橋

そこにも「橋」が掛かっています。

彦根城・西の丸三重櫓

そして、西の丸三重櫓がそびえ立っています。

彦根城の山崎曲輪

上記は山崎曲輪ですが、ここは地形も改変されてしまっているとの事です。

彦根城の山崎郭側

山崎郭側の登り口は上記のような感じでした。

彦根城の中堀

彦根城の中堀にある「黒門跡」の黒門橋を渡ると、玄宮園方面に出る事ができます。
玄宮園に関しては、別のページにて続けてご紹介させて頂きます。

彦根城の大手門橋

上記は彦根城の大手門橋です。

彦根城の外堀跡

上記は彦根城の外堀跡。

彦根城の船町口

上記は彦根城の船町口の石垣を内側から撮影したものです。

彦根城への行き方

以上、彦根城ですが、彦根駅からは彦根城の表門までだと、約1000m、徒歩15分といったところです。
彦根城の観光所要時間は駅からの往復と玄宮園見学を含めて、約2時間といったところですが、時間にはゆとりを持った方が良いです。
入場可能時間は朝8:30からで、17:00に閉門です。

下記の地図ポイント地点は、彦根城への登城口となる表門橋ですので、駅や駐車場からはココを目指してください。

駐車場は彦根城の周辺にいくつかあり、混雑すると付近に臨時駐車場が設けられ、土日祝でも止められない事はあまりないとの事です。
しかし、道路は渋滞する事があるそうですので、時間には余裕があると良いかと存じます。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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