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小机城も見ごたえあり 横浜市で一番素晴らしい続日本100名城

小机城

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小机城とは

小机城(こずくえ-じょう)は、神奈川県横浜市にある、戦国時代に北条氏が縄張りを整備した標高42m(比高22m)の根小屋風・連郭式平山城です。
別名は飯田城、根古屋城とも呼ばれます。

横浜線踏切から小机城の展望

上記は横浜線の踏切から小机城を撮影したものです。右側の山が本丸がある方向となります。

小机城

上記は、麓から小机城を撮影した写真です。そんなに高い山ではありません。


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築城年代や築城者は不明ですが、室町時代の豪族・小机氏が関与していた可能性はあります。
初見としては1476年の長尾景春の乱で、小机城主として矢野兵庫助の名が見受けられます。
名将・太田道灌が1478年1月に、豊島泰経が逃げ込んだ小机城を攻撃するため、鶴見川を挟んだ対岸「亀之甲橋」がある、現在の浅間神社付近の峰に亀之甲山陣城を築いて、約2ヶ月掛けて攻め落としています。

話を照合すると、どうやら、神奈川県横浜市神奈川区羽沢町にある「硯松」に伏兵を配置し、亀之甲山から小机城を正面から攻撃したようです。
反対側に逃走した小机勢を硯松にて待ち伏せし潰滅させました。
矢野兵庫助の本領は権現山城がある神奈川湊だったともされるため、逃走経路を予測してのことだったのでしょう。

そのため、史跡は小机城の南側に点在しているようで、城郷村内の九大字には、小机城の合戦で討死した将兵を供養した「九養塚」(南神大寺団地)「十三塚」(神奈川区菅田町)や、太田道灌が小机城の捕虜を処刑した「磔原」(六角橋中学校の南側)、その血で谷戸が赤く染まったといわれる「赤田谷戸」(神奈川区神大寺付近か?)などの地名が現存します。
その後は廃城となっていたようですが、戦国時代に北条氏は「小机衆」を組織し、その本拠地としました。

1524年には小机城主として北条氏堯(北条氏尭)が任じられましたが、まだ2歳でしたので、小机城代として笠原信為が入り、大改修を行い前線拠点として整備されました。


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享禄二年(1529年)12月、小机町の雲松院(うんしょういん)に笠原信為が寄進。
内容としては、 熊野堂5貫文は早雲寺殿茶の湯料として永代寄進するとあり、雲松院に早雲寺殿の菩提を弔う茶の湯料を笠原信為が寄進したと言う事になるようです。
<注釈> 雲松院は、俳優・内野聖陽さんの実家にあたる。

小机町の雲松院

その後は北条時長、北条氏堯、北条氏政の弟・北条三郎、北条氏光などが城主を歴任しますが、実質的には笠原氏が城代としてまとめ続けたようです。
小机衆としては笠原氏の他に、山田城山の曽弥外記、神田次郎左衛門、市野助太郎、増田満栄、座間豊後、村嶋豊左衛門、二宮義忠、岩本和泉、高田玄蕃、武蔵・矢上城の中田加賀、長谷川為久、沼上出羽、石原靱負、大曾根飛騨守、篠原城の金子出雲らの名が見受けられます。

笠原信為の子である笠原康勝(かさはら-やすかつ)は、1545年、武蔵・松山城の戦いで北条氏康に従い太田資正と戦いました。
また、1546年、父・笠原信為から所領の一部を譲られ、1554年には加島の戦いで北条氏繁・松田憲秀らと武田晴信と戦い武功を挙げています。


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1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に小机城主は笠原虎千代でしたが、小机衆は小机城を放棄して、ほぼ全員が小田原城へ籠城したようですので、豊臣勢は小机城には攻撃すら行っていません。
その後、徳川家康が関東入封となると小机城は廃城となりました。

小机城の竹林

京都・嵐山の竹林ほどではありませんが、小机城は全体的に竹林があり、大変風情豊かなところです。

小机城

大きな空堀の横を二の丸方面へ抜けて行きます。

小机城の空堀

上記写真はその空堀を撮影したものです。
北条家らしい、北条氏特有の特徴ある大空堀ですね。
写真では余り高くないように見えますが、結構、深い堀です。

小机城

小机城の本丸方面を撮ったものです。

小机城の二の丸

上記写真は、二の丸への入口ですね。

小机城・二の丸

武蔵・小机城の二の丸は結構な広さでした。

小机城の二の丸

上記写真は、二の丸の奥の方(北側)です。櫓台(物見やぐら)があったものと推測できます。
恐らくは、狼煙台としての役割もあり、玉縄城への連絡を中継したと考えられます。

小机城の空堀

そんなに坂(階段)もきつくないので、一度、北側の空堀に降りてから、本丸を目指してみました。

小机城

現在は第三京浜が小机城を南北に「切通し」して通っていますので、西側とは分断され、遺構の一部が失われています。
昔に第三京浜作ったので仕方ないですが、今の時代にもし高速を通したのであれば、恐らくトンネルとなり、小机城は原型を留めていたことでしょう。残念ですね。

小机城・本丸を望む

上記写真は、空堀から本丸を望む写真です。
なお、小机城は単独の城では無く、菊名方面など支城がいくつもあります。

小机城・本丸

上記が小机城の本丸です。少年野球でもしているのか? 周囲には球除けネットが巡らされており、地面にはブルーシートが敷かれていました。

小机城の全体図

そうそう、小机城が続日本100名城にも選ばれました。
日本100名城のスタンプは、小机駅の近くにある「城郷小机地区センター」さんの窓口付近にあるそうです。

小机城・本丸からの展望

本丸も周りは木々で囲まれていましたが、僅かな隙間から撮影した展望が上記写真です。

小机城・土橋

上記は、土橋と思われる通路から、本丸方面を撮影した物です。


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小机城への行き方

JR横浜線の小机駅から徒歩15分と比較的交通の便も良いので、気軽に訪れる事ができます。
公園として遊歩道が整備はされており、トイレ(お勧めはできない)もありますが、残念ながら駐車場はありません。
もし、お車の場合には、県道12号(横浜上麻生道路)沿いにある「小机辻」信号付近の100円パーキングを使用して、登山口まで徒歩5分といったころです。
又は、新横浜公園のタイムズに止めても良いですね。小机城を眺めながら接近できます。

小机城登山口への入口

上記写真の道を、真っ直ぐに進むと、電柱などに「小机城はこっち」と記載がありますので、その案内に従って登りましょう。
登ると言っても、子供でも危険が少ない平山城ですので、スニーカーで充分です。

小机城への入口

上記写真の住宅街の間の道が、小机城への入口です。

小机城への遊歩道

この緩い坂を登って行きます。
ここから入って、小机城ぐるっと回る見学所要時間(登城時間)は、約30分といったところです。

小机城のトイレ

一応トイレもあります。

小机城の見学所要時間は30分~50分といったところです。
下記地図の目印地点が、小机城への登り口となります。
ご近所迷惑にならないよう、静かに、ご見学頂けますと幸いです。
 

ちなみに、小机駅の南側にある雲松院も、小机城主・笠原越前守信為が、1525年に建てた寺院となりますが、俳優の内野聖陽さんの実家になります。

小机城の場所などは、当方のオリジナル関東地図でも、ポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

この記事は戦国武将列伝Ωより、再編集し移設したものです。

亀之甲山陣城をわかりやすく解説~太田道灌が小机城を攻撃した際の陣城
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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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