京都府

淀古城と淀城 淀古城の戦い 茶々の産所となった淀城とは

淀城

淀城(よどじょう)は、京都府京都市伏見区淀本町にある平城で、別名はてん城、新淀城とも言います。
この淀城に対して「淀古城」と言い、別の場所にも「淀城」がありますが、その理由と歴史について調べてみました。
まずは淀古城(よどこじょう)と淀城(よどじょう)の成り立ちから申し上げますと、淀城が築城されたのは江戸時代の1623年となりますので、豊臣秀吉が茶々(淀殿)の産所として築かせた淀城(淀古城)とは約500m離れています。
この先に作られていた淀城と、江戸時代に作られた淀城とを「分類」するために、古い城は「淀古城」と呼ぶ場合が多いため、このページでも同様に淀古城として記載させて頂きます。





まずは淀古城です。

淀古城

淀古城は3面を川に囲まれた天然の要害となる場所で、古くから海産物や塩などが陸揚げされる場所でもあり、商業が栄えた街が「淀」(与渡津)でした。
最初の築城年や築城者は不明ですが、みちに山城守護の畠山政長が整備した可能性があります。

交通の要所でもあったことから、何度か戦火もあり、1504年には、第1次淀古城の戦いとなっています。

この時の淀古城主は、管領・細川政元の家臣である神保与三佐衛門が城主を務めていたようです。

細川政元が槇島城攻撃に薬師寺元一、薬師寺長忠、香西元長、内藤氏らを向かわせた際に、摂津守護代・薬師寺元一が赤沢朝経と共に謀反を起こし、淀古城を占拠します。
ただし、薬師寺元一の弟・薬師寺長忠は、細川政元を裏切っておらず、香西元長と共に淀古城を奪還しました。
これにより、淀古城では四宮長能が自刃したあり、薬師寺元一も捕縛されると、1504年9月20日に京で自害に追い込まれました。
なお、赤沢朝経は大和へ敗走しています。





1559年になると、三好長慶が畿内統一を果たし、淀古城には細川氏綱が入りました。
1564年、細川氏綱が死去したあとは、三好長慶の甥・三好義継が淀古城主となっています。

しかし、1566年7月には、三好三人衆が勝竜寺城と淀古城を攻略し、三好長逸の家臣・金子某が淀古城主となったようです。

1568年、織田信長が上洛した際に、淀古城は落城して焼かれました。

その後の城主は不明ですが、1573年には、第2次淀古城の戦いとなっています。
その時は足利義昭が織田信長に対して二条城で兵を挙げたのが発端で、二条城を明け渡した後、足利義昭は槇島城にて籠城しました。
足利義昭に味方した三好三人衆の1人である岩成友通が、淀古城に入りましたが、槇島城の戦いで、足利義昭は織田家に降伏して河内へ逃亡してしまいます。

そのため、木下秀吉(羽柴秀吉)が淀城を包囲すると計略を用いて、淀古城の番頭義元(番頭大炊頭義元)と諏訪三將(諏訪飛騨守三將)らを内応させます。

勝竜寺城の細川藤孝も織田勢として参じると、番頭義元(番頭大炊頭義元)と諏訪三將(諏訪飛騨守三將)が岩成友通に進言し、淀古城から討って出ました。
わざわざ、防御に適している城が出て戦った岩成友通は、細川藤孝の家臣・下津権内に討ち取られ、近江・高島にいた織田信長の元に首が届けられています。

その後、明智光秀が1582年6月の本能寺の変のあとの短期間ではありますが、淀古城の改修をしたとありますが、すぐに豊臣秀吉に山崎の戦いで敗れます。
そのあとは、1589年3月に、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長が淀古城を改修して、茶々の産所としました。
そのため、茶々は「淀殿」と呼ばれるようになったのです。





鶴松が淀古城にて誕生しますが、1591年に死去します。
その後、1593年に茶々は豊臣秀頼を生みますが、豊臣秀頼は大阪城にて誕生しています。

朝鮮攻めのあと、淀古城は18万石で木村重茲が入りましたが、木村重茲は豊臣秀次の家老を命じられていたことから、1595年、豊臣秀次事件にて連座し、茨木・大門寺にて切腹を命じられました。
これ以降、淀古城は廃城となり、資材の多くは伏見城の築城に用いられたようです。

さて、淀古城の遺構は残念ながらほとんど残されていませんが、この付近の「納所」と言う街は古い町並みで非常に趣があります。
この街並みを見ただけでもかつては商業も盛んであったことが分かりますので、豊臣秀吉は、淀殿が出産に際して、必要と思う貴重な輸入品なども、すぐに手に入りやすい場所として、ここに淀城を築城したのかな?と感じました。
淀古城跡の天守があったとされる場所も不明で、わかっておりませんが、下記の妙教寺がその中心だったのかも知れません。

妙教寺

妙教寺には、唯一、かつて淀古城があったことを示す石碑があります。
江戸時代に淀城主・松平定綱が寺地を寄進して、寺域を整備しました。

淀古城の石碑

ちなみに、妙教寺は幕末の戊辰戦争の際に大砲の被弾も受けており、この付近が鳥羽伏見の戦いの戦場でもあったことを伺い知れます。
下記の「ガラス窓」が埋め込まれている箇所から砲弾が建物内部に入り、柱にぶつかったそうです。

妙教寺の本堂の大砲貫通跡

さて、妙教寺を訪問させて頂いた際には、妙教寺の駐車場を拝借させて頂きました。
下記の地図ポイント地点で、約7台ほど止められますが、大型のクルマはちょっとキツイと思います。
ご近所迷惑にもならないよう、気をつけたいところです。

しかし、五差路になっている納所(のうそ)の信号、旧道から交差点に入る場合、信号待ちしていましたら、赤の点滅になったのですが、橋のほうからは、バンバン車が走ってきますし、見通しも悪く、よくわからない交差点です。
次には「淀城」をご紹介致します。

新しい淀城は?

戦国時代の城が「淀古城」に対して、江戸時代に築城されたのが新しい城が「淀城」と言う訳ですが、これは城の場所もかなり離れています。
淀城は標高20mの平城で、西の石垣中央の下に淀城址碑があります。

淀城の石碑

伏見城が廃城となった際に、徳川秀忠掛川城主・松平定綱を「淀藩」として35000石としたため、1623年から築城開始したのが「淀城」となります。

淀城の石垣

なんでも、河村右衛門の屋敷跡に江戸幕府も資金を出して築城されたそうで、天守には二条城の天守(五重五階の望楼型天守)が移築されたとあります。
当初は伏見城の天守を移築する計画だったようですが、天守台スペースが小さかったため、代わりに二条城の天守を移築したともされます。

淀城の天守台

ただし、大和郡山城の天守を移築したとする説もあります。
大型の水車があり、川の水を城内の庭園に取り入れる設備もあったそうで、門の数は21箇所、櫓も38棟あったと言いますので、その規模もそうとうだったようです。

淀城

1625年には城郭が完成し、1626年6月には徳川秀忠が視察に訪れました。
また8月には徳川家光も淀城を見学しています。

淀城

以後、淀城主は永井尚政など、目まぐるしく変わりますが、春日局の子孫である稲葉正知が入ったあとは稲葉家が淀藩主となり、淀城は幕末を迎えました。

淀城

淀藩は鳥羽伏見の戦いこそ、旧幕府軍に味方しましたが、敗れた幕府軍の淀城入場は拒否し新政府に恭順したことでも知られます。
下記は淀城内にある稲葉神社です。

淀城の稲葉神社

現在は、淀城跡公園として整備されており、少しずつ建物や堀なども復元されつつあります。

淀城の石垣

しかし、淀城の石垣の隅には下記のような手作りのモニュメントも設置されています。

淀城の淀城

あえて、淀城の淀城と呼ばせて頂きますが、なぜ、こんなモチーフが存在しており、また、撤去もされずにいるのか?は、関東から来た私には分かりません。

淀城の水車

下記は淀城にある与杼神社(よどじんじゃ)で、なかなか立派な拝殿は、1649年頃の江戸時代建築で国の重要文化財に指定されています。 

与杼神社

かたわらには、大阪にある淀屋橋の名前の由来にもなっている江戸時代の豪商・大坂淀屋が寄進した高灯籠があります。

大坂淀屋寄進の高灯籠

淀屋橋は、この淀屋さんが管理を任されたので、橋の名前が次第に「淀屋橋」と呼ばれるようになったそうです。

淀城(淀城跡公園)には駐車場がありませんが、南側の高架下にタイムズ(80台)があるので止めさせて頂きました。
下記の地図ポイント地点が有料駐車場の入口です。

それ以外に、淀城にもっと至近の有料駐車場もありました。
与杼神社の駐車場がコインパーキングになっています。
下記の地図ポイント地点が入口です。

もちろん、京阪本線の「淀」駅から徒歩2分ですので、電車でも非常に便利な史跡ですが、なんで、淀駅は次の駅まで結構距離があるのでしょう?
以上、淀古城と淀城でした。

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中級者向け
旧国名
山城
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淀城は天守台・石垣などが残っています。




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