栃木県

宇都宮城の解説 宇都宮城釣天井事件

宇都宮城

スポンサーリンク



宇都宮城とは

宇都宮城(うつのみやじょう)は、栃木県宇都宮市本丸町にある輪郭梯郭複合式平城で、別名は亀ヶ岡城とも言います。
平安後期から代々、宇都宮氏の居城となっており、関東七名城にも選出され、現在は宇都宮城址公園として整備されていて「宇都宮城さくら祭」「うつのみや城址まつり」なども開催されます。
最初の築城者としては、平安時代の1063年に下野国の守護職と、下野国一宮(宇都宮二荒山神社)の別当になった藤原宗円(ふじわら-の-そうえん)が、屋敷を構えたのが始まりとされます。
源頼義・源義家の奥州安倍氏討伐(前九年の役)で戦功があったようで、での功により宇都宮の領地を賜ったようです。
ただし、藤原宗円には藤原兼仲と言う兄がいたようですが、若くして亡くなったようで、未亡人となった益子正隆の娘を迎えて、その兄の子・八田宗綱を養子にしました。


スポンサーリンク



このように周辺豪族を従えており、八田宗綱は常陸国大掾の平棟幹(大掾棟幹)の娘を正室としています。
その子・宇都宮朝綱(うつのみや-ともつな)のときから「宇都宮氏」を称するようになり、弟が八田知家と名乗っています。
そして、、宇都宮城は、鎌倉時代・室町時代・戦国時代と、約500年以上、宇都宮氏の居城となりました。

宇都宮城

17代当主・宇都宮成綱のとき、最盛期となっていますが、重臣・芳賀高勝を謀殺するなどし、18代・宇都宮忠綱は家臣を束ねられず弱体化し、19代・宇都宮興綱、20代・宇都宮俊綱の頃には傀儡となりました。
21代・宇都宮広綱のときには、家老の壬生綱房・壬生綱雄に宇都宮城を乗っ取られるなどし、下野・多気山城を拠点にしています。
1590年、豊臣秀吉小田原攻めにおいて、22代・宇都宮国綱は、早くから豊臣氏と手を結んでおり、石田三成忍城の戦いにも参陣したことから、下野18万石の所領を安堵され、宇都宮城に復帰しています。

宇都宮城

このとき、豊臣秀吉は、下総・結城城を経由して宇都宮城に入ると11日間滞在して、関東・東北の領地を決める宇都宮仕置(うつのみやしおき)を行ったため、諸大名は宇都宮城を訪れています。
しかし、1597年、突然、改易(所領没収)となり、追放されて備前の宇喜多秀家に預けられました。

宇都宮城

その後、宇都宮城には18万石で、蒲生秀行が会津若松城から移り、近江日野からやって来た商人が住む日野町や紺屋町など城下町や武家屋敷の整備を行いました。

宇都宮城

関ヶ原の戦い後の、1601年には奥平家昌が10万石で宇都宮城に入りました。
興禅寺を再興するなど城下町を再整備しています。

宇都宮城

大坂の陣を経て徳川家康と本多正信が死去したあと、1619年、15万5千石で本多正純が宇都宮藩主になり、城域を拡大して改修し、将軍宿泊所となる本丸御殿も建設しています。
そして、2層2階の清明台櫓を天守の代わりとしています。
また、日光街道と奥州街道を改善して、日光・東照宮参拝の整備も進めました。

宇都宮城

しかし、土井利勝、加納御前ら奥平家の反感を招き、この大規模な工事が、本多正純謀反の噂となりました。
1622年、宇都宮城釣天井事件にて、日光東照宮を参拝した徳川家康は、宇都宮城での宿泊を取りやめて壬生城に宿泊し、江戸城へ戻っています。
これは、2代将軍・徳川秀忠を、からくり仕掛けの天井で暗殺しようと企てた「宇都宮城釣天井事件」とされますが、実際には、徳川家康の死後の幕府の権力争いにて、本多正純が敗れたと言う事になります。

宇都宮城釣天井事件

山形城受取りのため東北に出向いた本多正純は、出羽・横手城に流罪となり、改易となっています。

宇都宮城

この大改修工事の結果、宇都宮城下は城下町、門前町、宿場町の各機能を持つ都市に再編された。宇都宮城改修に際し、正純は幕府の意向に順じ宇都宮城に天守は設けず2層2階の清明台櫓を天守の代わりとしたが、正純の意に反して宇都宮城改修にまつわる正純謀反の噂が流布され、元和8年(1622年)に正純は改易された(宇都宮城釣天井事件)。

その後は、徳川家のと譜代大名が宇都宮城主を務め幕末に至りました。

宇都宮城

1868年5月、戊辰戦争の際には、大鳥圭介ら旧幕府軍が宇都宮城に入ったため、宇都宮戦争となり、河田佐久馬、伊地知正治、大山弥助、野津七次、有馬藤太ら新政府軍が攻撃し、宇都宮城の建物や町並は80%が焼失しました。

現在、宇都宮城本丸の一部が宇都宮城址公園として外観復元されており、公園の西側にある「宇都宮城ものしり館」には入館無料の歴史展示室もあります。
今後は、本丸御成御殿、本丸清水門、本丸伊賀門を復元する計画もあるようですので、楽しみですね。

宇都宮城

宇都宮城への交通アクセス・行き方や駐車場は下記の通りです。

JR宇都宮駅の西口バスターミナル38番のりばから、関東バス「市内循環線(きぶな)」で「宇都宮市役所」または「宇都宮城址公園入口」バス停下車です。
JR宇都宮駅から歩くと25分ほどかかります。
東武宇都宮駅からですと徒歩10分ほどになります。
駐車場は、宇都宮市役所の東第2駐車場が無料で利用できます。


スポンサーリンク



また、金曜日、土曜日、日曜日の日没からは、21時まで、ライトアップを行っているそうです。
宇都宮城の見学所要時間は20分程度といったところでしょうか?
無料の宇都宮城ものしり館からは、館内のエレベーターにて、土塁の上まで登れますので、ぜったいに入館しておきたいところです。

宇都宮広綱 何度も下克上を受けた不遇な武将
下野・諏訪山城 宇都宮勢1万5000に攻められる
鹿沼城 (坂田山城)の解説 壬生綱重・壬生綱雄
皆川広照 戦国を生き抜いた栃木の大名
下野・西方城 激戦となった皆川氏と宇都宮氏の舞台
下野・多気城(下野・多気山城) 宇都宮氏が整備した本格的な山城
本多正純~吏僚としての才能を発揮し徳川幕府の為に尽くすも
亀姫の解説 徳川家康の長女【加納御前】
関東周辺の観光・史跡オリジナルGoogleマップ


スポンサーリンク



コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (1)

    • 匿名
    • 2023年 2月 08日

    徳川 家康(死亡日 1616年6月1日

城迷人たかだ

投稿者の記事一覧

高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

都道府県別


スポンサーリンク

只今人気のお城

城めぐり 2400城超えました

城めぐり
PAGE TOP