茨城県

常陸・宍戸城 宍戸義綱 宍戸錠さん?にも関連する宍戸氏

宍戸城

常陸・宍戸城(ししどじょう)は、宍戸藩の陣屋が置かれたことから、宍戸陣屋とも言います。
ただ、Googleなどで宍戸城と検索致しますと、宍戸錠さんがヒットしますので、宍戸城よりも宍戸錠さんの偉大さがよく分かりますが、宍戸城も日本の歴史的にはとても大きな繋がりを持つ城跡です。

最初の築城は、建仁3年(1203年)に小鶴荘(宍戸荘)に入った、八田知家の4男・宍戸家政が築いたとされます。
八田知家は鎌倉初期の武将で、常陸・小田城を築城して本拠として常陸守護になっていました。





子には小田城を継いだ小田知重、美濃・伊自良城に入った伊自良有知、茂木城(桔梗城)主・茂木知基、そして宍戸家政、筑波城主・筑波為氏、越前の浅羽知尚、常陸・田中城の田中知氏、常陸・北条城には高野時家、筑波中禅寺別当になった明玄、養子しては横山党小野氏のから迎えた中条家長(中条義勝の子)がいますが、八田ノ八兄弟とも称します。
当時、小田氏の支配域が広かったことがよくわかりますね。
小田城の宗家(嫡流)に代わって、宍戸氏が常陸守護を代行する時期もあるなど、宍戸氏は常陸において重要な一族になりました。

その後、南北朝時代になると、南朝に味方した小田氏とは異なり、1333年、宍戸知時の子・宍戸朝家(宍戸安芸守朝里)は足利尊氏(北朝)に従い京の六波羅探題を攻めました。
その戦功にて、安芸国甲立荘を賜わり、1334年には甲立に下向して、柳ヶ城を居城にしています。
その後、吉田郡山城からほど近い、安芸・五龍城を築いて移りましたが、この家系が毛利元就の長女・五龍局を正室に迎え、毛利家一門になった安芸・宍戸氏と言う事になります。
宍戸隆家吉川元春小早川隆景に次ぐ待遇を受け、湯築城主で伊予・河野氏の最後の当主の河野通軌も、宍戸元秀の子と宍戸氏一族で、もとは宍戸景好と称していたと考えられます。
このように安芸の宍戸氏は毛利一門筆頭(1万2000石)として、江時代には長州藩の家老を務め、幕末には宍戸親基が毛利敬親を支え、1866年の第2次長州征討でも芸州口の指揮を執り幕府軍を撃退しています。

話がそれましたが、本流は安芸に移りましたが、常陸の宍戸氏は、安芸に移った宍戸朝家の弟・宍戸家義が継承したとも考えられ、その子・宍戸義秀は陸奥・宍戸氏(大石宍戸)の初代になりました。
戦国時代には伊達稙宗の家老を務めました。

また、宍戸朝家の曾孫である宍戸持里は、常陸・山尾城にいましたが、1441年に常陸・太田城主の佐竹義憲に従って常陸・小栗城を攻めています。
このように、小田家が衰退したことから、やがて、常陸・宍戸氏は佐竹氏に従うようになっていました。

戦国時代、常陸・宍戸氏としては宍戸義綱がいます。





宍戸義綱

宍戸義綱は、宍戸城主として小田氏治に味方していましたが、1556年、結城政勝が小田家に奪われていた海老ヶ島城を奪還しようとし、海老ヶ島の戦いになります。
この合戦は、結城勢の援軍として、小田原城北条氏康から岩付城主・太田資正江戸城主・遠山綱景が加勢し、大規模な合戦に発展しました。
小田勢は大敗したことから、宍戸義綱は以後佐竹家に従い、佐竹勢として小田城の戦い、小川台の戦い、沼尻の戦いなどにも参陣しました。
1585年、江戸家と大掾家が争った際には、江戸家に味方して大掾家とも戦っています。
1588年、大掾家が宍戸領に侵攻しても、江戸家を助けました。
しかし、江戸家中に「神生の乱」が起こると、宍戸義綱は神生右衛門大夫を助けています。

1590年、羽柴秀吉の小田原の攻めで、佐竹義宣が小田原に参陣して豊臣秀吉に謁見した際には、宍戸義綱も真壁城主・真壁氏幹らとともに参候し、太刀、馬、金を献上しました。
1591年、佐竹家が常陸の統一を押し進めた際には、宍戸義綱は江戸勢として水戸城の籠城に加わったようで、討死しています。
その後、子の宍戸義長は鹿島に逃亡、常陸・宍戸家は佐竹氏と親密な関係にあった宍戸義利が継ぎました。
1595年には海老ヶ島城へ転封となっています。
その宍戸義利が死去すると、宍戸義長が許されて家督を継いだと考えられます。
1600年、関ヶ原の戦いのあと、佐竹家は出羽・久保田城へ転封となりましたが、宍戸義長は秋田へは従わず土着しました。
なお、宍戸氏の一族には秋田へ移った者もあり、茂木氏とともに出羽・十二所城に配置されています。

さて、宍戸城はこれだけでは終わりませんので、繰り返しますが、歴史深い城なのです。

佐竹家が秋田に移って、かわりに宍戸城に入ったのは、なんと、出羽・湊城主の秋田実李(安東愛季の子)と言う事になります。
5万石に減封されましたが、宍戸城に移り大改修されました。
その後、秋田氏は江戸時代の1645年に、陸奥・三春城に55000石にて転封となり、一時、宍戸は幕府直轄領になりました。

天和2年(1682年)には、徳川光圀の弟・松平頼雄が10000石にて、宍戸藩主となり、宍戸陣屋を設け、そのあとは松平氏が代々続き幕末に至っています。
ただし、常陸宍戸藩の第9代藩主である松平頼徳(まつだいら-よりのり)は、水戸で蜂起した天狗党に同情的で鎮圧に失敗したことから、切腹となりました。享年34。
この時、家臣の多くも処刑され、宍戸藩は改易(所領没収)となっています。

現在、城跡には南北に道路が開かれたことで、市街地化し、遺構はほぼ消滅しています。
一部、土塁が残っている場所が末廣稲荷神社となり、土塁のうえにあると言う事でして、土塁はなかなかの大きさを誇ります。

宍戸陣屋

歴史民俗資料館には宍戸城についての展示もあるようで、岩間町の民家には陣屋の表門が移築されていると言います。

宍戸城の表門

交通アクセスですが、JR常磐線の友部駅から徒歩約10分です。
無料駐車場(数台)の場所は、当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。





ちなみに、 俳優の宍戸錠さんは、大阪出身ですが、戦争中には親戚がいた宮城県白石市に疎開しています。
五十沢と耕野に隣接し、この地域に親戚もいることから、宍戸錠さんは、陸奥・宍戸氏の一族の家系とも考えられます。

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攻略難易度
中級者向け
旧国名
常陸
著者コメント
大きな土塁が残るのみ。




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