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上野・金山城(新田金山城) 石垣が素晴らしい関東の山城【日本100名城】

上野・金山城

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上野・金山城(新田金山城)とは

上野・金山城(かなやま-じょう)は、群馬県太田市金山町にある標高236mの山城で、比高は約200mほどです。
別名は、新田金山城、太田金山城とも呼び、国の史跡になっているほか、日本100名城にも選ばれています。
金山の山頂は実城(みじょう)と言い、本丸から四方に延びる尾根上に城や曲輪が作られており、ほぼ全面に石垣を用いていたことがわかっています。


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最初の築城としては、室町時代の1469年に新田一族の岩松家純が築いたとされます。
岩松氏と言うのは足利氏の支流で、室町幕府寄りの礼部家と、鎌倉公方・足利持氏よりの京兆家と一族も分裂していました。
岩松家純(いわまつ-いえずみ)は、1461年、敵対していた岩松持国・岩松次郎の父子を暗殺します。
更に、1469年、後閑城を支配した岩松成兼(岩松持国の子)を討ち取ったようで、岩松家を統一しています。
こうして、新田庄に新たな城として上野・金山城(新田金山城)が築かれたようで、新田義貞の子孫を代表した岩松氏も盛隆を極めました。

上野・金山城

岩松家純の正室は上杉禅秀の娘(諸説あり)とされ、嫡男に岩松明純(いわまつ-あきずみ)がおり、京にて室町幕府8代将軍・足利義政に仕えていました。
ちなみに、アニメ一休さんに出てくる蜷川新右エ門のモデルとされる蜷川新右衛門の娘が、岩松明純の正室ですのでやはり室町幕府との繋がりは強かったようです。

上野・金山城

しかし、この岩松明純は、若気の至りなのか、金山城に戻ると、関東管領・上杉顕定から領土加増と引き換えに参陣することを勝手に約束してしまいます。
そのため、勘当されて子・岩松尚純と共に、上杉顕定の鉢形城に逃れました。
1494年、岩松家純が死去すると、金山城の築城指南もしたと言う筆頭家老・横瀬国繁の子・横瀬成繁(よこせ-なりしげ)が、呼び戻しますが、岩松明純は廃嫡されており、子の岩松尚純が家督を継いでいます。

上野・金山城

このような経緯もあり、家老の横瀬成繁の権力は大きく対立し、1495年に古河公方足利成氏の仲介を受けます。
擁立されたのは、岩松尚純の子・岩松昌純でしたが、1528年には横瀬泰繁・横瀬成繁が主君・岩松昌純を殺害した実権を握り、上野・金山城主となりました。

上野・金山城

横瀬氏は、小野氏流である横山氏の一族となり、新田四天王の由良具滋の末裔であったことから、横瀬成繁は由良成繁と改名しました。
由良成繁(ゆら-なりしげ)は、林城を攻略したあと、佐野重綱を唐沢山城に追い、館柄杓山城(桐生城)を落とすと隠居し、新田金山城には由良国繁が入っています。

新田金山城

1574年には、春日山城上杉謙信が金山城を攻撃しました。
1584年、北条氏政は由良国繁・長尾顕長の兄弟を小田原城に呼び寄せると幽閉します。
そして、北条氏邦北条氏照ら3500騎が金山城、館林城を包囲ました。

新田金山城

金山城に重臣の横瀬勘九郎、久米伊賀守らがいましたが、北条氏の攻撃を受け、由良成繁の正室・赤井重秀の娘(妙印尼)が、71歳で篭城戦を指揮した女傑として知られます。
金龍寺や足利長林寺の仲介にて北条氏直に降伏すると、由良国繁は、桐生城に隠居しました。
ちなみに、由良成繁の娘は、忍城城主・成田氏長の正室になっており、忍城の戦いで女武将として戦ったともされる、甲斐姫(のち豊臣秀吉の側室)を産んでいますので、由良家にまつわる女性は強かったようです。

上野・金山城

それ以降は、新田金山城には、大胡高繁、宇津木氏久、大井豊前守、高山遠江守、清水正次(清水太郎左衛門正次)などが北条家の家臣が金山城に派遣されており、石垣などの設置が進められたようです。

そして、豊臣秀吉の大軍が小田原城に迫ると、北条氏の要請従って、由良国繁・長尾顕長の兄弟も小田原城に入ったようです。

上野・金山城

ただし、妙印尼(みょういんに)は、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際にも、由良国繁の嫡男・由良貞繁と桐生城を守っていましたが、前田利家にいち早く降伏し、豊臣勢の松井田城攻撃にも加わりました。
そのため、小田原城が降伏したあと、妙印尼は堪忍分として常陸・牛久城に5400石を与えられ、由良国繁は家名を保っています。
4男・渡瀬繁詮は、豊臣秀次の家老になっていことから、遠江・横須賀城にて3万500石です。

上野・金山城

よく関東の山城に石垣が無いと言いますが、それは古い見解で、今では、多くはないものの石垣を用いた山城も多いです。
ただ、石垣は鉄砲除けや防御と言う意味合いよりは、がけ崩れ防止と言う処置になっている場合が多いように感じます。

上野・金山城

交通アクセス・駐車場

上野・金山城(新田金山城)への交通アクセス・行き方ですが、東武伊勢崎線の太田駅北口からタクシーで12分となります。
なお、だいぶ山上の方の西城に、モータープールと呼ばれる無料駐車場があり、駐車場から実城(本丸)まで約15分となります。
下記が駐車場の入口で、ここまで、道路凍結していなければ、自動車やタクシーで入れます。
当方のオリジナル地図もご活用頂けますと幸いです。

上野・金山城

レンタサイクルの手もありますが、山城ですので、歩いて登らなくてはなりません。
下記は、最高部の本丸?で、上には新田神社があります。

上野・金山城

私はやっていませんが、日本100名城のスタンプが設置されている場所は、山頂近くの南曲輪にある休憩所「中島記念公園」にあります。

上野・金山城

新田と言えば、新田義貞が有名ですが、当時の新田城(新田館)の場所に関しては、諸説あり、よりわかっていないようです。
ただし、反町館が有力なようです。

上野・金山城

下記は山麓にある、史跡金山城跡・ガイダンス施設になります。

史跡金山城跡・ガイダンス施設

史跡金山城跡・ガイダンス施設の入館は無料で、金山城の模型やたくさんの展示などがありました。

上野・金山城(新田金山城)

ガイダンス施設にも無料駐車場がありますので、先に寄って見学してから、クルマで上に移動して、城跡を巡りたいところです。
見学所要時間はガイダンスも入れて、60分~120分といったところになります。
足利学校や、上野・小泉城などとセットでどうぞ。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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