埼玉県

武蔵・小倉城 石を使用した城としては埼玉では一番古いか?

武蔵・小倉城




武蔵・小倉城(おぐらじょう)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある標高139m、比高70mの連郭式山城で、国の史跡に指定されています。

麓の三方を流れる槻川(つきかわ)は、紅葉でも有名に嵐山渓谷と言う谷間になっている要害で、背後の尾根からは、武蔵・青山城にも通じていると言います。
築城時に出た石(石の板)を用いて石材を利用した石塁が随所に築かれており、関東では珍しい、石材を使った山城になっているそうです。
大きな他所は、幅100m、高さ5mの石塁(石垣)になっているようです。

武蔵・小倉城

その嵐山渓谷には遠山甌穴(おうけつ)があるように、地元の地名は「遠山」です。
武蔵・小倉城の居館跡とされる東麓の大福寺には「遠山衛門大夫藤原光景室葦園位牌」と言う位牌があり、城主だった遠山氏の室(華楽院殿妙香大禅定尼)の位牌と伝わります。
と言う事で、この位牌からは、城主が遠山右衛門大夫光景(遠山光景)と読み取れます。
※当サイトの写真はパソコンからクリックしますと拡大します。

武蔵・小倉城

遠山氏と申しますと、美濃・岩村城などの明知・遠山氏がおり、戦国時代に武田家に攻められた際に、小田原城の北条家を頼った一族がいたともされます。
また、北条早雲が奉公衆だったころに知り合ったとされる、美濃・明知城主の遠山直景が1521年前後に、北条家の重臣として加わったとする説もあります。
このように武蔵・遠山氏になった遠山直景は、のちに江戸城主を任されています。
家督は遠山綱景が継ぎますが、葛西城を与えられています。
しかし、遠山綱景は1564年、第二次国府台の戦いにて討死し、遠山綱景の子・遠山康景も討ち取られたため、次男の・遠山政景(遠山直親とも?)が江戸城に入りました。
この、遠山政景(遠山直親)が、武蔵・小倉城から江戸城に入った可能性があります。

武蔵・小倉城

その遠山政景の子に遠山左衛門大夫(遠山右衛門大夫とも)がいます。
遠山光景ですね。
武蔵・小倉城に残ったと言う事になるかと存じますが、遠山光景は、遠山直景と同じ人物か、遠山光景の子か弟が、遠山直景と言う事になるのかも知れません。

埼玉の城

あとでわかったのですが、遠山寺(えんざんじ)には、遠山右衛門大夫光景の宝篋印塔があるそうです。

いずれにせよ、憶測の域を脱しませんが、他には、武蔵・松山城主の上田氏が城主としても伝わるそうですので、北条氏が支配する前は、上田氏の一族が城主だった可能性も否定できません。
武蔵・上田氏と言いますと、上田朝直、子の上田長則・弟の上田憲定などがいます。

武蔵・小倉城

交通アクセスですが、遺構が素晴らしい武蔵・杉山城から車で15分ほどの距離です。
しかし、辺鄙なところですので、公共交通機関での訪問は困難です。
あえて記載すれば、東武東上線の武蔵嵐山駅から「ときがわ町路線バス」の「と02」系統「せせらぎバスセンター」行きに乗車して約20分、田黒バス停下車します。
そして、徒歩で30分ほどで登城口となります。

大福寺近くには無料駐車場と登山口があります。
また、大福寺から南に約200mほどのところを入り、舗装されている林道小倉線を約500mぐらい進むと、小倉城登城口の案内板があります。
そこから、徒歩10分~15分ほどで本丸になる模様です。
当方のオリジナル関東地図で、その場所を印しておきます。
武蔵・菅谷城の資料館にも若干ですが、武蔵・小倉城の資料展示があります。

武蔵・菅谷城(菅谷館) 土塁や掘がよく残っている歴史ある館跡
武蔵・杉山城 関東では素晴らしい遺構の山城





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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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