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亥鼻城(千葉城)の解説~千葉胤直が最後の千葉氏宗家

亥鼻城(千葉城)

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亥鼻城(千葉城)とは

亥鼻城 (いのはな-じょう) は、千葉県千葉市中央区にある平山城で、標高は21m、比高18mです。
別名は、猪鼻城とも書きますが、一般的には千葉城が使われることも多いです。
最初の築城としては、平安時代末期の大治元年(1126年)に、千葉常重が築城したとされます。

亥鼻城

千葉氏は、桓武天皇の血を引く関東の名族で、藤沢にある相模・村岡城の平良文(たいら の よしふみ)から、千葉氏・秩父氏・中村氏(・土肥氏・小早川氏)へと分かれて行きました。
千葉の最初の領地としては、下総・大友城が拠点だったようです。
千葉常重(ちば-つねしげ)は、後三年の役にて戦功があり、下総・大友城主である平常兼の3男となります。


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兄に白井常親(臼井常親)がおり、佐倉の下総・白井荘を領して、千葉氏の一族「白井氏」の租となりました。
弟に臼井常康がおり、印旛沼近くの下総・臼井庄(臼井城)を領して、千葉氏の一族「臼井氏」の租となりました。
千葉常重は、1124年に、叔父の相馬常晴(平常晴)より、下総・相馬郡の郡司を譲られ、大椎城(大椎館)に入ったようです。
しかし、2年後の1126年に、千葉介となった父・平常兼が死去したため、千葉郡も、追加で受け継ぎ、亥鼻城(千葉城)に本拠を移し「千葉氏」の租となりました。

亥鼻城

ただし、平安時代に、小高い山の上に、屋敷を構えたとは考えにくく、生活の場は、井戸もある、麓の都川沿いにあったものと考えられ、現在の千葉地方裁判所付近(都川のほとり)が、千葉氏館跡(千葉館)と推定されているようです。

千葉氏館(千葉館)

明治15年くらいまでは、土塁も残っていたようですが、御承知の通り、県庁も近い官公庁街でもあり開発が繰り返され、遺構を確認するのは、もはや困難と言え、亥鼻城は、詰の城と考えてよいでしょう。
なお、海岸線は、亥鼻城に迫っていたと推測できます。

亥鼻城

千葉常重の妻は、石毛政幹の娘(鹿島政幹の娘)で、1118年に嫡男・千葉常胤(ちば-つねたね)が生まれていました。
下記は、千葉常胤の騎馬像です。

千葉常胤

石橋山の戦いに敗れた源頼朝が房総に渡ると、千葉常胤は、同族の上総広常と共に、再起を図る源頼朝を助けたことで、鎌倉幕府樹立に大きく尽力しました。
北上してきた源頼朝を千葉氏館にて出迎えた際に「井戸」の水を沸かしてお茶を出したとされ、下記の井戸は「お茶の水」と呼ばれています。

お茶の水

こうして、千葉氏の歴代当主が下総の守護と権介を兼ねるようになり、特別な敬意を込めて「千葉介」(ちばのすけ)、すなわち、千葉郡を領する介(権)と呼ばれました。

亥鼻城

室町時代の後期に、山内上杉家・扇谷上杉家が推した鎌倉公方(堀越公方)足利政知と、古河公方になった足利成氏が、関東で争った享徳の乱(きょうとくのらん)になると、下総国の守護である千葉家は、室町幕府に味方する者と、古河公方に味方する者で「内紛」となりました。
何百年も続き、一族・庶子が多い名門は、だいたい、内紛となることが多いです。

亥鼻城

千葉胤直

この時の千葉宗家である16代・千葉胤直は、鎌倉公方・足利持氏に仕えていた千葉兼胤と、母・上杉禅秀の娘の子として、1419年に生まれました。
千葉胤直(ちば-たねなお)は、室町幕府将軍の座を狙った足利持氏を、関東管領・上杉憲実と共に諌めるなどします。

亥鼻城

このように、幕府に反抗的な行動をとっていた鎌倉公方・足利持氏は、将軍・足利義教から討伐を受け、鎌倉・永安寺にて自刃しました。
その後、遺児で生き残っていた足利成氏が鎌倉公方に就任しますが、山内上杉家・扇谷上杉家と対立し、北関東へ逃れて、古河公方を称することになったのです。

亥鼻城

千葉胤直は、母が上杉禅秀の娘であることからも、上杉氏に味方しており、重臣の円城寺尚任らと足利成氏の討伐に乗り出しました。
しかし、不満を抱いていた、馬加城主で叔父の馬加康胤と、重臣で小弓城主の原胤房が、1455年8月12日、円城寺尚任を殺害します。


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また、亥鼻城も攻撃を受けた陥落したため、千葉胤直と、弟・千葉胤賢は下総・志摩城や多古城に逃れました。
しかし、8月15日には、千葉胤直も討たれ、更に、下総・小提城へ逃れた千葉胤賢も、9月7日に討たれて、千葉氏宗家は滅亡しました。

亥鼻城

ただし、千葉胤賢の遺児である千葉実胤・千葉自胤の兄弟は、 室町幕府8代将軍・足利義政が派遣した、千葉氏庶流で室町幕府奉公衆の東常縁の支援を受けて、馬加康胤・馬加胤持や小弓城主の原胤房を討取りました。
しかし、足利成氏が派遣した、水海道城主である簗田持助に敗れ、1456年1月19日には、下総・市河城も陥落しています。

亥鼻城

そして、千葉実胤・千葉自胤の兄弟は、国府台城にて籠城します。
しかし、古河公方足利成氏の勢力に破れると、隅田川を渡って、武蔵・石浜城、武蔵・赤塚城へと逃れ、江戸城主である扇谷上杉家の重臣・太田道灌に保護されました。

亥鼻城

古河公方・足利成氏は、馬加康胤の子(異説あり)とされる千葉輔胤を押しており、千葉輔胤は、下総国を平定すると千葉宗家の地位へ就きました。
千葉輔胤(ちば-すけたね) に関しては、よくわかっていない武将なのですが、本佐倉城を拠点にしたようで、子の千葉孝胤は勢力を拡大しています。

亥鼻城

その後、大規模な改修が行われたような形跡がないようで、この千葉氏混乱の中、亥鼻城は廃城になったものて推定されています。
千葉城と言う名称が出てくるのは、江戸時代になってからの古地図によるものです。


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現在、千葉城跡は亥鼻公園として整備されており、模擬天守になっているのは「千葉市立郷土博物館」ですが、当然、千葉氏の宗家が滅んだ頃に、天守はありませんでした。
1967年(昭和42年)に、1億7000万円かけて建てた、鉄骨鉄筋コンクリート造の模擬天守となりますが、このような建物が無いよりは、あった方が断然良いので、支持したいところです。

千葉城

また、無料の博物館(昔は60円)では、千葉氏を中心にした展示になっており、見ごたえもあるようです。(閉館中につき入れませんでしたが・・。)
4月には、桜が満開となり「千葉城さくら祭り」で、1年で1番賑わうようです。


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交通アクセス

千葉城(亥鼻城)への交通アクセス・行き方ですが、千葉都市モノレール「県庁前駅」から徒歩約6分、またはJR東日本「本千葉駅」から徒歩約10分と近いです。
また、千葉駅の東口から京成バス・ちばシティバスに乗車して、郷土博物館・千葉県文化会館バス停にて下車すると、徒歩2分程度に短縮できます。
駐車場は、千葉市立郷土博物館などが開館している際には、無料駐車場を利用できるようです。
私の場合、西の麓にあるコインパーキングに止めて訪問させて頂きました。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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