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生実城の解説(北小弓城) 原胤清・原胤貞・原胤栄【足利義明の小弓御所】 

生実城




生実城(北小弓城)とは

生実城(おゆみじょう)は、千葉市中央区生実町にある平山城で、標高は12m、比高は8mほどになります。
最初に、南1.5kmの地点にある「小弓城」との関連性を述べたいと存じます。
城名の読み方は、生実城「おゆみじょう」で、南にある小弓城も「おゆみじょう」と言い、同じです。
南側を通過する都市計画道路の整備に伴う発掘調査により、生実城跡は、室町時代の1400年後半に、既に使われていたことも確実となっています。
<注釈> 1531年の銘がある庚申待板碑も出自したようです。

生実城・北小弓城

しかし、古い文献では「小弓城」と書いていることから「あゆみじょう」は、古くは、南にある「小弓城」が使われていたと推定できます。
そして、古い小弓城を廃城にしたのか、あとから、北のこの「生実城」が築かれたと考えられます。
と言う事で、城跡の紹介と致しましては、通常は、生実城と小弓城を「ひとつの城郭」として、ご紹介するべきところではありますが、あえて、2つに分けて、記事に致しますこと、お許し願います。





生実城の別名ですが、上記のような理由から、小弓城と区分するため、別名としては、北小弓城、北生実城となります。
丘の上にある住宅街にある本城公園に、案内板もありました。

北小弓城・北生実城

小弓御所

小弓城は、千葉氏の一族である原氏の居城でしたが、戦国時代の1518年に、第3代古河公方・足利高基の弟である足利義明が、真里谷城・真里谷信清の支援を受けて、原胤清(はら-たねきよ) の小弓城を奪い「小弓御所」としました。
小弓公方の小弓御所(おゆみごしょ)は、従来の場合、小弓城のほうであったとされますが、ここ生実城に小弓御所が置かれたとする説が有力となりつつあるようです。
すなわち、小弓城は、戦国時代の初期には、使われなくなっていた可能性があります。

小弓御所

その後、1538年、第1次・国府台の戦いにて、里見義堯らを味方にした足利義明が、北条氏綱に敗れて、小弓公方が滅亡すると、原胤清が、千葉昌胤の援軍も得て旧領を奪還し、城名を「生実城」との表記に改めともされます。
恐らくは「本城公園」と言う小さな公園がある付近を、本丸にしていたと考えられます。
その周りの外郭部は、かなり広大で、現在は、生実池しか残っていませんが、完全に沼で囲まれ、いくつも郭(台地)があった、水城だった模様です。

小弓御所

東にある北小弓城・大手口跡の石碑があるところも、水堀があったようで、西の端が生実池であったと考えてよいでしょう。

原胤清・原胤貞原胤栄

原胤清は、1539年に隠居したともあり、下総・小西城だった子の原胤貞が、生実城に移った模様です。
主家の千葉氏は、北条氏政の家臣に取り込まれる中、千葉氏の重臣として実力をつけた原胤貞(はら-たねさだ) は、1557年、臼井城臼井景胤が死去すると、跡を継いだ臼井久胤の後見役となって、臼井城に入り、原氏が臼井城の支配も行うようになりました。

生実城

1561年、里見勢の正木信茂が侵攻した際に、臼井城と生実城は陥落しています。
永禄8年(1564年)、第2次・国府台合戦にて、里見義堯・里見義弘が、北条氏康北条綱成らに大敗した際ともされますが、千葉胤富らの助力により臼井城と生実城を奪還しました。
原胤栄(はら-たねひで)に代替わりすると、1571年にも、久留里城の里見義弘から生実城が攻撃されたとありますが、撃退した模様です。
ただし、1574年から、原氏は臼井城を本拠としたため、生実城には、家来が入ったものと推測されます。





1590年、豊臣秀吉小田原攻めの最中に、原胤栄は死去し、江戸城に徳川家康が入ると、西郷家員が5000石で生実に入封しました。
西郷家員(さいごう-いえかず)の妹・西郷局(さいごうのつぼね) は、徳川家康の側室になっており、1579年に、徳川秀忠を産んでいます。

北小弓城

江戸時代に入り、1623年、酒井重澄(金森可重の7男)が2万3000石にて、生実藩主となっています。
しかし、職務怠慢で改易となり、徳川秀忠の近習だった森川重俊が、1万石で入ると、生実陣屋が設けられましたが、陣屋は、現在の生実神社にあったようです。

生実神社

生実神社の部分は、生実城の出丸だった可能性があり、生実神社の脇に、土塁と空堀が残っています。

北小弓城

また、生実神社より、県道66号線を東へ少し行った道路わきに、北小弓城大手口跡の石碑があり、その北側には土塁も残っているようです。

北小弓城大手口跡

これらを考慮しますと、生実城の城域も、結構な広さがあったものと想像できます。





交通アクセス

生実城への交通アクセス・行き方ですが、京成千原線の学園前駅から徒歩10分くらいの距離となります。
丘の上にある本城公園までは、道路距離で約1.8km、徒歩25分の距離です。
駐車場は、生実神社の駐車場(約20台)を利用すると便利でしょうが、城域が結構広いので、散策する場合には1時間以上はみたほうが良いです。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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