千葉県

国府台城 江戸川沿いの台地にある下総の拠点

国府台城




国府台城(こうのだい-じょう)は千葉県市川市国府台にある平山城で、別名は市河城(市川城)、鴻之台城とも言います。
江戸川の脇にある標高20mほどの河岸段丘(国分台地)上にあり、羅漢の井と言う湧き水もあることから籠城にも適した場所と言えます。

最初の築城経緯ですが、古河公方足利成氏に味方した原胤房と馬加康胤らにより、千葉氏は衰退し、室町幕府から千葉氏の相続を認められた千葉自胤(ちば-よりたね)は、逃れていた赤塚城から移ったようで、南千住近くの隅田川脇になる武蔵・石浜城を根拠地とします。
そして、1478年、扇谷上杉家の太田道灌が千葉自胤を助けて、印旛沼近くにある臼井城を攻略するため、境根原合戦の際に前線基地(仮陣)として使用し、1479年、太田資忠(太田道灌の弟)が国府台城として築いたとされます。





それより前としては、平安末期に石橋山の戦いで敗れた源頼朝が安房へ逃れたあと、鎌倉を目指しますが、国府台にて半月ほど在陣して、兵が集まるのを待って、鎌倉入りしています。

国府台城

国府台(こうのだい)の地名由来としては、日本武尊がこの場所から江戸川を渡って武蔵国へ入る際に「コウノトリ」が飛んできて、浅瀬を教えてくれたので、無事に渡れたとして、コウノトリに褒美としてこの場所の領有を認めたとことから鴻之台(こうのだい)と言う地名になったとされます。
まぁ、江戸川(太日川)にある矢切の渡しを渡るのに在地豪族が協力したのでしょう。

江戸川

その後、下総の国府が置かれたことから、地名は国府台と書くようになったものと推測されます。

戦国時代、1538年には小弓城の小弓公方・足利義明と久留里城里見義堯ら下総連合軍と、古河公方・足利晴氏に協力した北条氏綱北条氏康高城胤吉・原胤清ら相模連合軍が激突し、第1次国府台合戦となりました。

国府台城

1564年にも、厩橋城に入った上杉謙信の命を受けた岩槻城太田資正、佐貫城の里見義弘らが市河津付近に進出したため、北条氏康・北条氏政らが迎撃に出て、第2次国府台合戦となりました。

国府台城

このとき、北条勢は、先鋒の遠山綱景(遠山丹波守綱景)と、富永康景(富永三郎左衛門尉康景)が討死しますが、迂回した北条勢が挽回して勝利しています。

国府台城

その後、北条氏によって改修されたようですが、下記は堀跡でしょうか?

国府台城

1590年に徳川家康江戸城に入ると廃城となった模様です。

里見広次ならびに里見将軍士亡霊の碑

第2次国府台の戦いでは、里見義弘は8000の軍勢で国府台に陣を構えました。
しかし、北条勢の夜襲を受けて、里見広次(里美弘次)、正木内膳(正木信茂)ら5000も討死したとされます。
その討死した将兵らの供養碑と言う事になります。

里見広次ならびに里見将軍士亡霊の碑

夜泣き石

夜泣き石は、第2次国府台の戦い伝説を伝える石で、公園に隣接する総寧寺から移設されたものです。
合戦で討死にした里見広次の娘が、安房からやってくると、この石に持たれて泣き続け、その後、息絶えたとの事ですが、その後も、夜な夜な泣き声が聞こえる石になったと言います。

夜泣き石

のちに、一人の武士が通りかかり、姫の供養をしてからは、泣き声が聞こえなくなったと言う、落城秘話となっています。
ただし、討死した里見広次は初陣の15歳前後であったとされ、娘は13歳くらいだったとの伝承もあるため、この話には矛盾があります。
小生は、娘ではなく「妹」だったのではと推測する次第ですが、里見氏は久留里城を奪われるなど上総国の大半を喪失し、大きく衰退したことから、悲観して息絶えたこの女性は、自刃した可能性も捨てきれないと存じます。

なお、土台になっている石材は、この国府台城跡にある古墳に使われている筑波石となります。

国府台城

矢切の渡しの「矢切」(やぎり)は、戦国時代に2回も大きな合戦があり、田畑や村が荒廃した人々が、弓矢を嫌って「矢切り」、「矢切れ」、「矢喰い」の名が生まれたとされ、その名残りと言えるでしょう。
それ以前は「からめきの瀬」と呼ばれていたようです。
国府台城も、晴れていれば、東京スカイツリーや、富士山を望める景勝地です。

国府台城

現在、桜の名所でもある里見公園として整備されています。
昭和初期の1927年~1934年ごろに「里見八景園」という遊園地があったことから、里見公園と言う名称になっているようです。

里見公園

国府台城への交通アクセス・行き方ですが、京成本線の国府台駅から江戸川堤を歩くこと約15分となります。
駐車場は公園から江戸川(太日川)に下がった河川敷の脇にありますので、当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。

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