千葉県

小弓城 (小弓館)の解説 古い館跡の可能性もある千葉の原氏居城

小弓城 (小弓館)




小弓城(おゆみじょう)は、千葉県千葉市中央区南生実町にある平山城で、標高は26m、比高20mほどになります。
北1.5kmの地点に「生実城」がありますが、城名は、南にある小弓城「おゆみじょう」と、北にある生実城「おゆみじょう」は、漢字は異なりますが、読み方は同じになります。
古い文献では「小弓城」と書いていることから「あゆみじょう」は、南にある「小弓城」が戦国時代にも使われていたと考えられてきました。
しかし、生実城跡の発掘調査により、北の生実城は、室町時代の1400年後半に、既に使われていたことも確実となっています。
そのため、古い小弓城と北の生実城とは、本来であれば「ひとつの城郭」として、ご紹介するべきところではありますが、あえて、2つに分けて、記事に致しますこと、お許し願います。

小弓城

小弓城の別名ですが、上記のような理由から、生実城と区分するため、別名としては、南生実城、南小弓城となります。
大治元年(1126年)に、千葉氏亥鼻城を築城した際、その南の守りとして小弓城を築き、一族の原氏に守らせたとあります。





下総・原氏の租は、平安時代の武将で、大椎城に入った平常長の子・原頼常と考えられますが、その原氏の系統は途切れたようで、のちに、原氏の名跡を継いだのが、原胤高(原孫次郎)となります。
原胤高(原四郎胤高)は、亥鼻城主である千葉氏胤?の4男(実父は謎)ともされますが、応永年間(1394年~1428年)に、小弓城に入ったようで、千葉宗家を支えました。
ただし、鎌倉時代から、千葉氏が砦のようなモノを築いていた可能性はあります。

南小弓城

戦国時代の1509年に、連歌師・柴屋軒宗長が、原胤高に招かれて、小弓館にて、猿楽や連歌に興じたとの記録があります。
ただし、この小弓城は、すでに、北の生実城(北小弓城)であった可能性もあるようです。

小弓館

1518年に、第3代古河公方・足利高基の弟である足利義明が、真里谷城・真里谷信清の支援を受けて、原胤清(はら-たねきよ) の小弓城を奪い「小弓御所」としました。
この時、一族と考えられる、原友胤と原虎胤は、甲斐の武田信虎を頼ったようで、原虎胤は武勇名高い猛将「鬼美濃」と呼ばれるようになりました。

小弓城

この小弓公方の小弓御所は、従来の場合、小弓城のほうであったとされますが、北にある生実城に、小弓御所が置かれたとする説が有力となりつつあるようです。
下記は八剱神社です。
雨は降っていなかったのですが、道が濡れている状態での訪問となりました。

八剱神社

すなわち、小弓城は、戦国時代の初期には、使われなくなっていた可能性があります。

八剱神社

その後、1538年、第1次・国府台の戦いにて、里見義堯らを味方にした足利義明が、北条氏綱に敗れて、小弓公方が滅亡すると、原胤清・原胤清(はら-たねきよ) が、千葉昌胤の援軍も得て旧領を奪還し、城名を「生実城」との表記に改めともされます。
ただし、それ以前から、北にある生実城の場所が、小弓城であったと推測されます。
八剣神社の脇(トップ写真)は、かつて掘の底だったようですが、現在は道路が通っています。





小弓城の本丸とされる場所は、現在、広照寺の「墓地」になっており、その一角に、案内板が建てられています。

小弓城

交通アクセス

京成電鉄・千原線の学園前駅より、徒歩15分くらいの距離です。
路も狭く、駐車場がないので、大百池公園の無料駐車場を利用させて頂きました。
駐車場からで見学所要時間は30分前後です。
なお、八剱神社の西側(堀切のところ)に、1台ほど路肩止められそうですが、長時間の駐車は自粛したいところです。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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