千葉県

下総・小金城(大谷口城) 江戸川沿い最大の平山城

下総・小金城




下総・小金城(こがね-じょう)は、別名を大谷口城、開花城、大谷口小金城とも言う千葉県松戸市大谷口の平山城で、標高は22m、比高は19mほどになります。
下総国葛飾郡の下総台地西端に位置し、千葉の北西部(江戸方面)では最大規模となる平山城で、江戸川での水運としての機能もあったようです。
なお、三河・小金城もありますので、混同しないように少し注意が必要です。
大谷口城の最初の築城としては、栗ケ沢城、根木内城と本拠を移転してきた高城胤吉が、戦国時代の1530年に築きはじめ、築城には7年間を要したと言います。





この高城氏(たかぎ-し)は、もともと千葉昌胤の家老・原胤清の重臣とされます。
高城胤吉は、家臣・安蒜丹後入道浄意に下総・小金城の縄張工事をさせたともあり、1537年(天文6年)に完成すると本拠としました。

下総・小金城

1518年、下総・小弓城主である原基胤が、足利義明の攻撃にて討死し、同じ一族の原胤清(はら たねきよ)は、高城氏の栗ケ沢城を頼って逃れていたようです。
その小弓公方・足利義明の攻勢に備えるため築くことになったとされますが、それ以前から、原氏が砦などとして機能させていた可能性も高いでしょう。

大谷口城

1538年には、足利義明と里見義堯が下総・国府台に進出したため、高城胤吉と原胤清らは北条氏綱の援軍を得て、決戦を行っています。(第一次国府台合戦)
足利義明を破ったことで、原胤清は生実城に復帰を果たしました。

下総・小金城

1566年には、関東に進出した上杉謙信の軍勢に、下総・小金城も一時包囲されました。
なお、障子堀や畝堀など北条氏特有の縄張りが見られますので、高城胤辰らは北条家に臣従する形になっていたのは間違いないでしょう。

下総・小金城

1590年、豊臣秀吉小田原城攻めの際に、高城胤則は、軍勢を引き連れて小田原城での籠城に加わりました。
しかし、圧倒的な豊臣勢の兵力を前にすると、秘かに小金城へ使者を出し、降伏するように命じたと言います。

下総・小金城

そのため、豊臣勢の浅野長吉が接近すると、小金城は開城降伏したとされています。
小田原城が落ちると、高城胤則は蒲生氏郷に預けられて信濃に移りました。

下総・小金城

関東に徳川家が入ると、下総・小金城は徳川家康の5男・武田信吉が3万石にて入っています。
しかし、1593年には、本佐倉城にて10万石となって移っており、更に水戸城に移動すると、江戸城から近い小金城は廃城となりました。

下総・小金城

昭和まで遺構が残っていたようですが、現在は宅地開発され、多くの遺構が失われています。

大谷口城

北側の金杉口付近だけが、大谷口歴史公園として整備されていますが、駐車場はないので近隣コインパーキング利用となります。





下総・小金城跡への交通アクセス・行き方ですが、流鉄の小金城趾駅から徒歩約10分となります。
常磐線快速のJR新松戸駅からですと徒歩20分くらいです。
駐車場はありませんので、近くの間コインパーキング利用となります。

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