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遠江・久野城の解説~久野宗能の活躍と武田勢を撃退した袋井の城跡

遠江・久野城

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遠江・久野城とは

遠江・久野城(くの-じょう)は、 静岡県袋井市鷲巣にある平山城で標高は34m。
別名は座王城、蔵王城、鷲之巣城とも。
東海道を見渡せる位置にある。

遠江・久野城

現在は公園整備されていいるが、整備状況はとても良好で印象に残る城跡となった。
日本100名城などの選出も良いが、整備・保存を頑張っている城跡の選出があって良いと感じた。

最初の築城としては戦国時代の明応年間(1492年~1501年)に久野宗隆によって造られたと伝わる。
この久野氏は鎌倉時代中期に久野宗仲(久野六郎宗仲)が遠江国久野に住んだのが始まりとされる。
なんでも、1213年の和田義盛の乱での恩賞として久野荘を賜ったらしい。
もとは工藤氏だったようなので、駿河・工藤氏の庶流と考えられ、鎌倉時代であれば二階堂行政、室町時代であれば勝間田城の勝間田氏、横地城の横地氏、井伊谷城の井伊氏なども同族だった可能性も考えられる。


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1475年、今川義忠が横地城・勝間田城を攻撃した際に、今川勢として久野佐渡守宗隆の名が見られる。

久野宗能

久野宗能(くのう-むねよし)は、戦国時代の武将で1527年に久野忠宗(久野宗隆)の子として生まれた。
この頃の久能氏は今川家に仕えていた。
遠江・久野城主であった兄・久野元宗は今川義元に従い、1560年、桶狭間の戦いに出陣。
千秋季忠を討ち取るなどしたが、弟・久野宗経らと討死している。
そのため、家督は3弟であった久野宗能が継いだ。

遠江・久野城

三河・岡崎城の徳川家康は浜松城など攻略。
1568年、今川氏真が駿河から逃れて掛川城に入った際に、徳川勢は遠江・久野城を攻撃し、武田勢の秋山信友も迫って来た。
このとき、徳川家の高力清長(高力与左衛門清長)による説得で降伏。
しかし、久野宗政(久野弾正忠宗政)など一部の久野一族は今川氏真への忠義から徳川家康暗殺を計画したと言う。
そのため、久野宗能は家臣の久野宗憲、久野八左衛門、本間五郎兵衛、本間十右衛門らと更に徳川家康の援軍(大久保忠世・大須賀康高・松平家次・松平家忠水野忠重ら)を得て秘かに久野城を防御し、押し寄せた反乱勢である久野宗政・久野宗益・久野宗成・久野宗らを鎮圧した。

遠江・久野城

また、1572年にも武田勢によって久野城が包囲されたが、なんとか防いだと伝わる。

徳川家康のもとで久野宗能は遠江・高天神城へや小牧・長久手の戦いにも参陣。
1582年、本能寺の変のあと、徳川家康の伊賀越えには、子の久野宗朝も随行している。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めのあと、徳川家康が江戸城に移封とにると、久野氏は下総・佐倉城に移り1万3000石となった。
まもなく老齢の久野宗能は嫡子・久野宗朝に家督を譲っている。

遠江・久野城

一方、頭陀寺城主だった松下之綱が1万6000石にて遠江・久野城に入った。

1596年12月、徳川秀忠に供して京に滞在していた久野宗朝(久野民部小輔宗朝)は、同じ徳川家臣の三宅正次を私怨にて殺害すると自身も自刃した。(同士討ちになったとも)
そのため、久野家は改易処分(所領没収)となったが、久野宗能は1000石を与えられている。

遠江・久野城

1600年、関ヶ原の戦いでの武功により罪は許されて旧領である遠江・久野藩として8500石にて復帰を果たした。
1609年、久野宗能は死去。享年83。

家督は孫・久野宗成が継ぎ、のち紀州藩の御附家老となって伊勢・田丸城1万石となっている。

遠江・久野城

その後、1619年、保科正直の4男である北条氏重が1万石で入封した。
北条氏重は、役目を終えた堀の埋めたて、櫓・天守を壊したことが知られている。
1640年、北条氏重は下総国関宿城に転封となると廃城となった。
現在、久野城跡は公園として整備されており、土塁や竪堀などの遺構がよく残っていた。
久野城の見学所要時間は30分~60分といったところか?
なお、常陸・久野城や相模・久野城もあるため、混同しないよう注意が必要。


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木を伐採するなど整備状況も比較的良い事から、東海道がある南側から遠江・久野城の全景写真も撮影したかった。
しかし、訪問時は南側一帯が広い範囲で工事中であり道路が進入できない。
東海道新幹線の高架橋から北に入ることができず、城跡付近を時間をかけて一周して撮影ポイントを探したが断念し掛川城へ向かった。

交通アクセス

JR東海道本線・袋井駅からタクシーで約15分。
クルマの場合には北側に10台ほどの無料駐車場があるため、駐車場の場所を当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂ける。
ただし、現地の道路が狭いので、クルマの場合付近のコインパーキング利用をお勧めしたい。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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