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頭陀寺城ちょこっと解説~木下藤吉郎が織田家仕官前に世話になった城跡

頭陀寺城

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頭陀寺城とは

頭陀寺城 (ずだじ-じょう) は、静岡県浜松市南区頭陀寺町にある平城。
別名は、市場城、松下屋敷、松下嘉平次屋敷、城屋敷、田中屋敷。

頭陀寺城

頭陀寺は、浜松市では最古の寺とされ飛鳥時代に建立された古寺。の
戦国時代今川義元の家臣・飯尾乗連に仕えた松下之綱が、頭陀寺城主となったようだ。
すなわち、松下氏は飯尾氏の家来で、引間城(曳馬城)の支城のひとつが頭陀寺城と言う事になる。


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ただし、松下氏は宇多源氏・佐々木氏の流れで、鎌倉時代末期に三河国碧海郡松下郷に移住した源氏。

松下之綱

松下之綱(まつした ゆきつな)は、1537年に兵法者で槍術の達人・松下長則の子として三河・松下郷で生まれた。
母は不詳、弟に松下則綱、松下継綱がいる。
妻は松下連昌の娘で、長男が松下暁綱、次男は松下重綱、娘のおりんは柳生宗矩の正室になっている。


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15歳前後の松下之綱(松下加兵衛)のもとに、尾張から同年代の木下藤吉郎がやってきて、1551年頃から約3年間、松下氏に仕えていたとされる。

また、一説によると井伊直政が一時養子となった松下源太郎(松下清景)の本家にあたるのがこの松下屋敷でもある。

頭陀寺城

1560年、桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、遠江・曳馬城の飯尾連龍が今川氏から反旗を翻した。
そのため1563年、頭陀寺城は今川勢に攻撃されて炎上したとある。
飯尾連龍は、徳川家康に内通したともあり、1565年に、今川氏真の命にて駿府で自刃した模様。
以後、松下氏は徳川家康に従ったようだが、1562年、織田信長本能寺で亡くなり、豊臣秀吉賤ヶ岳の戦い柴田勝家に勝利すると、松下之綱は所領を引き払い、近江・長浜城の豊臣秀吉の家臣に加わった。
丹波国と河内国内にて2000石を与えられている。


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1590年、徳川家康が江戸城に移封となると、松下之綱は1万6000石の大名となって遠江・久野城を与えられている。
1598年、松下之綱は死去。
家督は子の松下重綱が継いだ。

頭陀寺城

松下氏は関ヶ原の戦いでは徳川家に味方し、大坂の陣でも功績を上げると、二本松城主。
その後、三春城3万石となっている。

下記は頭陀寺の左奥へと進んだ一番奥は、左から豊臣秀吉、徳川家康、井伊直政の並びとなる幼少期三公像がある。

豊臣秀吉、徳川家康、井伊直政の幼少期三公像

見学所要時間は10分~20分程度あれば充分だろう。

交通アクセス

頭陀寺城への行き方・交通アクセスだが、浜松駅・南口から歩くと約2.7km、徒歩30分の距離。
頭陀寺からちょっと離れたところに、頭陀寺の参拝用駐車場があったので短時間拝借した。

駐車場などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

ちなみに、今回、まだ未訪問だと思って頭陀寺城を訪れたが、写真を撮影して戻りこのように編集を開始すると、約5年前、大河ドラマ・直虎が放送された2017年にも訪問していたことが判明し失敗。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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