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海老ヶ島城とは
海老ヶ島城(えびがしま-じょう)は、茨城県筑西市松原にある平城です。
最初の築城は、1461年とされ、結城成朝が築いたと言います。
この結城成朝(ゆうき-しげとも)は、下総・結城氏13代の当主です。
しかし、その結城家は、1441年に結城合戦(ゆうきかっせん)で室町幕府側に敗北すると没落していました。
その後、成長した結城成朝は、鎌倉公方・足利成氏の助けを受けて復活を果たし、海老ヶ島城も築いたと考えられます。
しかし、結城成朝は、鎌倉公方から室町幕府に臣従するようになったため、多賀谷朝経によって1463年に暗殺されました。(享年24)
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1467年には、結城成朝の子とされる秀千代(10歳)が海老ヶ島城主となって、海老原輝朝(海老原輝明)と称しています。
その後、海老原氏は、海老原輝朝、海老原俊朝、海老原俊元(海老原俊之)と続きます。
戦国時代になると、1546年、常陸・小田城の小田氏に味方した宍戸通綱(宍戸四郎通綱)が海老ヶ島城を攻略して、海老原氏は滅びました。
その際、海老ヶ島城には小田家の平塚長信が入ったようです。
城郭の周囲は水が張られている湿地帯で、水城とも言える構えだったようです。
そのため、城に出入する場合には、船を利用したと伝わります。
「島」と名がついているくらいですので、まさに水に浮かんでいる島のようだったのでしょう。
海老ヶ島城の戦い
1556年、結城政勝は北条氏康などの援軍を得ると、常陸・小田城の小田氏治を攻めました。
このとき、すぐ南にある山王堂の戦いで、小田氏治は敗れると土浦城へ撤退しています。
こうして海老ヶ島城などは結城氏の支配地と変わりましたが、同年の間に小田氏治は小田城に復帰し、更には海老ヶ島城も回復して、再び平塚長信が海老ヶ島城主となりました。
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1559年、結城晴朝が結城家17代に就任すると、小田氏治は再度、結城家を攻撃します。
しかし、結城氏に味方した小山高朝や、真壁城の真壁氏幹らに阻まれて敗走し、平塚長信(平塚自省)も討死したため、海老ヶ島城は結城氏の領有になっています。
1560年、小田氏治は佐竹氏・宇都宮氏との連合にて結城城を攻撃すると、和議が成立しますが、海老ヶ島城は再び小田家のものになって平塚大輔が城主となりました。
1564年、小田氏治が小田原城の北条氏になびくと、佐竹氏は上杉謙信に出陣を求めたため、小田氏治は山王堂の戦いにて、上杉勢(柿崎景家、色部勝長、北条高広、中条藤資)に敗れて常陸・小田城も失いました。
このとき、海老ヶ島城の状況は、史料にも記載がなく、わかっていませんが、信太治房も小田城にて討死しており、恐らく、小田氏は失領したものと推測されます。
1569年、小田原城の北条氏の進出を防ぐため、佐竹氏は海老ヶ島城を攻めたてます。
この時、佐竹義重は、片野城の太田資正(太田三楽斎)、柿岡城の梶尾政景、 真壁城の真壁氏幹、多賀谷城の多賀谷重径らと共に攻撃しました。
そのとき、平塚行刑部大輔(平塚大輔)は夜襲を受けて降伏し、佐竹家は宍戸義長を城主に据えました。
宍戸城主・穴戸義長は弟・宍戸義利を海老ヶ島城に入れると海老ヶ島新左衛門と改名させています。
1573年、海老ヶ島新左衛門は、常陸・藤沢城の小田氏治を攻めた際には、討死しています。
1592年、宍戸義長が海老ヶ島城に入ると、城下町などの整備が行われました。
平城にしては、規模もそれなりにあったようです。
関ヶ原の戦いのあと、佐竹氏が秋田へ転封となると、宍戸義長も従っており、廃城になった模様です。
交通アクセス
常陸・海老ヶ島城への交通アクセス・行き方ですが、関東鉄道常総線・下館駅から関鉄パープルバスに乗車して、松原バス停下車し、徒歩6分です。
歩く場合には、関東鉄道常総線・黒子駅から徒歩90分となります。
駐車場は、新善光寺さんの門前駐車場を拝借致しました。
駐車場がある場所は当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。
かつて、県立高校として甲子園出場を果たした明野高校も近いです。
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なお、土塁が点在しますが、目立った遺構は残されていません。
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