和歌山県

新宮城 (続日本100名城) 丹鶴姫の伝説も 訪問情報

新宮城

新宮城(しんぐう-じょう)は和歌山県新宮市新宮字丹鶴にある標高42mの平山城です。
別名は、別名は丹鶴城(たんかく-じょう)、沖見城(おきみ-じょう)とも言い、国の史跡に指定されているほか、続日本100名城にもなっており、現在は丹鶴城公園として整備されています。

丹鶴姫

新宮に伝わる「もののけ姫」として丹鶴姫(たんかくひめ)と言う女性がいます。
丹鶴姫は、源為義と熊野別当の娘の間に生まれた1女1男の女児で、弟は新宮十郎行家(源行家)です。
源為義(みなもと-の-ためよし)は、白河法皇の検非違使でした。
検非違使(けびいし)と言うのは、天皇の警備を行った武士の役職名ですが、治安維持から裁判まで強大な権力を有していました。

新宮城

その白河法皇は3度ほど熊野御幸を行ったため、検非違使として随行していた源為義が、第15代・熊野別当である長快の娘(熊野の女房、立田の女房)に手を出した考えられます。
源為義は、愛妻とも言うべき女性がたくさんおり、子もたくさんいます。
そして新宮で生まれた女の子が、丹鶴姫と言う事で、姫が住んだのが新宮城がある丹鶴山であったため、別名の丹鶴城の由来になったようです。

丹鶴姫の碑

のち丹鶴姫は熊野別当第19代の行範(ぎょうはん)に嫁ぎますが、夫が死去すると剃髪して鳥居禅尼と称し、1130年、丹鶴山に夫の菩提を弔う東仙寺を建立しました。
なお、丹鶴姫(鳥居禅尼)の弟・新宮十郎行家(源行家)は、熊野水軍2000を源氏側に味方させると平家を壇ノ浦で壊滅させるのに貢献しました。

新宮城から熊野川を望む

こうして、源為義の孫・源頼朝鎌倉幕府を開くと、源頼朝は神倉神社の参道階段を奉納するなどしただけではなく、丹鶴姫(鳥居禅尼)に対して、紀伊国佐野庄(和歌山県新宮市佐野)、紀伊国湯橋(和歌山市岩橋)、但馬国多々良岐庄(兵庫県朝来町多々良木)などの地頭に任命しています。
吾妻鏡によると、なんと丹鶴姫(鳥居禅尼)は源氏の一族として鎌倉幕府の御家人になったのです。
このように、熊野三山において丹鶴姫の発言力は絶大であり、鵜殿城の鵜殿氏を輩出するなどして熊野諸勢力を陰で操ったと言われています。





その後、熊野別当は新宮・田辺の両家に分かれ、やがて対立することになります。
また、戦国時代の頃には、他の豪族の方が勢力を圧倒していましたが、熊野別当の子孫を称する新宮行栄(新宮周防守行栄)が新宮を治めており、1571年頃に、紀伊・新宮周防守屋敷を構えています。
しかし、同じく熊野別当の子孫を称する佐野の和田森城主である堀内氏善が、新宮行栄を屈服させて紀伊・堀内氏屋敷を築いて本拠を移しました。
堀内氏善の子は、新宮姓を称して新宮行朝と名乗っています。

堀内氏善

堀内氏善(ほりうち-うじよし)は、紀伊・勝山城 廊之坊重盛(汐崎重盛)を攻略するなど熊野三山の観光資源確保に努めましたが、織田信長が伊勢・北畠家を滅ぼすと織田氏に臣従しています。
1582年、明智光秀本能寺の変のあと、山崎の戦いでは羽柴秀吉のもとに駆け付けて戦ったため、7000石の加増を受けました。
1591年、堀内氏善は「熊野惣地」として27000石とあります。
1600年、関ヶ原の戦いにて堀内氏善は石田三成に加担して、九鬼嘉隆と共に熊野水軍約350にて伊勢方面で戦いました。
しかし、西軍敗北と知ると新宮へ引き返しましたが、和歌山城桑山一晴が迫ってきたため、紀伊国海部郡加田村に逃れて蟄居しました。
ただし、徳川家康から命だけは許されており、肥後の熊本城主・加藤清正に仕えると2000石にて、宇土城主となっています。





関ヶ原のあと、浅野幸長が和歌山城に入ると、家老の浅野忠吉が新宮領主となり、丹鶴山に新宮城の建設が開始されて、堀内氏館は廃城となりました。

新宮城

なお、堀内氏善の3男・堀内氏久(ほりうち-うじひさ)は、浅野幸長・浅野長晟に仕えており大坂夏の陣にて、大坂城落城の際に、千姫の一行と遭遇し、護衛して徳川家康の本陣に送り届けています。

新宮城

この偶然の功績で徳川秀忠の旗本に抜擢され、500石にて下総に領地を受けました。
兄・新宮行朝は、豊臣秀頼の依頼に応じて大阪城に入って戦っていましたが、弟の功績で赦免され藤堂高虎の家臣に加わったとされます。

新宮城

1615年の一国一城令で、新宮城は廃城になりましたが、重要拠点であることから、1618年に再び築城が認められ、浅野忠吉は再築しています。

新宮城

本丸の南端には天守台があり、3層5階と推定される天守閣もあったと考えられています。

新宮城

しかし、完成前に1619年、浅野家は広島城に移封となり、浅野忠吉は三原城主として移りました。
そのため、和歌山城に入った、徳川頼宣の付家老・水野重仲(水野重央)が、浜松城から35000石で新しく新宮城主となっています。

新宮城

新宮城の訪問記

無料の駐車場がありますので、助かります。
そして、石段を登って行くと天守台と本丸跡に到着します。

新宮城

また、本丸の北側からは熊野川と熊野大橋の眺望が素晴らしいです。

新宮城から熊野川を望む

和歌山県朝日夕陽百選にも選定されています。
下記は新宮市を望む展望です。

新宮城からの展望

下記は本丸(天守台)の下ですが、なかなか技巧も凝っています。

新宮城

大阪からは特急で4時間、名古屋からも3時間半以上かかるという、なかなかに遠い新宮城への交通アクセスですが、JR新宮駅から徒歩10分です。
昔の日本一短いケーブルカー乗り場にあった駐車場が無料駐車場として利用できます。





日本100名城スタンプラリーのスタンプ設置場所は、新宮市立歴史民俗資料館となります。
私は、スタンプはやっていませんので、関係ないのですが、スタンプは2Fに設置されているそうですので、入館料が必要な模様です。

新宮城

見学24時間可能で、見学所要時間は無料の駐車場からで30分~50分といったところです。
もちろん、熊野速玉大社、できれば神倉神社とセットでどうぞ。

堀内新宮城(堀内氏屋敷) 新宮の戦国大名・堀内氏善の本拠地
紀伊新宮周防守屋敷 熊野七上綱・新宮行栄(新宮周防守行栄)の居城
三段壁 熊野水軍の歴史ロマン漂う海の洞窟
鵜殿城 今川家の家臣である鵜殿氏の発祥地
桑山一晴とは?
紀伊・勝山城 廊之坊重盛(汐崎重盛)
熊野三山めぐり 熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社
浅野長晟と浅野長重 赤穂浪士へと繋がる関ヶ原以降の浅野家
神倉神社(南紀)の神秘と歴史に迫る 巨岩・ゴトビキ岩
和歌山城 紀州藩の大城郭で麗しき日本100名城

 

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