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広島城の解説【日本100名城】見どころと歴史~駐車場情報などの訪問記

広島城

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広島城とは

広島城(ひろしまじょう)は1589年に築城された輪郭式平城で、別名は鯉城(りじょう)、在間城(ざいま)、当麻城(たいま)とも呼ばれます。
名古屋城岡山城と共に日本三大平城とされる広大な敷地を誇り、大坂城や岡山城などと近世城郭の初期的な城として、日本100名城日本の歴史公園100選、国の史跡にも指定されています。

1588年に小早川隆景吉川広家らと上洛した安芸・郡山城主である毛利輝元は、大坂城や聚楽第を訪問した事で、平地に新しい城を作って、城下町を繁栄させる必要性を感じます。
そして、1589年2月に、明星院山、新山、己斐松山の山頂から眺めて太田川下流域に城を築く事にしました。


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穂井田元清(毛利元清)と二宮就辰を普請奉行とすると、1589年4月15日より着工します。
縄張り(設計)には大阪城の築城を設計した黒田官兵衛も参加しました。

広島城跡

川の中州を埋め立てると言う「島普請」となる大工事で費用負担も大きかったとされますが、1590年末には堀と塁が完成し、毛利輝元が広島城に入りました。
その後、1592年、九州の名護屋城へ向かう、豊臣秀吉も工事途中の広島城に立ち寄り、見学しています。

広島城の裏御門跡

1593年に石垣が完成し、その後、1599年に5重5階の複合連結式望楼型天守も完成するなど、大阪城に匹敵する大規模な城郭となりました。

広島城の二の丸

しかし、1600年、関ヶ原の戦いにて毛利輝元は石田三成に協力したため、減封となり広島城を明け渡します。
そして、広島には49万8千石にて福島正則が入ると「穴太衆」を使って更に広島城を改造した模様で、内堀・中堀・外堀のある更に広大な城となったようです。

広島城の二の丸

また、城下町も本格的に整備開始しましたが、岩国城に対する備えとして、亀居城を築城するなど、これらの整備は徳川家康を怒らせる事になります。

広島城の中御門跡

洪水で破損した広島城を、徳川幕府に無届で修復したとされ、1619年、福島正則は信濃・川中島4万5千石に転封となり、大幅に石高を減らされました。
その後、浅野長政の子・浅野長晟が42万石で広島城主となると、幕末まで浅野家の居城となりました。

広島城

なお、幕末の1864年、第一次長州征伐では、徳川幕府軍の本陣となり、尾張藩主・徳川慶勝が広島城に本営を構えています。

広島城の天守閣

広島城は、国宝指定の天守をはじめ、東走櫓、裏御門の一部、中御門、表御門、二の丸の平櫓、多聞櫓、太鼓櫓など、たくさんの建物が現存していましたが、1945年(昭和20年)8月6日の午前8時15分、アメリカ空軍が広島市へ原子爆弾を投下します。

広島城

広島城から約1kmの相生橋がB-29エノラ・ゲイ号による原子爆弾(原爆)の投下目標となっており、広島城の建造物は失われました。
広島城でもアメリカ人捕虜が被爆死するなど、当時、捕虜だったアメリカ兵も12名が広島で命を落としています。
その一方で国際法違反でもある無差別攻撃の原爆を投下した、B-29の搭乗員13名は全員が勲章を受けています。

広島の大本営跡

現在の天守は、1958年に、初代の広島城の天守を外観復元したものとなります。

広島城

デザインや曲輪などの配置は、豊臣秀吉の聚楽第を参考にしたとも言われています。

広島城

二の丸の建造物は、1994年までに木造で復元されました。

広島城・二の丸大手門

広島城などでは「安芸ひろしま武将隊」の皆様がおもてなしをしています。

水堀には「鯉」が泳いでおり、広島城も鯉城(りじょう)と呼ばれる事から、プロ野球の広島カープは「鯉」なのです。

広島城の二の丸

広島には2回ほど訪れたことがありますが、いずれも広島平和記念資料館などしか訪問したことが無く、今回、初めて広島城に足を踏み入れました。

広島城の案内図

歴史的にも価値がある広島城ですので、もう少し建物の復元など、整備されていても良いかな?とは感じますが、やはり原爆関連の施設維持・保護に重点が置かれるのは致し方ないところです。

広島城跡

交通アクセス

広島城の駐車場ですが、城じたいには駐車場がありません。(観光バス専用の駐車場はあります)
そのため、クルマ(自動車)の駐車場としては、下記の有料駐車場「広島市中央駐車場」が便利です。
広島市中央庭球場の地下駐車場となっており、広島城天守閣の第1層ミュージアムショップ窓口に駐車券を提示すると、30分間の無料サービス券がもらえます。

下記の地図ポイント地点が、広島市中央駐車場への入口となります。

別途、観光バス専用の駐車場があります。
上記の駐車場から、広島城の天守を登る往復で、観光所要時間は約60分です。
また、近々訪れたいと思います。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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