和歌山県

紀伊・勝山城 廊之坊重盛(汐崎重盛)

紀伊・勝山城




紀伊・勝山城(かつやま-じょう)は、和歌山県那智勝浦町若ノ宮にある山城で、標高69m、比高60mほどになります。
那智の滝への入口となる、那智勝浦IC近くにあります。

最初の築城は、嘉吉年間(1441年~1444年)に廊之坊重盛が築いたとされます。
この廊之坊重盛(くるわのぼう-しげもり)ですが、汐崎重盛(しおざき-しげもり)とも言う、熊野では最古級の有力豪族です。
熊野三山をまわる熊野詣の先達(案内役)でも上位の家柄が潮崎氏で、観光収入を背景に勢力を伸ばしていました。

紀伊・勝山城

1579年、新宮城堀内氏善が鎌ヶ峯城の色川盛直を攻めた際には、虎城山城の高河原貞盛高河原家盛と共に味方して撃退しました。
しかし、1580年、堀内氏善は那智山の東座である紀伊・藤倉城の実法院と姻戚関係を結び、加勢を得て再度攻めたため、紀伊・勝山城は3ヶ月の籠城の末に落城し、汐崎重盛は討死した模様です。
この争いは、いわば、新宮の熊野速玉大社の観光収入権利と、熊野那智大社の観光収入権利を争った戦いでした。
熊野三山にお参りする参拝客(貴族などを含む)に、道案内を頼む、宿坊などに宿泊する、食事をするなど、貴重な収入源だったのです。

紀伊・勝山城の近くには、平安時代末期に那智湾で入水したと伝わる平維盛の墓もあります。
その渡海上人・平時子・平維盛の供養碑がある、麓の補陀洛山寺から登城できるようです。
今回は時間の関係で登城できませんでしたが、山頂付近には3つの曲輪があり、主郭は土塁で囲まれていると言います。





なお、廊之坊重盛は潮崎氏を称していましたが、関ヶ原の戦いのあと、子孫が家名再興を許された際に、親類の潮崎氏と分けるため「汐崎」としたことから、汐崎重盛と言う事になります。

もちろんですが、那智の滝、熊野那智大社とセットでどうぞ。

紀伊・虎城山城(古座浦城) 高河原貞盛・高河原家盛
新宮城 (続日本100名城) 丹鶴姫の伝説と堀内氏善も
日本全国のお城がある場所が分かる地図





コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

城迷人たかだ

投稿者の記事一覧

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

都道府県別

ピックアップ記事

  1. 韮山城
  2. 常陸・北条城(北条館)
  3. 蓮沼城
  4. 脇本城
  5. 正院川尻城
  6. 上田城
  7. 福谷城
  8. 陸奥・岩崎城
  9. 安岐城

只今人気のお城

城めぐり 2100城超えました

城めぐり
PAGE TOP