愛知県

蟹江城 豊臣秀吉と徳川家康のターニングポイントとなった蟹江城の戦い

蟹江城

蟹江城(かにえじょう)は、愛知県海部郡蟹江町にある平城です。
城の名前の由来としては、この付近は蟹(カニ)がたくさんいたそうで、カニがいる入江ということで蟹江と呼ばれたらしいです。

最初の築城は永享年間(1429年~1440年)で、北条時任(ほうじょう-ときとう)が砦を築いたのがはじまりとされます。

北条時任は鎌倉幕府最後の執権・北条高時の孫とされます。
その後、北条時任は愛知郡横江村に移って、子孫は海西郡の赤目城を本拠とし、横井氏を称しています。

ただし、渡辺源十郎が最初に築城したとする説もあるようです。





その昔、蟹江は海に面しており、熱田、津島と並んで、尾張有数の港町でした。

戦国時代になると拠点化され、本丸、二の丸、三の丸の三郭で構成されました。
また、大野城、下市場城、前田城と3つの支城にて防衛網を構成しています。

織田信秀が没すると、今川義元は勢力拡大を図りました。
1555年、鳴海城の山口教継が今川家に寝返り、大高城を攻略します。
更に、緒川城の水野信元を除く水野氏も今川勢に加わりました。
そして、松平家が中心になって蟹江城攻めを行い、このとき活躍した松平広忠の家臣7人(大久保忠世など)は「蟹江七本槍」と賞されています。

その後、織田家が蟹江城を奪還したようですが、滝川一益が蟹江城主となっています。
滝川一益は、長島城主・服部友貞の資金にて蟹江城を構築(改修)し、その後、1567年に服部友貞を追放して蟹江城を手に入れたともされます。
そして、織田信長長島一向一揆の鎮圧においては、蟹江城が拠点となりました。

蟹江城

1582年、明智光秀本能寺の変にて織田信長が横死すると、1583年、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に敗れます。
このとき、滝川一益は、長島城にて羽柴勢に抵抗していましたが降伏すると所領没収となりました。

そのため、織田信雄の家臣、佐久間信栄が蟹江城に入っています。

蟹江城の戦い

1584年、小牧・長久手の戦いでは、徳川勢が優勢に進め、敗北した羽柴秀吉は大阪城に帰還。
織田信雄は桑名城に入り、徳川家康清洲城に入りました。

そこで、羽柴勢は清洲城の徳川家康を誘い出す作戦を実行します。
織田信雄方の加賀野井城を落城させると、竹ヶ鼻城の戦いで水攻めを敢行し、不破広綱を降伏させます。
しかし、徳川家康が動かなかったため、羽柴秀吉は謹慎していた滝川一益を起用しました。

蟹江城主の佐久間信栄は、織田信雄の命にて伊勢・萱生に砦を築く工事を行います。
そのため、蟹江城の留守として、叔父・佐久間信辰と、前田城主の前田長定(前田種定)を蟹江城に入れました。

九鬼嘉隆の九鬼水軍と連携した滝川一益は、まず、前田長定(前田種定)を中略して内応させ、佐久間信辰を本丸から追い出すと、蟹江城を占拠しました。

しかし、支城の大野城・山口重政(20歳)が調略に応じなかった為、1584年6月16日の夕刻、滝川勢、九鬼勢、前田勢は大野城を攻撃して陥落寸前まで追い込みます。
そこに、織田信雄が2000にて大野城に入って加勢すると、徳川家康も陣を進めたため、九鬼勢は下市場城へ、滝川勢は蟹江城に撤退しました。
そして、6月18日、徳川家康と織田信雄は、蟹江城、前田城、下市場城の3城を包囲しました。

蟹江城では、滝川一益を大将に、滝川一忠、滝川儀太夫、津田藤三郎、谷崎忠右衛門、日置五左衛門、滝川忠征ら1000名が守備しています。

攻め手は、織田信雄、織田長益、水野忠重、水野勝成、佐久間信栄、山口重政、徳川家康、石川数正井伊直政本多忠勝榊原康政、松平家忠、天野雄光、丹羽氏次酒井忠次、酒井忠利、松平康安、内藤家長、久松定勝、松平康忠、服部正成、大須賀康高とそうそうたるメンバーです。

6月22日、総攻撃となりますがなんとか持ちこたえ、7月3日に和睦となって蟹江城は開城・降伏しました。
織田有楽斎が仲介役を努めています。
しかし、前田長定は殺害され、滝川一益は伊勢へと逃れましたが、滝川一益は1万5000石にて大名に復帰しています。

これ以降、羽柴秀吉は武力をもって徳川家康を屈服させるのを断念し、人質を出すなどして陣営に引き込んでいくのでした。
逆に言えば、徳川家康は豊臣秀吉に対して、軍事的には勝つことはできないぞと、わからせた合戦でした。





なお、翌年の1585年(天正13年)、天正地震の際に大きな被害を受けて蟹江城は壊滅したとあり、廃城になりました。
現在は住宅地に石碑と本丸井戸跡が残るのみとなっています。

蟹江城

駐車場もある蟹江町歴史民俗資料館の受付にて、蟹江城跡の地図がもらえますが、当方のオリジナル地図をスマホでご覧頂ければ、駐車場の場所から、城址の公園まで歩くカーナビにもなります。

JR関西本線の蟹江駅、近鉄名古屋線の近鉄蟹江駅から徒歩約10分となります。

蟹江城の見学所要時間は、と申しましても、見どころはあまりありませんが、駐車場から蟹江城址公園の往復で約15分といったところです。

大久保忠世~無骨一辺倒である蟹江七本槍の徳川重臣
尾張・前田城と前田長定・前田長種
滝川一益~織田四天王の名将
織田有楽斎 (織田長益)~織田信長の末弟
水野勝成 出奔すること8回の戦国自由人から一転して名君へ
岩崎城~小牧長久手の戦いでの岩崎城攻防戦
九鬼嘉隆~九鬼水軍を率いた織田家・豊臣家の水軍大将
小牧・長久手の戦いと池田恒興~長久手古戦場
長久手城と岩作城~長久手の戦いに戦場となった徳川勢の城跡
伊勢・長島城 長島一向一揆で2万人が焼死
桑名城 ちょっと寂しい名城 駐車場・復元櫓情報
清洲城 織田信長の居城ここにあり・清須城
「尾張・美濃」にある戦国史跡跡オリジナル地図(Googleマップ)

この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
初心者向け
旧国名
尾張
著者コメント
小さな公園があります。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

0




関連記事

  1. 尾張・小幡城 尾張・小幡城 小牧長久手の戦いでの徳川家康の素早い行動
  2. 勝幡城 勝幡城 織田家が躍進を遂げる本拠となっていた平城
  3. 蜂須賀城 蜂須賀城 蜂須賀氏発祥と蜂須賀小六の里
  4. 那古野城 那古野城 名古屋城の二之丸に石碑あり
  5. 清洲城 清洲城 織田信長の居城ここにあり 清須城の詳細情報
  6. 猪子石城 猪子石城 ここにも小牧長久手の戦いに関与した名古屋の城が
  7. 下社城 下社城 柴田勝家が生まれたとされる城(館)
  8. 古渡城 古渡城 織田信長が元服した名古屋の城跡

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP