桑名城とは
桑名城(くわなじょう)は、三重県桑名市の梯郭式平城(水城)で、別名を扇城、旭城と言います。
揖斐川の河口に近いところで、東海道桑名宿があり、東海道における唯一の海上路で、渡舟の距離が7里となる「七里の渡し」があるなど交通の要衝でした。
最初の築城は、文治2年(1186年)桑名行綱とされます。
特に桑名恒平は源頼朝の奥州合戦にて戦功があり、その子・桑名宗平(くわな-むねひら)が大和氏・三重氏の祖となりました。
弟の桑名伯耆守光平(みつひら)は杉原氏を称しますが、豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)の実父である杉原定利は、この杉原氏の庶流と考えられます。
なお、杉原氏は木下とも称していたことから、織田家の小者となった秀吉に、木下姓を与えて木下藤吉郎と名乗らせた訳です。
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戦国時代の1504年頃は、北勢四十八家にも数えられる伊藤実房(伊藤武左衛門)が桑名城主(東ノ城)でしたが、樋口内蔵介は西ノ城(桑名市吉津屋町)、矢部右馬允は三崎城(桑名市太一丸)と、この3つで桑名三城と呼ばれ、共同統治していた模様です。
1567年、稲葉山城を落とした織田信長は、逃走した斎藤龍興を追って伊勢へ侵攻し、桑名に本陣を置くと北勢四十八家の諸城を攻略しました。
こうして、伊勢の桑名城付近は、滝川一益の支配下となりますが、長島一向一揆にて再び戦乱となります。
1574年に、伊勢・長島城の一向宗を虐殺した織田信長は、再び伊勢を統治開始し、滝川一益が桑名三城を管理下に置きました。
本能寺の変のあと、柴田勝家に味方した滝川一益は、羽柴秀吉の討伐を受けて、北伊勢は織田信雄の所領となり、天野景俊が桑名城主になっています。
1584年、小牧・長久手の戦いの際には、酒井忠次と石川数正が桑名城を守備しています。
1586年、織田信雄の家臣・丹羽氏次が2万2000石で桑名城に入りますが、1590年には羽柴秀次の領地となって桑名城には服部一正が置かれました。
1591年からは一柳直盛が桑名城主となり、1595年頃までには本丸の北東隅に、伊勢・神戸城から4重6階の天守が移築されるなど、桑名城内には63の城門と95の櫓が整備されました。
下記は辰巳櫓跡です。
しかし、1595年、豊臣秀次事件に連座して一柳直盛は切腹。
松平家乗と城主となり、水谷九左衛門光勝が守備しました。
1600年、関ヶ原の戦いのあとには、大多喜城から本多忠勝が10万石で桑名城に入り、本格的な近世城郭へと桑名城の大改修しました。
神戸城から移築した天守は、隅櫓として残されたと言います。
大阪の陣のあと、豊臣秀頼に嫁いでいた千姫は、桑名藩主・本多忠刻と新たな生活を始めました。
千姫が江戸城に戻る途中、桑名の七里渡しの「船」にて、たまたま本多忠刻を見初めたのが、きっかけとも言う逸話があります。
1617年、本多忠刻が播磨・姫路城に15万石で移封すると、以後は松平氏など徳川譜代の大名が桑名藩主となっています。
なお、桑名城の天守は建造に時間が掛かったようで、約30年かけて1635年(寛永12年)、松平定綱のときに4重6階(4重4階の説もあり)の天守が感性しました。
しかし、1701年(元禄14年)に焼失したあとは、天守台のみが残されることになります。
また、幕末の桑名藩主・松平定敬は、京都所司代を命じられた兄・松平容保(会津藩主)と共に、京都の治安維持に尽力しました。
新政府軍が迫ると桑名城は開城しますが、このとき桑名城は焼き払われてしまいました。
松平定敬は函館の五稜郭に入り、最後まで新政府軍に抵抗をしています。
国土交通省の水門統合管理所を立てる際に、桑名城の蟠龍櫓(ばんりゅう)跡に建設することになり、平成15年(2003年)に蟠龍櫓の外観を想定し復元されたのが、下記の蟠龍櫓となります。
2階が無料の展望台になっており、朝10時から15時まで開館していますが、月曜日は休みです。
三之丸御殿跡(有料駐車場の脇)には、本多忠勝像があります。
本丸・二の丸付近の桑名城跡は「九華公園」として公園整備されています。
虎口には枡形門が複雑に配置されているなど、城としての見どころは多いのですが、破却度が高く、充分に遺構が残されていない、復元が最小限なのはちょっと残念に感じました。
高石垣もあったそうなのですが、四日市港の防波堤に石垣が使用されてしまったとのことです。
現在、公園にある水堀も、江戸時代の頃はもっと狭かったようで、改変されてしまっています。
三重県は、他の城跡も、あまり熱心に整備はしておらず、さびしい限りです。
三重県で現存する城の建築物は、伊勢・亀山城の櫓だけとなります。
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交通アクセス
桑名城への交通アクセスですが、JR関西本線の桑名駅から徒歩15分となります。
有料駐車場(朝9時~18時、200円)などの場所は当方のオリジナル地図にてご確認願えますと幸いです。
桑名城の観光所要時間は30分~50分といったところです。
・滝川一益~織田四天王の名将
・小牧・長久手の戦いと池田恒興~長久手古戦場
・伊勢・長島城 長島一向一揆で2万人が焼死
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・本多忠勝をわかりやすく解説【どうする家康】槍が似合う戦国の豪将・徳川四天王としての生涯
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・五稜郭と箱館戦争とは~蝦夷共和国と幕末ロマン
・「尾張・伊勢」にある戦国史跡跡オリジナル地図(Googleマップ)
素敵な所ですね。
今日これから小3の息子と行ってきます。