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尾張・前田城 強大な勢力どおしの争いに巻き込まれた尾張前田家

尾張・前田城

尾張・前田城(まえだ-じょう)は、愛知県名古屋市中川区前田西町1にある平城です。

前田利昌(前田利春)が織田家より荒子2000貫を与えられて、荒子城に移るまで、尾張・前田家の本拠地でした。
前田氏は菅原道真公を祖と仰ぎ、梅鉢の紋を用いています。
また、前田利家もこの前田城で1538年に生まれたのではないかとも言います。





1569年、織田信長の命により家督は、前田利家が継承して荒子城主となります。
このため隠居した兄・前田利久や養子の前田慶次は荒子城から退去しました。

ただし、依然として前田城は一族の者が城主を努めていた模様で、前田長定(前田与十郎)がいます。

尾張・前田城

なお、この前田長定のほうが尾張・前田家の本家筋であり、前田利家のほうが分家なようです。
前田城の前田長定は、佐久間信盛・佐久間信栄に仕えており、本能寺の変のあとからは織田信雄に従っていました。

1584年、小牧・長久手の戦いにて、前田長定は前田城(下之一色城とも)を子の前田長種に任せました。
前田長種の妻は、前田利家とまつ夫妻の長女・前田幸(幸姫)です。

尾張・前田城

羽柴家と徳川家の決戦にて、前田長定は、織田信雄(徳川勢)の命を受けて佐久間正勝(佐久間信栄)の蟹江城に入りました。
ただし、佐久間正勝は伊勢・国峯城の守備を担当したため、蟹江城は叔父・佐久間信辰が城代となっていたようです。
ところが、前田長定は羽柴秀吉の滝川一益から内応の誘いを受けます。
そして、羽柴家の滝川勢と九鬼水軍が蟹江城に迫ると、前田長定は城門を開けて軍勢を入れ、佐久間信辰を追放しました。
この蟹江城の裏切りを知った徳川家康と織田信雄は、すぐに攻撃したため、滝川一益は守りきれずに降伏・開城します。

滝川一益は徳川勢より許されましたが、前田長定は許されず、妻子共々討ち取られたとされています。(蟹江城の戦い)

こうして、前田城と下之一色城も徳川勢により包囲されて、石川数正・阿部信勝が前田城を攻撃すると前田長種は降伏し、前田利家を頼って七尾城へ落ち延びました。






 
前田城は破却されたため、のち前田・速念寺が建立されると、前田利家の叔父・前田利則が出家して意休と号し、初代の住職になりました。
こうして、前田城跡に前田速念寺が建立されたとされます。

よって、前田城の遺構は残っていませんが、境内には前田城最後の城主とされる前田与十郎の墓がありました。
本堂の左手にあります。

前田与十郎の墓

前田長定の墓には丁重にお参りさせて頂きました。

前田長定の墓

能登に向かった前田長種は、1605年には2万石にて、加賀・小松城主となっています。

尾張・前田城跡にある速念寺の「屋根」ですが、ムフフ・・。
何かに似ていますが、わかった方は、前田利家ファンですね。

速念寺

前田城跡への交通アクセスですが、近鉄名古屋線の伏屋駅から徒歩10分くらいです。
速念寺の参詣用駐車場が利用可能です。
その駐車場の場所は、当方のオリジナル地図にてわかるようにしてあります。

荒子城 幼少期から過ごした前田利家の原点あり
前田利家【詳細版】~槍の又左と武勇を称される
滝川一益~織田四天王の名将も本能寺の変のあとは・・
加賀・小松城~一国一城令で廃城となっても明治維新まで続いた名城
蟹江城 豊臣勢と徳川勢の蟹江城の戦い
名古屋などの史跡オリジナル地図

この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
中級者向け
旧国名
尾張
著者コメント
駐車場があるので助かります。

 

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