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大高城の解説~桶狭間の戦いの際に松平元康が兵糧を入れた拠点

大高城

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大高城とは

大高城 (おおたかじょう)は、愛知県名古屋市緑区大高町城山にある比高20mほどの平山城で、国の史跡に指定されている。
最初の築城は不明だが、南北朝時代の美濃・尾張・伊勢守護である土岐頼康の弟・土岐頼忠(池田頼忠)の名が見られる。
土岐頼忠(池田頼忠)は、岐阜県池田町の本郷城から愛知・萱津に移り、そのあと革手城へと入って美濃守護を継いだ。
その過程で、一時期、尾張・大高城を支配下としていた模様だ。

大高城

戦国時代に入ると、このあたりは緒川城や刈谷城主である水野忠政の領地だったと考えられ、花井備中守が改修したようだ。
大高城主・花井備中守は、相模国小林郷丸山(鎌倉・雪ノ下の現在ある鶴岡八幡宮付近)に源頼朝が建立した鎌倉・鶴岡八幡宮より勧請して、大高町八幡社を建てたともある。

大高町八幡社

花井備中守のあとは、1532年~1558年の頃には水野忠氏・水野大膳の親子が居城したともされる。
<注釈> 水野為善・水野忠守の親子ともあるがハッキリしない。


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水野氏は、織田信秀に協力しつつ、三河・岡崎城松平広忠於大の方を嫁がせるなどし、なんとか勢力を保っていた。
しかし、東からは今川勢から圧迫されており、1548年、今川義元の命を受けた野々山政兼が大高城を攻撃するも失敗して討死している。

大高城

1552年、織田信秀が死去して織田信長が家督を継ぐと、織田家から寝返った鳴海城山口教継が調略を行い、大高城や沓掛城が今川勢の手に落ちた。
そのため、織田信長は丸根砦鷲津砦を築いて、大高城から今川氏への連絡を遮断した。

大高城

1556年、大高城主の水野大膳は、父・水野和泉守の菩提を弔うため、大高城の南に春江院を建立したことが伺える。

1559年、今川勢の朝比奈輝勝(朝比奈越前守輝勝)が大高城の守備に就いた。
1560年、今川義元が西上開始して沓掛城に入ると、上ノ郷城主である鵜殿長照(鵜殿長助長照)が大高城を攻略した。


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しかし、食料不足に悩まされ、松平元康が大高城に兵糧を運び込むと、鵜殿長照(うどの ながてる)と守備を交代している。
<注釈> 松平元康(徳川家康)の兵糧入れの時期は、1557年・1558年・1559年の史料もあるため、何回か行っていた可能性もある。
そして、織田信長による桶狭間の戦いで今川義元が討死。

大高城

大高城にいた19歳の松平元康は岡崎城に撤退した。
こうして、大高城付近は織田氏が完全に支配するところとなったが重要性は薄れ、使われなくなったようだ。
ただし、江戸時代には尾張藩の家老・志水家が、1616年から大高城跡に屋敷を構えて、明治まで住んだとある。

大高城

国指定の3史跡の御城印(鷲津砦・大高城・丸根砦)は、大高観光案内所(土日のみ)などで販売されているようだ。

交通アクセス

大高城への行き方・交通アクセスですが、JR大高駅から約700m、徒歩10分くらいの距離です。
駐車場はなく道路も狭いため、大高駅近くのコインパーキング利用がお勧めです。


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登城口ですが城址へは西側から入れます。
なお、海岸寺へ入る坂を上って、右に折れて腰郭のようなところをグルッと回り込んでも、その西側に出れます。

大高城の場所などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイント致しております。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能です。(徒歩ナビとしても可能)

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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