三重県

伊勢・長島城 長島一向一揆で2万人が焼死

伊勢・長島城

伊勢・長島城(ながしま-じょう)は、伊勢国となる三重県桑名市長島町にある平城です。

最初の築城は鎌倉時代の1245年、関白・藤原道家(九条道家)が長島館を築いたとされます。
伊勢と尾張の間を流れる「木曽川」と「長良川」に挟まれたデルタ地帯の大きな中州状態(砂州)となっているのが、伊勢・長島城で、今でも国道1号が通る交通の要所です。

文明14年(1482年)になると伊藤重晴が再び築城(改修)しました。
この伊藤重晴は、北伊勢に勢力を誇った小規模の豪族・北勢四十八家(ほくせいしじゅうはちけ)のひとつで、伊藤氏は桑名城・長島城・松ヶ島城の3つを領していたようです。
南勢は国司である北畠具教が統治していましたが、北勢は群雄割拠状態でした。





そして、1569年、清洲城主・織田信長は北畠家の大河内城などを攻撃し(大河内城の戦い)、伊勢をほぼ支配下に置きます。
しかし、元亀元年(1570年)、本願寺顕如の檄を受けて、一向宗・願証寺の証意(しょうい)と門徒が伊勢・長島城を攻め、伊藤家の一族を追放し滅ぼしました。
長島一向一揆(ながしま-いっこういっき)です。

長島一向一揆

願証寺は、領主の権限が及ばない寺となっており、1567年、稲葉山城の戦いにて織田信長に敗れた斎藤龍興も、逃げ込んだことがあります。
反乱を起こした一向宗は、石山本願寺から派遣された坊官・下間頼旦らに率いられた数万に及ぶ一揆衆となり、長島城を攻めて奪うと拠点にしました。
これに呼応して「北勢四十八家」と呼ばれた北伊勢の小豪族の一部も、織田家に反旗を翻し一揆に加担しています。
そして、桑名城の滝川一益を追い、古木江城を攻めると織田信長の弟・織田興長を討ち取りました。

この頃、織田信長は近江にて朝倉氏・浅井氏と対陣(志賀の陣)しており、12月になって朝倉・浅井と和睦して兵を尾張に戻しています。

織田家は浅井勢に調略を行い、1571年2月、近江・佐和山城磯野員昌が織田家に城を明け渡し撤退します。
5月には横山城を任されていた木下秀吉(豊臣秀吉)が、約500の兵で浅井井規が一揆勢約5000を破るなど、近江で織田勢が優位に立ちました。
そのため、織田信長は北伊勢の平定に乗り出します。

1571年5月12日、織田信長は5万にて伊勢に出陣し、軍を三つに分かれて攻めました。

織田信長の本隊は津島に着陣。
佐久間信盛を大将に浅井政貞・山田勝盛・長谷川与次・和田定利・中嶋豊後守などは中筋口。
柴田勝家を大将に氏家卜全・稲葉良通・安藤定治・不破光治・市橋長利・飯沼長継・丸毛長照・塚本小大膳などは西河岸の太田口。

一向一揆勢は、山中に入って、道が狭い所で迎撃する体制をとったため、織田勢は撤退する際に、氏家卜全が討たれています。
そして、1573年8月に、浅井長政朝倉義景を滅亡させた織田信長は、すぐさま第二次長島侵攻を試みます。

9月24日、数万の軍勢で北伊勢に出陣すると、26日には一揆勢の西別所城を佐久間信盛・羽柴秀吉・丹羽長秀・蜂屋頼隆らが攻め落としました。
柴田勝家・滝川一益らは坂井城を攻略し、近藤城も金掘り衆を使って奪っています。

降伏しない白山城の中島将監に対しては、佐久間信盛・蜂屋頼隆・丹羽長秀・羽柴秀吉かせ金掘り攻めを行って攻略しました。
しかし、伊勢大湊での船の調達がうまく行かず、伊勢・長島城への攻撃はできず、矢田城に滝川一益を入れると織田勢は撤退しています。
ただし、このときも撤退時にゲリラ攻撃を受け、林通政が討死するなど織田勢は打撃を受けました。

1574年7月からは第三次長島侵攻となりますが、今回は、織田家の全兵力8万以上で尾張・津島に移りました。
そして、10万以上が守る伊勢・長島城への総攻撃が開始されます。
一向一揆勢は、日根野弘就、日根野盛就、梅戸高資、服部政光(尾張服部党)、石橋義忠、大島親崇(伊勢大島城主)、伊藤祐雅(加路戸城主)、大木兼能らと顕忍、空明です。

織田勢の布陣は下記の通りでした。

市江口
織田信忠、長野信包、織田秀成、織田長利、織田信成、織田信次、斎藤利治、簗田広正、森長可、坂井越中守、池田恒興、長谷川与次、山田勝盛、梶原景久、和田定利、中嶋豊後守、関成政、佐藤秀方、市橋伝左衛門、塚本小大膳

賀鳥口
柴田勝家、佐久間信盛、稲葉良通、稲葉貞通、蜂屋頼隆

早尾口
織田信長、羽柴秀長、浅井政貞、丹羽長秀、氏家直通、安藤守就、飯沼長継、不破光治、不破勝光、丸毛長照、丸毛兼利、佐々成政、市橋長利、前田利家、中条家忠、河尻秀隆、織田信広、飯尾尚清

水軍
九鬼嘉隆、滝川一益、伊藤実信、水野守隆、島田秀満、林秀貞、北畠具豊(織田信雄)、佐治信方

参加先不明
神戸信孝、水野信元

7月14日に陸上から侵攻開始し、15日からは安宅船を先頭とした水軍大船団が長島城を囲みました。
降伏しようとする一向一揆勢を織田信長は許さず逃げる者の大半を討ち取っています。

伊勢・長島城では8月に入ると餓死者が出始め、9月29日、降伏を申し出て船で退去しようとしましたが、織田信長は許さず、斬り捨てました。
これに起こった約800が、裸で捨て身の攻撃を行ったため、織田信広や織田秀成など織田一族も戦死者を出しています。
他には小瀬清長、織田信次、織田信直、織田信成、織田信昌、佐々松千代丸(佐々成政の長男)、佐治信方、平手久秀、山田勝盛、和田定利など織田家の武将も命を落としています。

そのため、織田信長は、誰も逃げられないよう、長島城の周りを柵で囲み、火攻めを行いました。
伊勢・長島城では約2万が焼死したとされています。

願証寺は長島城陥落の際に、5世・顕忍が討死し、2世・実恵の妻が海に入水、3世・証恵の弟・証栄も亡くなりました。

こうして長島一向一揆を鎮圧すると、伊勢・長島城には滝川一益が入り、天守も築いたようです。

伊勢長島城の縄張り図

本能寺の変のあと、滝川一益は柴田勝家に味方し羽柴秀吉に敵対します。
そのため、滝川一益は攻められて所領を没収され、伊勢・長島城は天野景俊、原胤房、織田信雄の居城になりました。
しかし、1586年の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受け、織田信雄は清洲城に移っています。

そのあとは、豊臣秀次、慶長3年(1598年)には福島正則の弟・福島高晴が1万石で伊勢・長島城に入りました。





江戸時代に入り、1601年6月、上野阿保藩から菅沼定盈の次男・菅沼定仍が2万石で移ります。
このとき、長島城を改修して藩庁としました。

伊勢長島藩の第2代藩主・菅沼定芳は大阪の陣で戦功を挙げ、元和7年(1621年)近江・膳所藩に3万1千石で加増移封となります。
その後、長島藩は廃藩となり、長島城も一時廃城となりました。

しかし、慶安2年(1649年)、久松松平家の松平康尚が那須藩から1万石で移動し長島藩が再び成立します。
元禄15年(1702年)には、徳川4代将軍・徳川家綱の生母の弟・増山正利の子となる、増山正弥(まさみつ)が常陸下館城から2万石で移り、以後8代続いて明治維新となりました。
長島はデルタ地帯で洪水も多く、田畑では水害対策が行なわれたと言います。

一向宗の願証寺は、享保3年(1718年)に名古屋御坊と称し、1876年(明治9年)に本願寺・名古屋別院(東院)になるなど、再興もされています。

この記事冒頭の写真は、蓮生寺に移築された大手門の写真です。
この門は、移築した際に小さく縮小されましたが、長島城を偲ぶ唯一の遺構となります。

本丸があった場所は中部小学校の敷地になっています。

伊勢・長島城

奥書院が、近江源氏佐々木氏と関係もあると言う深行寺(長島町殿名)に移築されていると言うので、狭い道をくねくねと深行寺も訪問致しました。

深行寺

しかし、古い建物が見当たらず、わからずじまいでした。
あとで、再度調べましたら、深行寺の長島城奥書院は本堂となっていましたが、老朽化のため取り壊されて、平成元年に新しい本堂が新築されたようだとのことです。
オーマイゴット!





伊勢・長島城へのアクセスは、JR関西本線の長島駅、近鉄名古屋線の近鉄長島駅から、大手門まで徒歩約10分となります。
大手門から中学校付近を歩いてまわると、見学所要時間は約40分といったところです。
駐車場はありません。

歴史的には非常に有名な場所と言えると存じますが、復元や遺構は非常に乏しいところでした。

織田信長と言う人物に迫る
北畠具教と雪姫~信長に乗っ取られた伊勢国司の末路
本願寺顕如~信長を困らせた浄土真宗の名僧
清須会議とは(清洲会議とは)~清洲城・織田家宿老の会議
下間頼龍~本願寺の僧侶であり武将としても活躍した重鎮
九鬼嘉隆~九鬼水軍を率いた織田家・豊臣家の水軍大将
佐久間信盛~退き佐久間も最後は追放される運命に
桑名城 ちょっと寂しい名城 駐車場・復元櫓情報
清洲城 織田信長の居城ここにあり・清須城
大阪城と石山本願寺の史跡巡り観光堪能2時間コースのご紹介
「尾張・美濃」にある戦国史跡跡オリジナル地図(Googleマップ)

この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
中級者向け
旧国名
伊勢
著者コメント
大手門以外、目立った遺構はありません。
0

 

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