三重県

伊勢・亀山城の解説~城主の関盛信・岡本良勝と現存する多聞櫓

伊勢・亀山城

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伊勢・亀山城

伊勢・亀山城(かめやま-じょう)は、三重県亀山市本丸町にある平山城で別名は粉蝶城、近世亀山城、亀山新城、伊勢亀山城とも言う。
標高は70mで比高は10mほど。
東海道の要所にあり鎌倉時代の文永2年(1265年)に伊勢平氏・関実忠(関左近将監実忠)が、関久賀から移転して伊勢・若山城(伊勢古城)を築いたのが始まりとされる。

伊勢・若山城(伊勢古城)

関実忠(せき さねただ) は弟・平盛綱らと執権北条泰時の御内人(家来)であり、1264年に板渕氏と和睦して若山に城(館)を設けたことになる。

伊勢・若山城(伊勢古城)

のち伊勢・峯城、鹿伏兎城、伊勢・国府城、伊勢・神戸城に関氏の一族が分かれている。

関盛信

関盛信(せき もりのぶ)は戦国時代の武将で父・母・生年は不詳。
妻は日野城主・蒲生定秀の娘で、1564年に嫡男・関一政が生まれている。
<注釈> 一族の神戸具盛も一緒に蒲生定秀の娘を妻にしている。


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戦国時代の関氏は六角義賢、六角義治に従っており伊勢・亀山城を本拠としていた。

伊勢・亀山城

1567年、織田信長が伊勢へ進攻開始すると、1568年、一族の神戸具盛は織田信孝(織田信長の3男)を婿養子にして降伏。
関盛信も降伏すると神戸信孝(織田信孝)の軍勢に加わったようだが、主君・織田信孝をないがしろにしたので関氏の一族は織田信長の怒りを買った。
そのため、元亀4年(1573年)春、関盛信とと神戸具盛は近江・日野城の蒲生賢秀に身柄を預けられている。

関盛信

天正2年(1574年)8月、越前朝倉攻めの際に勝手に一向一揆と和睦して逃亡していた羽柴秀吉の配下・樋口直房(堀秀村の重臣)を関盛信が討ち取り、伊勢・長島城の戦いに参じていた織田信長に首を届けている。

1582年、織田信孝が四国攻めの総大将として大坂に赴きと、関盛信は伊勢・亀山城への復帰を許された。
そして本能寺の変となり織田信長が横死すると、関盛信は羽柴秀吉(豊臣秀吉)の家臣に加わった。

伊勢・亀山城

天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いの際には、滝川一益が伊勢・峰城や伊勢・亀山城を落としたが奪い返している。
ただし、伊勢・亀山城は蒲生氏郷に与えられたようで関盛信は城代となったようだ。

伊勢・亀山城

天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いなどにも参じたが、家督を関一政に譲っている。
子の関一政は蒲生氏郷の与力として九州攻めや小田原攻めにも参陣し、特に伊豆・韮山城を攻撃している。
蒲生氏郷が会津に入ると、関一政は陸奥・白河城にて5万石となった。

文禄2年(1593年)、関盛信は陸奥・白河城にて死去。

関氏が伊勢・亀山城を去ったあとには岡本宗憲が入り改修している。

岡本良勝

岡本良勝(おかもと よしかつ)は、戦国時代の武将で1542年頃、岡本定季の子とした生まれた。
岡本氏は織田信孝を産んだ側室・坂氏の娘の叔父だったようで、尾張・熱田にあった岡本良勝の屋敷にて出産したとされる。
そのため、織田信孝が神戸信孝となった際に家老として伊勢に派遣されていた。

伊勢・亀山城

そして、1574年、伊勢・峯城城主の峯盛祐が長島一向一揆で討死すると岡本下野守良勝が峰城主となっている。
1583年、賤ヶ岳の戦いの際に、滝川一益が伊勢を攻撃しているため、伊勢・峰城や伊勢・亀山城は落城したが、羽柴秀吉勢が取り返したので以後は織田信雄の家臣となっていた。
1590年、小田原の際に武蔵・岩槻城攻めに加わり、伊勢・亀山にて2万2千石となった次第だ。
そして、亀山城の天守、本丸、二の丸、三の丸など大規模な改修工事を行った。

伊勢・亀山城

1600年、関ヶ原の戦いで岡本良勝は石田三成に味方し氏家行広の桑名城に入っている。
亀山城は嫡男・岡本重義と甥・岡本三休が守備したが、石田三成が敗走すると翌日、東軍・山岡景友の説得に応じて降伏・開城した。
伊勢・神戸城の滝川雄利や岡本良勝(岡本宗憲)は逃亡後に投降したが許されず切腹している。
岡本良勝(岡本宗憲)、享年58(または享年59)。
子の岡本重義も近江・水口城近くにて自刃。享年12。


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関ヶ原の戦いでは、関一政(関長門守一政)が井伊直政の説得を受けた東軍に寝返ったこともあり、1604年に3万石にて故郷の伊勢・亀山城への復帰を許され「伊勢・亀山藩」が成立した。
伊勢・亀山城は徳川将軍が上洛する際の宿所としての役割もあった。

伊勢・亀山城

1610年、関一政は伯耆・黒坂城5万石として移封され、三河・作手藩(三河・亀山城)から松平忠明(奥平信昌の4男)が5万石で伊勢・亀山城に入った。
その後、三河・挙母城から三宅康信が亀山藩主となったが、1632年、江戸幕府から丹波・亀山城の天守を破壊するよう命じられた堀尾忠晴(松江城主)が勘違いして伊勢・亀山城の天守を取り壊した。

伊勢・亀山城

その後、天守は再建されず、三河・西尾城から本多俊次が亀山藩主となった際に天守台には多門櫓(現存多聞櫓)が建ったと言う事になる。
本丸は市役所の西にある亀山神社の場所となる。

亀山神社

江戸時代後期には、石川家成の子孫が伊勢・亀山藩主となって幕末を迎えた。

交通アクセス

伊勢・亀山城への行き方だが、JR関西本線の亀山駅から徒歩11分。
駐車場は亀山公園の無料駐車場を利用できるため、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸」方面にてポイントしている。
亀山市観光協会にて御城印を販売しているとの事。
伊勢・亀山城の見学所要時間は30分くらいで、トイレも公園にある。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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