神奈川県

花岳城の解説~小田原城よりも古い小田原城域内にある古城

花岳城




花岳城とは

花岳城(かがくじょう)は、 神奈川県小田原市城山にある館跡(平城)ですが、平安時代末期の小田原を領地としていたのは、中村党になります。
中村党の中から支流となる土肥氏、小早川氏が、小田原の地を分領して行くようになります。
そのうち、土肥氏の本拠は、湯河原の土肥氏館となります。
その土肥実平の子・小早川遠平は、土肥郷の北部にあたる小早川(神奈川県小田原市早川)の地名を称しています。
恐らくは、早川の東善院や、海蔵寺付近にも小早川氏館を構えたものと推測致しますが、現在の小田原城がある場所が、小早川城(小早川館)とする場合がありますが、確証はないでしょう。
その小早川氏は、鎌倉時代中期に、安芸・沼田荘に移り住み、戦国時代の智将・小早川隆景に繋がっています。





その後は、北条時頼のとき、佐野源左衛門が恩賞として与えらたとされますが、小田原周辺は、引き続き中村党が支配しており、中村氏・土肥氏・土屋氏、また曾我氏などが存続していたと考えられます。

1416年、上杉禅秀の乱の際に、中村氏、土屋氏、土肥氏らは一族を挙げて、上杉禅秀(上杉氏憲)に味方しています。
しかし、今川範政・大森頼春・葛山氏の軍勢が「足柄の陣を攻落し、相州に打越て曽我・中村を責落し」たとあり、中村党は没落しました。
この時、駿河国駿東郡から大森頼春(おおもり よりはる) が、相模・小田原に移ったのですが、その本拠が、花岳城であったとも考えられます。

花岳城

天保年間(1830年〜1844年)に書かれた相中雑志によると「すべて大森寄栖庵城を花岳城と云う・・・。」とあります。

大森頼春の子・大森氏頼(おおもり うじより) は、出家すると大森寄栖庵入道と称しています。
大森寄栖庵の城は、すなわち、花岳城であった可能性も高い訳です。

花岳城

花岳城の場所は、現在ある小田原城の天守からだと、北に約1kmの場所となります。
3方を山に囲まれた谷戸地形(窪地・谷津)になっており、鎌倉時代から室町時代の時代に館を置くのには、とてもふさわしく、日本各地でも、館を配置するような、よくある地勢となっています。
近くには、地元の政治中心になる小田原市役所もあります。





小田原城の総構えの内部になりますので、現在、我々が良く知る小田原城の前進と言って、間違いないでしょう。
例えばですが、江戸時代に築かれた名古屋城も、今川氏が築いて織田信長も入った那古野城の場所と、ちょっとズレています。

花岳城

と言う事で、1495年頃、北条早雲(伊勢盛時)が小田原城を奪取したと言うのは、花岳城だった可能性も考えられます。
しかし、戦国時代となると、もっと防御性に優れた本拠地にならないと、家臣も「負けとしまうのでは?」と心配になってしまいます。
家臣から「負けてしまうのでは?」と思われてしまうと、離反されてしまうこともあり、簡単に陥落しない城が求められ、谷戸から山の上にと城が築かれていくようになりました。

花岳城

恐らく、山の上(八幡山古郭付近)は、詰の城と言う事で、ある程度、砦の機能(見張台)があったと推測します。
しかし、北条早雲も例外なく、花岳城の南側にある山上・八幡山古郭に、本格的な築城を開始して拡大させて行き、いつしか、山上に本丸ができて「小田原城」と呼ばれるようになったものと考えられます。
御承知の方も多いと存じますが、今ある小田原城の天守は、もともと、北条氏が築いた小田原城の本丸があった場所ではありません。

花岳城

北条氏の時代の本丸は、今の小田原高校付近(山の上)だったと考えられています。
このように、その時代に求められる場所へと、少しずつ、本拠とした館も、移って行ったのでしょう。





なお、大森氏が入る前から、花岳城の場所には、武士の舘が存在していた可能性も高いです。
花岳城に隣接していたと考えらる場所に、現在、花岳山月光院「城源寺」があります。
その名の通り「城」の「源」にある寺と言う事になります。

花岳城

ただ、城源寺の創建は、大森氏が入る前の鎌倉時代とされます。
なお、土肥氏の菩提寺が湯河原にありますが、その寺の名前は「城願寺」ですして、小田原の東に位置する曾我氏の菩提寺も「城前寺」と、大変似たような名称となっています。
そのため、小田原の城源寺も、鎌倉時代から、城・館から近い場所にあったと考えられます。





小田原の城源寺は、 大森氏の花岳城の跡を号したとされます。
もしかしたら、土肥氏・小早川氏の別邸や妻を住まわせるような場所として、鎌倉時代から使われていた可能性も捨てきれません。

交通アクセス

花岳城跡・城源寺への行き方ですが、小田原駅の北口から約800m、徒歩10分くらいの距離です。
ただし、前述したとおり谷戸・谷津にあるため、一度、坂を上って、降りて行くと言う感じです。
そのため、タイミングが合えば、バスに乗車して所要2分、丹羽病院前バス停下車の徒歩2分が良いでしょう。
もし、お時間があれば、ゆっくりと、北条氏時代の小田原城なども、歩いて見学されると良いかもしれません。
クルマの場合、未舗装の駐車場が城源寺参拝用としてありますが、道路は狭く、大通りからも入りにくいため、お勧めできません。

城源寺の駐車場

バス道路から、城源寺へ入る箇所も、わかりにくく、見落としがちになります。
もし、駐車するとしたら、小田原駅北口付近のコインパーキングか、小田原市役所あたりの有料駐車場が良いかも知れません。
当方のオリジナル地図は、歩くナビとしてもお使い頂けますので、スマホで地図表示して、ご活用頂ければ幸いです。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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