埼玉県

深谷城 深谷上杉氏の本拠 上杉憲盛・上杉氏憲

深谷城

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深谷城とは

深谷城(ふかやじょう)は、現在の埼玉県深谷市本住町にある平城で別名は木瓜城(ぼけ-じょう)と言います。
標高は35mの丘上の北端に築かれています。

最初の築城は一般的に、1456年に庁鼻和城主の上杉房憲(うえすぎ-ふさのり)が築いたとされますが、それより以前から豪族の砦程度のものがあってもおかしくはありません。
山内上杉氏の一族である上杉房憲のときから深谷上杉氏と称しています。


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なお、前年に関東管領・山内上杉氏を継ぐべく上杉憲忠が5代鎌倉公方足利成氏によって暗殺されたため、弟・上杉房顕が関東管領となって上野・平井城に入りました。
そして、足利成氏に備えるために、中山道の抑えとして深谷城が築城されたと考えて良いでしょう。
主君の上杉房顕は、足利成氏と何度も戦いますが敗戦続きで、1466年、五十子城にて対陣した五十子の戦い(いらこのたたかい)の際に急死しました。享年32。
五十子城は、深谷城よりも平井城側ですので、恐らく深谷城は古河公方になっていた足利成氏の勢力に一時奪われていたものと推測されます。
ただし、上杉房憲のあと、上杉憲清(のりきよ)、上杉憲賢(のりかた)、上杉憲盛(のりもり)、上杉氏憲(うじのり)の5代が深谷城主として見受けられるため、上杉一族として深谷上杉氏は、脈絡を保ったようです。


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扇谷上杉家の滅亡後、上杉憲賢は1541年、上野・金山城の横瀬泰繁を攻撃しています。
その後、1546年に、河越城の戦いにて山内上杉氏が敗れると、北条氏康に接近しました。
その子の上杉憲盛は、忍城主・成田長泰と同盟しており、太田資時の娘を正室に迎えています。
重臣には岡谷清英や秋元景朝らがおります。
深谷上杉氏は、北条家に降伏しましたが、新田金山城の由良成繁ら北からも攻撃を受けています。
そして、春日山城上杉謙信が関東に入ると、上杉家に臣従しましたが、帰国すると再び北条家に従ったため、忍城の成田氏長から攻撃されています。

深谷城

そのため、上杉憲盛は娘を成田氏長の弟・成田泰親の正室にして和睦しました。
子の上杉氏憲が1575年に家督を継ぐと、1578年には小田原城主・北条氏政の養女を正室に迎え、完全に北条家の傘下となり、北条氏邦の部隊として動いています。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際、上杉氏憲は北条氏直の要請にて小田原城に籠城しましたが、深谷城を守備していた重臣の秋元長朝・杉田因幡守らは、豊臣勢の前田利家浅野長政に降伏して開城しました。


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その後、江戸城に入った徳川家康の家臣・松平康直(まつだいら-やすなお)が1万石にて深谷城に入ります。
1593年に、松平康直が25歳の若さで没すると、徳川家康の7男・松平松千代(母・茶阿局)に与えられましたが、1599年僅か歳で早世しています。
そのあとには、冷遇されていた兄の6男・松平忠輝(母・茶阿局)が継いで深谷藩主となりました。
この松平忠輝は、45万石にて越後・高田城主にもなりましたが父・徳川家康から嫌われており、最終的には兄・徳川秀忠より所領没収・改易を命じられ、徳川家康の子としては不遇の一生を送っています。

なお、江戸時代、深谷城には、松平忠重が8000石、続いて酒井忠勝が1万石にて入封するも、1627年に武蔵・川越城に移封となり、深谷藩は廃藩、1634年に深谷城も廃城となって取り壊されたと言う事になります。
なお、発掘調査では、堀障子も発見されています。

現在、図書館があるあたりが本丸跡となりますが、土地は改変されてしまっているようです。

深谷城

交通アクセス

深谷城への交通アクセス・行き方ですが、JR高崎線の深谷駅から1500m、徒歩だと約20分の距離に深谷城址公園があります。
クルマの場合、無料駐車場として、深谷市の公共駐車場が利用できます。
当方は、深谷公民館・深谷生涯学習センターの駐車場を利用させて頂きましたので、駐車場入口を当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。

このあとは、庁鼻和城へ向かいました。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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