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那古野城 名古屋城の二之丸に石碑あり

那古野城

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那古野城とは

戦国時代までは、那古野城(なごやじょう)と言う今の規模からすると、ずっと小さい城が現在の名古屋城のニの丸付近にありました。

那古野城のあたりは今川那古野氏の領地で、築城の起源としては、1518年以降、三河の全域と尾張の東半分をその支配した駿河の今川氏親が、大永年間(1521年~1528年)に築いたとされます。

今川氏親の5男?とも考えられる、今川氏豊(いまがわ-うじとよ)が今川那古野家に養子に入って那古野城主となっています。
また、今川氏豊は、尾張守護・斯波義達の娘を妻にしています。

那古野城と同じ頃に勝幡城を築いた織田信秀が、1532年に名古屋城に兵を侵入され、謀略で城を落とします。


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なんでも、織田信秀は那古野城の中で倒れて「家臣に遺言をしたい」と頼み、家臣らを多数城内に入れたと言います。
そして、夜になるのを待って、城内に火を放ち、外からも攻撃させて、那古野城を乗っ取りました。
今川氏豊は命は助けられましたが、京に逃れていますが、那古野城の奪取時期は1538年とする説もあります。

那古野城

その後、織田信秀は1539年に、本拠を古渡城に移し、熱田神宮などを支配しました。
のち、1546年になると那古野城は、元服前の織田信長に譲られていますが、織田信長は那古野城で生まれたとも、勝幡城で誕生したともされます。

その後は、織田信長の叔父・織田信光、織田家の重臣・林秀貞らが那古野主を務めましたが、やがて廃城になっており、那古野城の遺構はほとんど残っていません。

現在、二の丸跡に那古野城址の碑が建っています。

那古野城

ちなみに、名古屋城ができてから、二の丸には平岩親吉の屋敷もあったようです。
また、最近の発掘調査では、名古屋城の三の丸跡も、旧那古野城の城域であったと推定もされました。

那古野城

那古野城の石碑までの交通アクセスですが、名古屋市営地下鉄・名城線市役所駅から徒歩約5分、または鶴舞線ろ浅間町駅から徒歩約15分、名鉄瀬戸線・東大手駅から徒歩約15分となります。
まぁ、名古屋城の二の丸を目指してください。


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江戸時代に入り、1609年、那古野城の跡地に「名古屋城」が築城されることになります。
そして、加藤清正寺沢広高細川忠興毛利高政、生駒正俊、黒田長政木下延俊福島正則池田輝政鍋島勝茂、毛利秀就、加藤嘉明浅野幸長、田中忠政、山内忠義、竹中重利稲葉典通蜂須賀至鎮、金森可重、前田利光らによる天下普請により1612年、完成しました。
名古屋城には尾張・徳川家となった徳川義直清須城から移っています。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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