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御幣山城(相模・大谷城)~武田勢が10年近く?占領していた藤沢の城跡

御幣山城(相模・大谷城)

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御幣山城(大谷城)とは

御幣山城(おんべやまじょう)は、相模国鎌倉郡大鋸町(神奈川県藤沢市藤が岡)にある丘城です。
別名は、御幣山砦(おんべやまとりで)、おんべ山砦、相模・大谷城と言いますが、藤沢城と記載する場合もあるようです。
比高18m程ほどの台地先端に築かれています。
大鋸(だいぎり)と言う地名は、室町時代中期のころからも大鋸引(おがびき)という材木からも板をつくる職人たちが遊行寺の門前付近に住んでいて、城の築城も行っていたようで、この地が大鋸という地名になっているとの事です。

御幣山城

西の崖下に、江ノ島に通じる境川が流れており、北は東海道があり、古刹・遊行寺も近く、平安時代末期には藤沢に、大庭氏の館もあったものと推測されます。
鎌倉時代に、感応院境内に祀られている三島明神から、白い気体が立ちのぼり、白い幣となって東南方向にある、山の頂上まで飛び去ったことが地名の由来とのことです。

御幣山城

この付近は、平安時代中期、村岡荘と呼ばれており、坂東平氏の租である村岡良文(平良文)の居城が、相模・村岡城(村丘館)にあり、鎌倉など広範囲を領地としていました。
この村岡氏からは、千葉氏、上総氏、秩父氏、河越氏、江戸氏、渋谷氏、三浦氏、梶原氏、長江氏、鎌倉氏などを輩出し、のち、源頼朝の鎌倉入りにも大きく貢献しました。

ただし、御幣山城の最初の築城としては、戦国時代の1558年頃とされます。
小田原城の北条氏の領地であり、玉縄城の支城として築かれたものと推測されます。
玉縄城の西側には、二伝寺砦 (にでんじとりで)、高谷砦 (たかやとりで)、大塚烽火台 (おおつかのろしだい)、そして、御幣山砦という事になります。

御幣山城主としては、大谷公嘉 (おおたに-きんよし) の名があります。


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大谷氏に関しては、よくわかりませんが、桓武平氏の流れをくむ渋谷氏の一族である大谷氏の館(御所谷)や大谷城(御幣山砦)などがあったとされます。
小田原旧記では、北条20将衆のひとりに、大谷帯刀、大谷帯刀左衛門らの名が見られます。
大谷帯刀左衛門嘉俊は、大谷帯刀公嘉の子かも知れません。
小田原衆所領役帳においては、諸足軽衆の一員に、藤沢市川名に住む、大谷彦次郎の名がありますが、一族と考えられます。
新編相模国風土記稿では、川名村の字殿屋敷が、大谷筑前某の宅址としており、この大谷筑前某は大谷彦次郎の孫であろうと記載されています。
川名には、大谷筑前邸址、殿屋敷などの地名が残ります。
また、大谷嘉信といった名も垣間見えます。

後北条家二十将衆(ほうじょうけにじゅうしょう)のメンバーは下記の通りです。

荒川豊前、山中主膳正、荒木右衛門尉、在竹又太郎、福島伊賀守、横井越前、清水上野介、南条九衛門尉、山角四郎左衛門尉、石巻勘ヶ由、佐藤左衛門尉、板部岡右衛門尉、中条出羽、伊丹右衛門尉、行方弾正、間宮豊前、朝倉右京亮、大藤式部丞、大谷帯刀、安藤左近太夫。

武田信玄の領地になる

1569年、武田信玄が小田原攻めした際に、城主の大谷公嘉は小田原城に入って籠城に加わったため、御幣山城は武田勢に奪われたとあります。
武田勢が、10月8日、三増峠の戦いを経て、甲斐に退いたあとも、藤沢を武田勢が支配していた可能性があります。
約2年後の元亀二年、1571年7月16日、武田信玄が清浄光寺(遊行寺)に藤沢200貫、俣野(戸塚区)100貫、合計300貫を寄進しているのです。

信州より奥へ御移りの由承り、内々御床敷く存じ奉り候処。
御使僧ならびに御芳札苟に以て畏れ入り候。
殊更に種々贈り下され候、是亦祝着に存じせしめ候。
如何様来春使者を以て万端申し伸ぶべく候。
来たる七日駿府へ罷り越し候、取り乱すの条、早々御報に覃び候。
無沙汰に非ず候。委曲は彼の御使僧の口上に付与せしむの由、尊意を得べく候。
恐惶敬白。

相模国藤沢弐百貫
同州俣野の内百貫

右かくの如く寄附せしめ候。
猶関東静謐の上、御本領の内、重ねて一所進らせ置くべき候の趣、尊意を得べく候。
恐惶敬白

例えば、津久井城のあたりなど、地元の武将に、北条氏も武田氏も、同じ武将に安堵状を出したりして、在地武将が、どっちの家臣なのか?、よく分からない部分もあったりします。
武田の重臣として知られる郡内の小山田氏も、ずっと武田に従っているにも関わらず、北条家から伊豆に領地を与えられたりしています。
そのようなこともありますので、遊行寺に寄進した藤沢や俣野も、北条氏が実質的に領していても、武田氏側としては、引き続き支配していると考えていて、寄進した可能性も捨てきれません。

もし、本当に、2年近く、北条氏の本拠地・相模国にある藤沢を、武田勢が実効支配していたとしたら、かなり、驚きです。
その後、北条氏政が、武田から御幣山城を奪還し、大谷公嘉が御幣山城に復帰したと言う事にもなっています。

確かに、北条氏康は、三増峠の戦いから、10ヶ月頃(1570年8月)には、中風(脳卒中)で倒れていたようで「呂律が回らず、子供の見分けがつかず」と言う記録も残っています。
実際には、それより以前から病に伏せっていたとも考えられ、三増峠の戦いでもそうですが、北条家は武田勢の攻勢に、きちんと対処できていません。
そんな状況を察したのか、甲斐に戻った武田信玄は、すぐに駿河・伊豆方面を攻略開始し、蒲原城駿河・深沢城などが、陥落して、韮山城興国寺城も攻撃しました。
また、上杉謙信との同盟を急いだ北条家は、1570年4月、上杉家の養子として北条三郎を、春日山城に送っています。
1570年6月には、御嶽城の平沢政美(平沢豊前守政実)が武田氏に離反するなどし、北条氏は上杉謙信に援軍派遣を、強く求めています。
となると、三増合戦で、北条氏は、かなり兵力を失っていたのかな?と感じます。
しかし、援軍が来ないのが分かると、武田信玄との同盟を模索するようになり、上杉氏と連絡も取らなくなっていたようです。


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北条氏康発給の文書は、印判だけ押されるようになり(花押なし)、元亀2年(1571年)5月10日を最後に文書の発給はありません。
そして、1571年10月3日、北条氏康は小田原城にて死去しました。享年57。
死後の12月27日、北条家は上杉謙信との越相同盟を破棄し、武田家と再同盟した次第で、駿河国駿東郡や西上野は武田家支配となり、興国寺城にも武田勢が入りました。

家督を継いだ北条氏政は、早々に上杉の軍勢と対することになり、出陣すると前橋城の北条景弘(上杉家の重臣)などを攻撃しています。
このように、三増峠の戦いにて、戦力ダウンした北条家は、ピンチだったようでして、藤沢の御幣山城まで、手が回らない状態だった模様です。

北条氏政が甲相同盟を破棄したのは、武田信玄の死後、武田勝頼上杉景勝に味方した1579年になります。
その後、1580年5月19日に、北条氏政は隠居して、北条氏直が家督を継ぎました。
御幣山城を平和的に返したもらったのであれば、再同盟した1571年12月に返してもらっていることになりますので、恐らく、その通りだと思います。
しかし、言葉の表現でして「奪還」したと言う事を、真に受ければ、武力によって取り戻したと言う事になります。
その場合には、同盟が崩れた1579年から1580年頃にかけて、北条氏政が御幣山城を攻略したものと考えられるでしょう。
もし、そうだとしたら、藤沢は、約10年、武田領だった可能性がある次第です。
興国寺城などと交換で、平和裏に返してもらったのであれば、約2年、藤沢は武田領だったと言えるでしょう。
それにしても、武田の家臣で、誰が、御幣山城主だったのか?、とても気になるところです。


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1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、大谷公嘉の子と考えられる大谷帯刀左衛門は、武蔵・青木城主・多目元忠(多米周防守)と共に、上野・西牧城(幽崖城)にて籠城しました。
徳川家康の家臣・松平康国(松平修理大夫)、松平康寛の兄弟が攻撃したようで、大谷帯刀左衛門は討死したとされます。
<注釈> 多米出羽守(多米長定)は、駿河・山中城の戦いにて討死している。

大谷公嘉は、小田原城の砦を守備していて、討死した模様です。
江戸時代に、御幣山は江戸幕府の御林(おはやし)として直轄地になりました。

御幣山城跡ですが、藤沢駅も近いことから、現在は大規模な団地や、住宅地になっており、遺構を知ることはできません。
なお、唯一、城らしきところとして、台地の西に小さな公園「大鋸公園」がありましたので、撮影した次第です。
場所は、当方のオリジナル関東地図にて、御幣山と地図内検索して頂けますと幸いです。

クルマの場合、駐車場もありませんので、コインパーキング利用となります。
周辺道路も、ほんと渋滞がひどいところです。
今回、藤沢駅側から登って行く坂道が、工事中で、難儀しました。
遊行寺とセットでどうぞ。

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多目元興の解説 多目元忠 北条家の最古参であり河越夜戦での大活躍も
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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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