新潟県

春日山城の解説【日本100名城】戦国の息吹を感じ妄想も広がる山城 東城砦・林泉寺も

春日山城

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春日山城とは

上杉謙信の居城・春日山城(かすがやまじょう)は、新潟県上越市にある標高182m、比高169mの連郭式山城で、蜂ヶ峰城とも呼ばれます。
築城時期は不明ですが、越後・府中館の詰城にと最初整備されたようで、上杉謙信の父・長尾為景(ながお-ためかげ)のときに大規模な山城へと大改修されたようです。

春日山城の名前は、長尾景虎が上杉家を相続した際に、上杉家の氏神である奈良・春日明神を勧請したことから春日山との由来になります。

春日山神社

ただし、現在の春日山神社は、明治34年(1901年)に、米沢城下の上杉神社より分霊され、謙信公を祭神とした神社になります。

春日山神社

越後・春日山城は、国指定史跡、日本100名城、そして、日本五大山城と日本五大山岳城にも選ばれています。

春日山城と上杉謙信の銅像

春日山城本体も大きな城域ですが番屋口砦・番屋砦・長沢砦・長浜砦・沖見砦・トヤ峰砦・宇津尾砦・滝寺砦・俣砦・長池山砦・東城砦・御館城などが周囲にあり、とても広大な山城となっています。
春日山神社下の無料駐車場から、本丸までは20分~30分程度です。

春日山城

春日山神社の脇(馬場曲輪)には、上杉謙信の銅像がありますが、目線より高い、石垣の上にありますので、見落とさないよう注意が必要です。

上杉謙信の銅像

身障者の車両などは、この銅像前の駐車スペース(茶屋がある地点)に止められますが、一般車両は、もっと下の駐車場に駐車する必要があります。

春日山城

ここからの道路は舗装されていますが、クルマの乗り入れは禁止となっています。
目の前には春日山城を望みながら歩きます。

春日山城

春日山神社の右奥から登っていけるルートは森の中ですので、そちらから登って行った方が、多少はラクかも知れません。
下記は、南方面ですが、立入禁止となっていました。

春日山城

三の丸虎口から上がって行きますが、各曲輪には、家臣らの屋敷があったようで、石柱が建っています。

春日山城

三の丸には、上杉景虎(北条三郎)の屋敷跡がありました。

春日山城・三の丸

御館の乱では、最初はここにて籠城した訳ですので、もっと広いだろうと想像していたのですが、意外と狭いです。

上杉景虎(北条三郎)の屋敷跡

ただ、三の丸には、土塁が巡らされてあり、米蔵もあったようですので、本丸の上杉景勝は金銀を。
上杉景虎(北条三郎)は兵糧を抑えたと言う事になるのでしょう。

春日山城

更に登って行きますが、まもなく本丸です。
整備はされているため、とても歩きやすいです。

春日山城

春日山城・二の丸に到着しました。
すぐ下には三の丸があります。

春日山城・二の丸

下記は春日山城の天守閣跡です。

春日山城

この直下には、三の丸も良く見えます。
この高いところから、矢を放てば、三の丸に届くかと思いますので、御館の乱にて籠っていた上杉景虎(北条三郎)も、オチオチ、屋敷の外を歩けなかったのではと感じます。

春日山城

春日山城はとても大きな城でして、大手筋の方も良く見えました。

春日山城

堀切のすぐ裏手には、水の手(井戸曲輪)もありましたので、籠城には適した山城であることが伺えます。
よく滑ることから「油流し」と呼ばれる斜面もこの付近です。

春日山城

下記は本丸になるのかな?
堀切を挟んだ反対側です。
そんなに広くはありませんが、石碑などがありました。
戦国時代には、どのような施設があったのでしょうかね?

春日山城

北へと進みますと、尾根上に曲輪や郭があります。

春日山城

越後・春日山城でも、本丸から重要な部分だったことでしょう。
日本五大山城のひとつになっている春日山城ですので、ほんと規模が大きいです。

春日山城

諏訪堂跡など、仏様に関係する建物が多かったようでして、さすが「軍神」と言われた上杉謙信です。

諏訪堂跡

毘沙門堂は、上杉謙信が出陣の際に、必ず戦勝を祈願したとされる護摩堂になります。

毘沙門堂跡

春日山城にて急死した上杉謙信の遺骸は、鎧を着せて太刀を帯びさせ、甕の中へ納め漆で密封すると、春日山城内の不識院(ふしきいん)に安置されました。
上杉謙信は、出家した際に、不識庵謙信(ふしきあんけんしん)を号していたため、霊所の名称も不識院と命名された模様です。
毘沙門堂のすぐ脇が、不識院跡になります。
下記写真は現在の毘沙門堂ですが、上杉謙信の頃と違う場所に後年建てており、もししかたら、ここに不識庵があったのかも知れません。

毘沙門堂

下記は「御花畑跡」と、戦国の城にしては、なんともホッコリするような名前の曲輪の名称です。
上杉謙信は「花の謙信」とも呼ばれることがあり、カタクリが咲いていたようです。

御花畑跡

この付近、本丸方面を振り返りますと、下記のような感じです。

春日山城

その下に直江屋敷跡がありますが、恐らくは、直江兼続の前から直江家の屋敷として使われていたのでしょう。

直江屋敷

そこそこ広いスペースになっています。

春日山城

更に下がっていきますと、春日山城の空堀が現れました。
これは、大変おもしろいですね。
下から駆け上がってきた敵は、道だと思ってこの空堀に入り込む可能性が高く、横矢を掛けられるようになっています。

春日山城の空堀

下記の写真のほうが分かりやすいでしょうかね?
空堀と言うよりは「罠」(わな)です。
もう400年経過していますので、だいぶ埋まっているかと存じます。
昔は、もっと深かったことでしょう。

春日山城の空堀

下記は上杉少弼入道宅跡です。
この上杉少弼入道、上杉一族と思われますが、謎の武将です。
上杉家で弾正少弼に叙任され、出家して入道した武将は、上杉謙信くらいなのですが、国主の館跡にしては、直江家よりも小さいような・・。
上杉謙信には妻子など家族がいませんでしたので、もしかしたら、出家したあと、数人の側近らと、この狭いところに、籠ったのかも知れません。

上杉少弼入道宅跡

このように春日山城は色々と妄想が広がりまして、非常に面白いですね。
下記は、千貫門跡で、城門のひとつがあったようです。
千貫門(せんがんもん)の理由としては、一千の館の扉ですとか、千貫(莫大な)の価値があると言う意味になります。

千貫門跡

千貫門の直下は下記のような感じで登りになっています。

春日山城

更に、春日山神社の脇から下には、お屋敷跡と呼ばれる城主の館跡なども点在します。

春日山城

また城下には屋敷な城下町があり、空掘も1.2kmにも及び、土塁で囲まれた総構(そうがまえ)となっています。

春日山城

山頂の本丸・天守台からは頸城平野と眼下に広がる上越市街や日本海までも一望可能です。

春日山城からの展望

日本五大山城は、春日山城、月山富田城観音寺城小谷城七尾城
日本五大山岳城は、小谷城の代わりに八王子城が入っていると言う編成です。

上杉景勝が会津に移封されたあと、堀秀治が入ります。
堀秀治のあと、子の堀忠俊が引き継ぎ、1607年に越後・福島城が完成すると春日山城は廃城となりました。

毎年8月下旬には「謙信公祭」にて武者行列などが行われます。


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行き方・交通アクセス

交通アクセスですが、トキ鉄・妙高はねうまライン「春日山駅」から春日山神社まで、歩いて40分となります。
路線バスの場合には、直江津駅から春日山荘前経由中央病院行きの頸城バス「春日山荘前」バス停下車で徒歩15分となります。
効率的に訪問するのであれば、タクシー利用も一考です。

春日山城の茶屋

無料駐車場は、春日山神社の下に30台、大手道駐車場は10台です。
駐車場から本丸のでの所要時間は30分程度となります。

山頂付近は、月山富田城のように木々が伐採されているため、展望や曲輪も分かりやすくなっています。
坂道も、信濃・砥石城のような急坂でもありません。
観光でも夏は熱中症対策と、熊鈴が必用です。
トレッキングポールは、なくても大丈夫なほど、遊歩道は整備されていますので、スニーカーで大丈夫です。

100名城スタンプは、川中島合戦図屏風などが展示されている「ものがたり館」に設置されており、離れています。
私は100名城、やっていないので、興味ありませんが・・。

ものがたり館

林泉寺

上越市の林泉寺(りんせんじ)は、1497年に越後守護代・長尾能景が亡父の17回忌供養のため、曇英恵応を拝招して創建した曹洞宗の寺です。
下記の惣門は、春日山城の搦手門を移築したものと伝わります。
上杉謙信が移築したとも伝わり、現存する唯一の春日山城の建築物になっています。

春日山城の搦手門

越後守護代である長尾氏・上杉氏の菩提寺で、7歳の幼い上杉謙信が7年間、天室光育のもとで教育を受けたのもこの林泉寺です。
境内は有料拝観となり、朝9時から開いてます。

林泉寺

山門に掲げられた「第一義」の扁額(本物は宝物館に収蔵)は上杉謙信の直筆となります。

林泉寺

下記は林泉寺の本堂です。
江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠からは、寺領224石を授けられています。

林泉寺の本堂

林泉寺は、上杉氏の菩提寺であり、裏山に無敵の軍神と言われた上杉謙信の墓(供養塔)、他にも上杉為景の墓、上杉能景の墓があります。

林泉寺

なお、上杉景勝に代わって春日山城主となった堀秀治によって再興されため、堀秀重、堀秀政、堀秀治3代の位牌と墓もあり、松平氏の墓もあります。

林泉寺の墓

下記は上杉謙信の墓(供養塔)です。

上杉謙信の墓(供養塔)

上杉謙信の遺骨は、米沢の上杉神社に現在は安置されています。

上杉家廟所~米沢の国指定史跡

下記は川中島の戦いで亡くなった将兵を弔う川中島合戦戦死者の供養塔です。

川中島合戦戦死者の供養塔

他にも、堀秀治の墓、堀秀政の墓、堀秀重の墓、その他、高田藩関連として榊原家・松平家の墓があります。
撮影禁止でしたので写真はありませんが、宝物館には、上杉家関連の貴重な展示もありますので、是非ご覧頂ければと存じます。
下記は紅葉の時期に撮影した林泉寺です。

紅葉の林泉寺

米沢にも林泉寺がありますので、ご興味のある方は下記よりご覧ください。

米沢の林泉寺にある上杉家墓所~仙洞院・菊姫・直江兼続・お船の方の墓

越後・東城砦

東城砦(春日砦)は、標高15m、比高10mの丘城です。

越後・東城砦

春日山城から東の方向にある東西二段の小さな砦で、東端に堀切があります。
竪物堀は、堀竪物秀治のことですね。

越後・東城砦

主郭には建物も復元されていました。

越後・東城砦

監物堀も復元されていますが、堀氏の頃だと推測致します。
下記は春日山城の模型です。

春日山城の模型

この東城砦も、春日山城の一部と言う認識になっており、国指定史跡に含まれています。

東城砦(春日砦)

東城砦(春日砦)へのアクセスですが、春日山跡ものがたり館に隣接しており、春日山城史跡広場公園の駐車場が利用可能です。

以上、春日山城、林泉寺、ものがたり館(東砦跡)をクルマで移動しながら巡って、観光所要時間は2時間といったところです。
当方の東北・新潟オリジナル地図にて、駐車場などの場所もわかるようにしてありますので、よろしければ、ご活用頂けますと幸いです。

上杉謙信の解説~越後の龍と呼ばれた長尾景虎・上杉景虎の人物像に迫る
上杉家廟所~米沢の国指定史跡
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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