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青梅の武蔵・御岳城 標高929mにある山上城郭?

青梅の武蔵・御岳城




武蔵・御岳城とは

武蔵・御岳城(みたけ-じょう)は、東京都青梅市にある山城です。
御嶽城、御岳山城とも書きます。
標高はなんと929m、比高は679mもあります。

城跡は、御岳山の山頂にある武蔵御嶽神社がある場所と言う事になります。
城の遺構はあまりなく、基本的には神社になっており、神社全域が「城郭」とも言えます。





今回、確認までは致しませんでしたら、武蔵・御岳城には、土塁や堀切跡があると言う事で、江戸時代後期くらいから、城があったんとちゃうか?と言われるようになりました。

青梅の武蔵・御岳城

だって、神社が「堀切」なんて作る理由がありますか?
少なくとも防衛する必要性があり、堀切を作ったと考えられるわけです。

なお、青梅の武蔵・御岳城が文献に出てくるようなことはありませんので、城主などの実態は全く不明です。
仮に、武将が必要に迫られて、この900mを越える山頂に防衛目的で、城・砦を築くとは考えにくいです。





戦国時代、麓には、三田氏の拠点である辛垣城もありますのでね。
もちろん、いつの時代に城として機能したのかも不明ですが・・。
そのため、その防御が必要な勢力は、御嶽神社で、神社が防衛のために、山上に堀切などを設けたのかも知れません。

青梅の武蔵・御岳城

古くは、紀元前の話になりますが、ヤマトタケル(日本武尊)が、東征の際に、御岳山から埼玉方面に進もうとした際に、大きな白鹿を退治したとあります。
そのまま受け取れば、大きな抵抗勢力をやっつけたと言う事ですね。
そして、日本武尊を案内した白い狼(オオカミ)を御岳山に置いて、すべての魔物を退治せよと命令しました。
要するに、味方になった勢力に、その後の統括を任せたとも受け取れます。

青梅の武蔵・御岳城

ただし、そのとき、堀切などを造ったとは確証を得られません。
何しろ2000年以上前の話ですし、この話じたいが伝承の域を脱しません。
しかし、武蔵・御岳山の一番高いところには、この白狐となる大口真神(おおぐちまがみ)を祀った社が現在もあります。

大口真神社

室町時代には、山内・上杉家の家臣である安保泰広が、御嶽城主でした。
戦国時代の1552年(天文21年)、北条氏康が攻めらると降伏し、平沢豊前守政実が城主になったとあります。
平山氏は武蔵七党のひとつ西党の一族で、武蔵国多摩郡平山郷(東京都日野市平山)の武蔵・平山城(平山氏館)が出自とされ、檜原城には、平山氏重がいます。
武田信玄の関東進出を警戒し、小田原城の北条氏は、小仏山城、武蔵・戸倉城、檜原城、八王子城と警戒していますので、その一環で、御岳城も多少整備された可能性も捨てきれません。
三増峠の戦いで、北条氏康が敗れたあと、平沢政実は武田家に寝返りました。
しかし、翌年、甲相同盟が復活すると、北条氏に返還された模様ですが、武田信玄は興国寺城などの駿河国駿東郡を手に入れたと言う事になります。

と言う事で、確実に城跡であるとも言い切れませんが、永遠に解明されることはないであろう、幻の天空城跡とも言えるのが、青梅の武蔵・御岳城と言う事になります。
なお、御岳山の武蔵御嶽神社を訪れる皆様は、ここが城跡だとはほとんど思っていないでしょう。
見学所要時間は、御岳山ケーブルカーの麓にある「滝本駅」から、約2時間といったところです。





城跡とは関係なく、武士からの信仰が厚かった武蔵御嶽神社に関係しますが、鎌倉初期の武将・畠山重忠が奉納した、大鎧が「国宝」として、土日は公開されています。

なお、武蔵・御嶽城と言う漢字では、埼玉県児玉郡神川町にも同名の城がありますので、混同しないよう注意が必要です。

場所などは当方のオリジナル地図(関東)にてご確認賜りますと幸いです。

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オリジナル関東地図





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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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