宮崎県

日向・松尾城(縣城)~日向の延岡にて勢力を誇った土持氏最後の本拠

日向・松尾城(縣城)




日向・松尾城(まつお-じょう)は、宮崎県延岡市松山町の五ヶ瀬川を望む比高40mの台地上にある山城で標高は55mとなります。
別名を懸城(あがた-じょう)と呼びますが、この懸城(吾田)と言う名称もよく使われます。

松尾城の南は五ヶ瀬川が外堀代わりとなっており、西には堀があったとされます。
また、東は水田が広がっており、北には山、南麓は東西に抜ける旧高千穂往還が通っていました。

県の庄を本拠としていたのは、日向北部を勢力下に納めていた土持氏惣領家・縣土持氏の土持綱宣(土持次郎太郎全宣)で、井上城が本拠でした。
しかし、1429年に西階城(宝坂城)を築いて移転しますが、延陵世鑑(えんりょうよかがみ)と言う古文書には「宝坂の城、災難多く」と記載されています。
そのため、1441年から松尾城(懸城)の築城を開始して、1444年、土持孫太郎宣綱(土持太郎宣綱)の代?に、全盛を極めた土持七頭の筆頭・懸土持氏の本拠としました。





以後、土持宣綱より、土持全繁・土持常綱・土持親栄・土持親佐・土持親成と、6代・134年間、縣・土持氏の本城として機能します。

その間、1456年には、財部城土持影綱と一緒に、小浪川の戦いにて都於郡城伊東祐堯に対しますが敗戦し、翌年には財部・土持氏が滅ぶなど、土持一族にも影りが見え始めました。
土持宣綱が1458年に死去すると、一時は夏田にて合戦になるなどし、伊東氏の勢力は門川城日知屋城にまで及びます。
土持親佐のとき門川城を攻略して奪還もしますが、1535年に宮崎城主・伊東祐吉を攻めるも逆襲されて敗北しています。
土持親佐の子・土持親成は、文武両道にすぐれた名将として知られ、大友宗麟の重臣である栂牟礼城主・佐伯惟教の妹を養子の妻に迎えるなどして伊東家に抵抗しています。
こうして、都於郡城の伊東義祐による勢力拡大をよく阻止しました。

1577年、島津家に家臣を切り崩しされた伊東義祐は、ついに佐土原城を放棄して、豊後の大友宗麟を頼って逃亡します。(伊東崩れ)
それまで、伊東家に対抗するため、大友宗麟とも親しくしていた土持親成でしたが、1578年1月、島津義久と結び大友家と決別します。
そのため、大友宗麟が伊東家のために日向へ3月に出兵すると、まっさきに松尾城(懸城)は攻撃を受けます。
米良四郎右衛門尉ら旧伊東家の家臣らも押し寄せ、大友勢の大軍は社ケ原(やしろがはら)に布陣します。

土持勢は奈津田弾左衛門(夏田弾左衛門)、安藤下総らが僅か数十名で応戦しますが叶わず、松尾城を包囲されます。
土持親成は、盛んに烽火(煙)を上げて、島津家と連絡を取っているように見せかけますが松尾城は陥落しました。
土持親成は行縢山にて捕縛され、豊後へ護送される途中、豊後・浦辺にて自害させられています。

その後、島津義久・島津家久が、耳川の戦いにて大友勢に大勝利をおさめると、大友家は日向から撤退したため、松尾城は島津家の支配下となっています。
このとき、大友勢の攻撃の時から長門に逃れて浪人していた 土持親成の養子・土持高信が、耳川合戦の2日後に島津家の被官となっています。

土持高信は1579年から縣地頭として松尾城に入り、1584年12月には島津義久から「久」の字を賜り、土持久綱(つちもち-ひさつな)と改名しています。

1587年、豊臣秀吉の九州攻めの際にも、やはり真っ先に松尾城は攻撃対象となり、総大将・豊臣秀長のほか、蜂須賀家政毛利輝元吉川元長小早川隆景、黒田孝高(黒田官兵衛)など9万の大軍に包囲されます。

土持久綱は島津家久を頼って佐土原城に撤退し、縣城には高橋元種が封じられました。
この時、豊前・香春岳城だった高橋元種は17歳です。

高橋元種は15年間、松尾城(懸城)を本城としますが、1603年、新たに築いた延岡城(懸城)に移転します。
ややっこしいのですが、その延岡城は、築城当初に懸城(あがた-じょう)と呼ばれ、のちに延岡城と改名しています。





城の構成は案内板も無いなど、事前情報にて気軽に散策するには適していないようでしたので、松尾城への登城は時間の関係もあり断念しています。
訪問する場合には、松尾城跡にある本東寺にクルマを止めさせて頂いて、脇の細い道にてお墓の間を入って行くと本郭に出られる模様です。
しかし、これだけ歴史上でも重要な城跡なのですが、あまり整備されていないのは、実にもったいなく感じます。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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