宮崎県

西階城~わずか16年しか使われなかった縣土持氏の本拠地

西階城

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西階城とは

西階城(にししなじょう)は、宮崎県延岡市の金堂ヶ池上の丘陵にあ西階運動公園が目印で金堂ヶ池を回る遊歩道がある標高61.7mの山城で、中の城、宝坂城とも呼ばれます。

大瀬川の対岸にある大将軍神社の東「天守山」に古くから「日向・井上城」があり、その井上城主・土持綱宣(土持次郎太郎全宣)(縣土持氏)が築城すると1429年に本城を移したとあります。

しかし、1444年、わずか16年で、土持孫太郎宣綱(土持太郎宣綱)が北方の岡富村に新たに松尾城を築いて更に居城を移しました。

延陵世鑑(えんりょうよかがみ)と言う記録には「宝坂の城、災難多く」と記載されています。
具体的に何があったのかは不明ですが、縁起が悪かったので移転したものと推測されます。

西階城

ただし、縣・土持家は平安時代よりの名門で、この土持宣綱の時代は八条女院領など膨大な荘園を領有する全盛期であり、土持七頭である縣(延岡)、財部(高鍋)、清水(西都)、大塚(宮崎)、瓜生野(宮崎)、都於郡(西都)、飫肥(日南)の筆頭でした。

しかし、都於郡城主・伊東祐堯が台頭してきたことから、更に防御力の高い城が必要になったとも考えられます。

なお、16年で廃城になったとも推測できますが、発掘調査の結果、大規模な城域で、その後の遺物も出ているようです。
また、松尾城ができたあとも「中の城」と呼ばれて、城主となった土持一族が「中城氏」を称していることから、城そのものは使われたようです。

西階城

西階城跡は、西階運動公園となっており、金堂ヶ池を回る遊歩道がありますが、城跡としての公園ではないため、案内などはありませんでした。
下記の分岐にたどり着き、悩みますが、右を選択してみます。

西階城

そのため、間違えて本丸より右側にあるピークに登ってしまいました。
それらしき遺構はしっかりとありましたが・・。

西階城

上記でご紹介した分岐を左に行くと「中の城」と呼ばれている山頂があり、そのピークが主郭(比高50m)のようです。
曲輪、土塁、竪堀、堀切などがあると言います。

西階城

下記写真の先が本丸部分なようです。
しかし、今回は日没に付き、無理はせずに下山しました。

西階城

でも、西階城は真ん中に金堂ヶ池があり、その周りに連郭式となっているピークとして、伊賀系忍びの系統という龍仙寺がある場所が「東の城」、グランドの南側が「南の城」、公園北側で現在は住宅地(サンヒルズ野地団地)になっている丘陵部分が「北の城」と繋がっています。
防御性は高く、規模も比較的大きな山城でした。

金堂ヶ池

西階中学校が「御屋敷」だったようで、その4つを合わせて「西階城」として認められます。
下記は大瀬川に面した南の城の遠景です。

西階城

運動公園になっているだけに、遊歩道を走ってトレーニングされている若者も多いため、結構、賑やかな山城です。

交通アクセス

交通アクセスですが、西階運動公園の無料駐車場が利用できます。
延岡城から歩いた場合には40分くらいかかるようです。

見学所要時間ですが、駐車場から主郭まで、徒歩10分ほどとなります。
なお、井上城の方は事前情報で荒れ放題とあったため、訪問は控えさせて頂いておりますが、その日向・井上城、日向・松尾城、そして、延岡城と見どころは満載な延岡です。

日向・井上城~縣土持氏にとっては最初の本拠地
伊東祐堯~日向伊東氏の中興の祖とされる名将
都於郡城~伊東家の本拠として素晴らしい大規模な山城
日向・松尾城(縣城)~日向の延岡にて勢力を誇った土持氏最後の本拠
土持親成~死しても家を残すことに成功した名君
延岡城(縣城)~延岡市をいつまでも見守る石垣も立派な城
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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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