宮崎県

佐土原城(さどわら)~伊東家の本拠としても栄華を誇り天守もあった山城

佐土原城

佐土原城(さどわら-じょう)は、宮崎県宮崎市佐土原町上田島にある山城で、続日本100名城、国の史跡に指定されています。

別名として古い時代の佐土原は田島と呼ばれていたことから田島城(田島之城、田島館)と言う名称でしたが、鶴松城(しょうがくじょう)(鶴松館)と呼ばれることも多いです。

最初の築城は不明ですが、南北朝時代の建武年間(1334年~1338年)に、日向伊東氏の祖である伊東祐時の子・伊東祐明が、田島庄を与えられて館を構えました。(諸説あり)
1345年頃には、東福寺派の寺院「大光寺」(だいこうじ)を建立して菩提寺としています。
そして、田島祐明と呼ばれるようになり、伊東一族としては田島伊東氏、門川伊東氏、木脇伊東氏などがいますが、伊東家の本拠地は都於郡(とのこおり)となります。





田島伊東氏は、8代・田島休祐の時に、鶴松山により強固な城を築いたようで、それが鶴松城(現在の佐土原城)となりますが、田島氏が築いたということで、田嶋之城とも呼ばれます。
佐土原城の様子と共にご紹介してみたいと存じますが、下記が登城口となります。

佐土原城

田島伊東氏の田島休祐(田島休助)は男子がおらず、都於郡城の本家・伊東祐堯の弟である伊東祐賀を娘と婚約させました。
しかし、結婚前に田島休祐が死去したため、 鶴松城は伊東義門なる武将が奪ったとされます。

佐土原城

ただ、伊東義門なる名前の武将は確認できておらず、田島家の養子に入るはずの伊東祐賀が田島姓を称さずに佐土原氏を名乗ったことから、事実上、伊東本家に奪われたと考えて良いでしょう。
田嶋家の家臣らは、田嶋之城から追い出されて小城に移ったと言います。

佐土原城

日向伊東家6代の伊東祐堯のとは、嫡男・伊東祐国が1460年に佐土原城主となっています。
こうして、佐土原城は伊東家の本拠にも匹敵する重要な城のひとつとして整備が進められ、日向48城の中心的城郭になった模様で、伊東家は新納忠続の飫肥城を攻撃するようになりました。

佐土原城

1536年には、伊東家内の内紛を収めた10代・伊東義祐は、兵火で疲弊していた都於郡城ではなく、佐土原城に入り、伊東家の本拠としました。
しかし、数年後に火災が発生して焼失したため、宮崎城に移りましたが、約5年かけて佐土原城を再建し戻っています。

佐土原城

佐土原の城下町には建物がぎっしりとあり、四方に響く賑わいだったと記録があります。

佐土原城

1552年には、京都の金閣寺に似ている「金柏寺」を建立して巨鐘を寄進するなどし、伊東家の栄華を誇りました。

佐土原城

しかし、1572年、木崎原の戦いにて、島津義弘に敗れてから伊東家からは離反が相次ぎ、1577年、ついに伊東崩れとなって佐土原城を捨てて大友宗麟を頼っています。

佐土原城

日向を手に入れた島津義久は、弟の島津家久を佐土原城(鶴松山南之城)に入れており、1587年、豊臣秀吉の九州攻めのあとでも、佐土原は安堵されており、子の島津豊久へと継承されました。

佐土原城

1600年、関が原の戦いで西軍に加わった島津家では、島津義久が撤退戦にて討死します。
この時、日向では東軍に味方していた伊東家の家臣で、清武城主の稲津重政が、佐土原城を攻撃していますが、留守を守っていた家臣らが撃退しています。

佐土原城

その後、幕府直轄領となったため、一時的に徳川家の庄田三太夫が佐土原城を預かりますが、1603年には垂水より島津以久が3万石にて入封し、佐土原藩の初代藩主になりました。

佐土原城

なお、1996年(平成8年)の発掘にて、佐土原城跡より、天守台跡が見つかりました。

佐土原城の天守台

金箔瓦などの破片も見つかったことから、島津以久は山城である佐土原城に「天守」を設置したことが確実視されており、九州の山城や島津家の城で天守があったのは佐土原城だけと言うことになります。

佐土原城の天守台

天守は三重の櫓程度であったと推定されています。

佐土原城の本丸

しかし、2代藩主・島津忠興となると、1625年に、山の上の建物を壊して、麓の二の丸に館を移しました。
これが、薩摩藩本家の鶴丸城(鹿児島城)と同じ「鶴」の文字をおいた松鶴城(しょうかくじょう)と呼ばれた次第です。

佐土原城

そして幕末まで続きましたが、維新後の明治3年に、最後の城主・島津忠寛が政庁を広瀬陣屋へと移したため、佐土原城は廃城となりました。

佐土原城

宮崎市佐土原歴史資料館(鶴松館・かくしょうかん)が現在あります。

佐土原城

この建物は、二の丸で発掘調査した柱跡を基に、御殿として再建・復元したもので、大広間、書院、数奇屋(佐土原人形を展示する土人形館)の3棟からなっています。
ただし、開館は土・日・祝のみですので、小生の訪問時は扉が閉められており、中を伺うことはできませんでした。





佐土原城への交通アクセスですが、電車の場合、JR日豊本線の佐土原駅からバスで佐土原小学校バス停下車ま徒歩5分となります。
クルマの場合、佐土原歴史資料館の脇に無料駐車場があります。

佐土原城の観光所要時間ですが、駐車場から本丸(天守台)までの往復で約40分でした。
じっくり見る場合には、さらに時間が必要です。
通路が窪んでいて、周りが見えにくいため、内部は「迷路」のように感じました。
初めて城を攻めた敵将は、本丸がどこにあるのか、なかなか見つけられない構造でして、見ごたえある山城でした。

都於郡城~伊東家の本拠として素晴らしい大規模な山城
清武城~稲津重政と妻・雪絵の死
伊東祐堯~日向伊東氏の中興の祖とされる名将
宮崎城~戦国大名の伊東氏も一時本拠とした山城
木崎原の戦い~島津の釣り野伏せ戦法と伊東家の総大将「伊東祐安」
伊東義祐~日向から南九州の覇権を争うも伊東崩れで没落
伊東祐兵~所領を失うも巧みに戦国を生き抜き3万6000石にて復活
日向・飫肥城と風情ある城下町は超オススメの観光スポット
九州の史跡探訪用オリジナル地図(カーナビ代わりにも)

この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
中級者向け
旧国名
日向
著者コメント
防御的に迫力ある山城で大変楽しめます。

下記コメントにて追加情報募集中

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!





関連記事

  1. 日向・安永城 日向・安永城~北郷家が支配した庄内十二外城のひとつ
  2. 都於郡城 都於郡城(とのこおりじょう)~伊東家の本拠として素晴らしい大規模…
  3. 野々美谷城 野々美谷城~伊東尹祐が野々美谷城の戦いにて陣中で没する
  4. 日向・井上城 日向・井上城~懸土持氏にとっては最初の本拠地
  5. 穆佐城 穆佐城(穆佐院高城)~日向守護になった畠山直顕の拠点
  6. 日向・野尻城 日向・野尻城と福永祐友~伊東家と島津家が凌ぎを削った要害
  7. 月山日和城(三俣院高城) 月山日和城(三俣院高城)~霧島連山や桜島まで望むめると言う重要拠…
  8. 延岡城(懸城) 延岡城(懸城)~延岡市をいつまでも見守る石垣も立派な城

カテゴリー

ピックアップ記事

  1. 越前・藤島城
  2. 鉢形城
  3. 野々美谷城
  4. アオシマナイチャシ
  5. 鬼ノ城
にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
PAGE TOP