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木曽・上之段城の解説~武田に屈した木曽氏17代・木曾義康とは

上之段城

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上之段城とは

上之段城(うえのだんじょう)は、長野県木曽郡木曽町福島の河岸段丘先端にある丘城(平山城)。
別名、上の段城、上ノ段城、信濃・福島城、木曽義昌居館とも言う。

最初の築城は戦国時代の1509年で、須原城(定勝寺城)を本拠にしていた木曽義在が築城した。

上之段城

しばらく、木曽氏は須原城と上之段城のダブル本拠にしていたと伝わる。
なお、約100年前の応永年間(1394年~1428年)に、木曽親豊が八沢川の南丘(長野県木曽青峰高等学校吹きん)に小丸山城を築いており、木曽福島の新城が上之段城と言う事になる。

木曾義在の子・木曾義康、孫の木曽義昌も一時、上之段城を本拠にした。

上之段城

上之段城は、中央本線のガードが八沢川を渡る付近から、細い道をグイグイと上がって行き、何箇所か曲がるとやがて、木曽清峰高校の第2グラウンドが見えて来る。
このグランドが二の曲輪で、南側の小山が主郭とされるが、いずれもグラウンド造成で削られており遺構などはない。
大通寺付近に館があったとも考えられ、大通寺には真理姫の供養塔もあるらしい。


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1513年、室町将軍・足利義稙が細川氏などと対立し近江国甲賀郡に逃れると、木曾義在は信濃・森城主(安曇郡)である仁科明盛と出陣し、近江国醒ケ井で観音寺城主・六角高頼と戦っている。
1527年、信濃・林城の小笠原長棟と共に上洛すると、木曾義在は左京大夫となった。

1533年、妻籠宿から新洗馬(洗馬宿)までの宿駅と道路を整備し、商人の往来や物資輸送を強化したことで木曽谷の経済発展を促した。

なお、木曾義在の娘・月光院が、木曽氏の重臣で妻籠城主の山村良利に嫁いでいる。

1542年、子の木曾義康に家督を譲り、木曽福島からほど近い黒川口松島にて隠居。

木曾義康とは

木曾義康(きそ-よしやす)は、戦国時代の1514年に木曾義在の嫡男として生まれた。
母は、信濃・松尾城主である小笠原定基の娘。

同じ1542年2月、木曾義康は、村上義清深志城小笠原長時諏訪頼重らとともに甲斐を攻撃するが、韮崎の戦い(瀬沢合戦)にて武田晴信勢に大敗。(甲陽軍鑑)

なお、遠山元忠・千村重綱を、信濃・林城の小笠原長時に派遣して盟約を結び、諏訪氏とも友好関係を築いた。

1548年、武田晴信が塩尻峠の戦いで小笠原長時を敗り信濃に進出。
その前後に木曽義康は、詰城として木曽福島城を本格的に改修開始したと考えられる。

1549年、武田勢の甘利信忠らが奈良井宿を越えて鳥居峠の戦いとなったが、この時は撃退に成功した。

武田勢は伊那へも進出しており、やがて諏訪頼重、高遠城高遠頼継、福与城の藤沢頼親らが没落。
1554年、飯田・鈴岡城の小笠原信定も武田氏に敗れ、信濃・吉岡城の下条時氏と下条信氏も武田家に臣従。

こうして、1555年、武田信玄の木曽攻略が本格化すると、木曾義康は鳥居峠の戦いで敗走した。
また、王滝城(崩越城・鞍馬城)も陥落したとされ、木曽福島城の防備を固めた。
<注釈> 武田氏への臣従後、木曽福島城を築いて詰城にしたともされる。

下記写真は、上之段城からみた木曽福島城がある山。

木曽福島城

木曽義康は上之段城、子の木曽義昌は八沢城(小丸山城)に籠ったと言うが、木曽福島で戦闘はないまま、木曾義康は武田家に降伏。

木曽義康は娘・岩姫を人質として甲府の躑躅ヶ崎館に送っている。
武田信玄は、3娘・真理姫を、木曽義康の子・木曽義昌の正室として、木曽氏を武田一門衆として厚遇した。
1555年11月、父・木曽義康と木曽義昌は、甲府の躑躅ヶ崎館訪れて臣従の礼をとっている。

そんな折り、1558年、父・木曾義在が死去。

1564年、木曾義昌は、武田家からの命を受けて、飛騨・高原諏訪城江馬時盛に援軍として重臣の山村氏を派遣している。

1573年、武田信玄が三河・野田城にて没すると、後をついだ武田勝頼は1575年、長篠の戦いで敗戦した。

1579年、木曾義昌は死去。
その後、家督を継いだ木曾義昌は、武田家から独立しようと模索し、最終的に寝返った。


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1582年、織田信忠の軍勢によって甲斐攻めが行われ、武田勝頼の武田氏が滅亡。
小笠原旧領は木曾義昌に安堵された。
しかし、本能寺の変となり、天正壬午の乱にて木曾義昌は徳川家に味方。
一方で、小笠原貞慶は徳川家康の支援を受けて木曽氏に奪われていた旧領回復を狙った。
小牧・長久手の戦いの最中に、木曾義昌は徳川家から離反して豊臣秀吉に臣従。
1584年、松本城の小笠原貞慶と、伊那の菅沼定利が、徳川家康の命で木曽へ侵攻。
このとき、上之段城の木曽義昌の居館は焼き払われた。
このあたりは下記の記事にて詳しく解説しているため、省略したい。

木曽義昌の解説 真理姫の不幸~武田を裏切った木曽家のその後

木曾義康の墓

木曾義康の墓は、木曽福島にある木曽氏の菩提寺・興禅寺にあり、木曽義仲の墓・木曽義昌の墓と共に並んでいる。

木曾義康の墓

上之段城の場所などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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