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木曽福島城のちょこっと解説~木曽谷にそびえる詰城

木曽福島城

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木曽福島城とは

木曽福島城(きそふくしまじょう)は、長野県木曽郡木曽町福島にある標高1050mの山城。
別名、木曾福島城、向城とも言い、比高250mと堅固だ。
最初の築城は戦国時代の1555年頃と考えられ、木曽川の対岸にある上之段城主・木曾義康が詰城として築いた。

下記写真は、上之段城からみた木曽福島城がある山。

木曽福島城

ちょうどその頃、武田信玄の木曽谷侵攻が本格的となり、木曾義康は鳥居峠の戦いで敗走し、木曽氏は武田家に臣従した。
そして、木曽福島の上之段城と小丸山城の2セットだけでは防御が弱いと感じたのか?、武田臣従後に詰城の築城を命じられたのか?、木曽福島城を整備開始したと言える。

木曽福島城

1582年、明智光秀による本能寺の変となると、北信濃の所領を放棄して美濃へと逃げる森長可が木曽谷を通過した。
このとき、森長可は木曽福島城の城門を破城槌で突破し、木曽義昌の子・岩松丸(木曾義利)を人質にとったとされ、木曽氏は森長可の退却を助けたと言う。

木曽福島城

天正壬午の乱となると木曽義昌は徳川家康に味方した。
しかし、1584年、小牧・長久手の戦いの最中に、木曽義昌は豊臣秀吉に臣従。
そのため、徳川家康は小笠原貞慶菅沼定利、保科正直らを木曽福島へ攻め込ませた。
この直前、木曽義昌は、奈良井城の奈良井治部少将を成敗したとある。
こうして、奈良井治部少将と親しかった、贄川又兵衛、贄川監物、千村丹波守らが敵対する小笠原貞慶に通じたため、木曽義昌は木曽福島の興禅寺に一時逃れたともある。
その後、木曽福島を放棄して山村良勝が守る妻籠城に籠城するが、ここで小笠原貞慶らに勝利した。
よって、このときも木曽福島城は戦場になっておらず、木曽福島城は木曽を代表する城跡の名称ではあるが、木曽福島城にまつわる話はとても少ない。


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1590年、豊臣秀吉の小田原攻めのあと、徳川家康が江戸城に移封となると、木曽義昌も下総・阿知戸(千葉県旭市網戸)に1万石となって木曽谷をあとにした。
そのため、木曽福島城は廃城となり、木曽の豊富な山林は豊臣家のものとなった。

福島城址は、興禅寺からの散策路も整備されており登りやすいようだ。
所要時間だが本丸まで片道50分程度の模様。
しかし、熊出没注意のため、木曽福島城へは登っていない。

JR中央本線・木曽福島駅から登城口まで2.2km徒歩40分。
木曾郷土資料館の駐車場を利用できる。


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木曽福島城の場所などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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