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仁科城(信濃・森城) 仁科盛能と仁科盛政

仁科城(信濃・森城)

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仁科城(にしな-じょう)は長野県大町市にある平城で、またの名を信濃・森城とも言います。
信濃・森城と呼ぶケースと、仁科城と言う場合は半分半分くらいと言う印象です。
立山連邦の景色も美しい、木崎湖の湖畔にある5mほどの小高いところが城域になっていたようです。
最初の築城は不明ですが、仁科氏の居城であったことから、仁科城とも呼ばれます。


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仁科氏は、第10代天皇・崇神天皇の子ともされる仁品王(仁品主・仁品親王)が先祖とされますが、諸説あります。
いずれにせよ、ヤマト朝廷に関連する古代豪族と考えら仁科御厨を本拠とすると、安曇野氏などにもつながったと推定されます。
そのため、古代から柵として使用していた可能性も指摘されています。
668年、仁科高明は和泉守に就任しますが、このとき森和泉守とも呼ばれています。
平安時代末期には、仁科氏が安曇郡一帯の領主として見られ、大町周辺の荘園である仁科荘、伊勢神宮領の仁科御厨(にしな-みくりや)などを支配していました。

屋敷は舘之内にあったようですが、仁科城(森城)は、北方の抑えとして機能させたようです。
鎌倉時代になると、仁科氏は天正寺館を本拠にしています。

木曽義仲が挙兵した際には、仁科盛家(仁科二郎盛家)が従っており、横田河原の戦い、倶利伽羅峠の戦いなどで武功を上げましたが、水島の戦いで討死しています。

仁科城(信濃・森城)

仁科盛遠(にしな-もりとお)の時には、熊野参詣した際に、後鳥羽上皇と知り合い、その後、西面武士として仕えています。
しかし、信濃守護を兼ねていた執権北条義時に無断で何事かと怒られて、所領没収となりました。
その後、奥州・安倍貞任の末裔と言う、阿部貞高(阿部五郎丸貞高)と言う武将が、仁科城に詰めて板荇野谷政治(いたかんのや-まさはる)を討って仁科城に入ったと言います。
しかし、悪逆不道であったともされ、鎌倉幕府の命を受けた木曾義仲の次男・木曾義重が、1233年に森城を攻めて阿倍貞高(五郎丸)を追放したともされます。(時代・討伐者なども含めて諸説あります。)

このように、古い時代の仁科氏は、色々と交錯していて、よくわかりません。

仁科城(信濃・森城)

戦国時代には、信濃大町の天正寺館(仁科氏館)から、本拠地を仁科城にしていたようで、信濃守護・小笠原長時に、信濃・森城主の仁科盛能(にしな-もりよし)が従っています。
妻は小笠原長時の娘です。

1548年、武田信玄上田原の戦いで葛尾城主・村上義清に敗れると、小笠原長時の軍勢として下諏訪へ侵攻しました。
しかし、小笠原家と諏訪の支配を巡って対立し、兵を引き上げており、そのあと、塩尻峠の戦いで小笠原勢は大敗を喫しています。


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武田信玄によって小笠原家が滅亡すると、その日のうちに武田家の駒井高白斎と交渉をしており、仁科盛能は武田家に臣従しました。

その後、仁科盛康(にしな-もりやす)が家督を継いで、子の仁科盛政(にしな-もりまさ)と共に切り盛りしていたようです。

信濃・森城

1561年、上杉謙信と激戦になった第4次・川中島の戦いには、仁科盛政の名が見られます。
しかし、このとき、留守を守っていた信濃・森城の家臣が上杉家に寝返ったことから、武田勢の山県昌景が仁科城を攻撃して陥落させました。
この責任を取って、仁科盛政は甲斐にて切腹したようで、仁科氏は断絶しています。


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ただし、武田信玄の5男が仁科盛政の娘と結婚して養子に入る形で、仁科盛信と称し、仁科家の名跡を継ぎました。
そして、仁科城は、武田家によって改修されたようです。
北東には、武田家特有の三日月堀もあると言います。

仁科城の地勢ですが、かつては木崎湖に突き出た半島になっていました。
現在は、西側が干拓されて水田になっているため、半島のようになっていません。

仁科城

本丸は先端部で、安倍氏を祀っていると言う阿部神社の境内になっています。
仁科城への交通アクセスですが、本丸に繋がる神社の入口を当方のオリジナル関東・信越地図にてわかるようにポイントしておきます。
駐車場は、神社の境内を利用可能です。
見学所要時間は20分くらいといったところです。
冬季は、確実に雪深く、気温も低いので凍結します。
スタッドレスタイヤにてご訪問願います。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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