善照寺砦とは
善照寺砦(ぜんしょうじとりで)は愛知県名古屋市緑区鳴海町砦にある比高10mほどの丘城。
戦国時代になると尾張の織田家と、駿河の今川家は、尾張と三河の国境で争ったが、1552年、織田信秀が死去して織田信長が家督を継ぐと、織田家から寝返った鳴海城の山口教継が調略を行い、大高城と沓掛城が今川勢の手に落ちる。
そのため、織田信長は丸根砦・鷲津砦を築いて、大高城から今川氏への連絡を遮断した。
更に1559年(1600年?)に、山口教継・山口教吉の親子が駿河に呼び出されて切腹すると、鳴海城には今川家の重臣・岡部元信が入った。
そのため、織田信長は鳴海城を囲むように、丹下砦・中島砦・善照寺砦を築いた。
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善照寺砦は、鳴海城から東に伸びた丘陵の東端にあった寺跡に築かれたと言い、佐久間信盛・佐久間信辰の兄弟が守備した
50mの堀と土塁を巡らせた館型だったと考えられ、西の屋根続きが出入口だったようだ。
南側の土塁は櫓台状になっていたとされる。
現在は善照寺砦公園として整備されているが遺構は確認できない。
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1560年、織田信長は桶狭間へと駆け進んだが、その際に織田勢を集結された場所が、この善照寺砦であったとされる。
ちなみに、善照寺砦から桶狭間までは距離3.6km、徒歩だと50分の距離。
交通アクセス
名鉄・名古屋本線の鳴海駅から徒歩10分です。
駐車場はありません。
善照寺砦の場所などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイント致しております。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能です。(徒歩カーナビとしても可能)
このあとは鳴海城へ向かいました。
・三河・沓掛城の解説~近藤景春の居城で今川勢が桶狭間に向かった出陣地
・鳴海城の解説~山口教継が守備した織田勢による桶狭間の拠点
・大高城の解説~桶狭間の戦いの際に松平元康が兵糧を入れた拠点
・桶狭間の戦い「わかりやすく解説」現地写真あり~桶狭間古戦場跡・桶狭間合戦
・丸根砦のちょこっと解説~桶狭間の戦いでの激戦地
・鷲津砦のちょこっと解説~玉砕した桶狭間での織田勢
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