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会津新宮城(陸奥・新宮城)~新宮時康・新宮盛俊・新宮時兼ら蘆名一族

会津新宮城




会津新宮城とは

会津新宮城 (あいづ-しんぐう-じょう)は、福島県喜多方市慶徳町新宮にある平城です。
本丸、二之丸、三之丸で構成されていますが、常陸・小田城くらいの、大きな規模を誇っていたようで、歴史もわかっており、また遺構も残っていることから、国指定史跡に指定されています。
別名は、陸奥・新宮城。

会津新宮城

會津古塁記によると、古くは、743年に、吉田中将・藤原頼房の子である吉田光房(吉田外記光房)が、一盃館を築いたのが始まりで、佐原盛連が、その古館を改修して、新宮城にしたとありますが、信憑性は乏しいようです。
まぁ、平安時代末期に、土豪の舘があった可能性は、否定できませんが、一般的に、最初の築城は、鎌倉時代の1212年頃、佐原氏の一族である新宮時連が築いたとされます。





佐原氏は、相模・三浦氏の庶流で、相模・佐原城を本拠にした、三浦義明の子・佐原義連を祖とします。
佐原義連は、平家追討、奥州合戦などで武功があり、源頼朝から陸奥国会津を恩賞として与えられました。

会津新宮城

その子・佐原盛連は、会津に入ると、黒川小館(黒川西館)を拠点とし、小田山城を詰め城としたようです。
そして、子供を、会津一円に配置します。
長男・猪苗代経連は猪苗代城
次男の佐原広盛(比田広盛)が、陸奥・北田城と言う事になります。
3男・藤倉盛義は会津・藤倉館。
以上は、正室である常善院殿瑞雲妙慶大禅尼の子でした。

陸奥・新宮城

継室は、北条泰時の前妻で、三浦義村の娘・矢部禅尼です。
その矢部禅尼の子が下記です。
4男・蘆名光盛は、惣領とされて会津・黒川城の蘆名氏へと発展しています。
相模・芦名城の地名が、蘆名氏の由来です。
5男・三浦盛時は、一時、加納盛時として、加納館には入っていましたが、三浦宗家を継ぎました。
6男・会津時連は会津新宮城を築き、新宮時連と称しました。

1349年、新宮明継が、近くにある、新宮熊野神社に、銅鐘を寄進しています。





1379年には、北田行綱なる武将が、新宮明継を討死に追い込んだとあり、陸奥・北田城の北田氏と争っていたようです。
そんな中、会津・黒川城の蘆名氏による支配が強化されてきたようで、1402年、陸奥・新宮城主の新宮盛俊と北田城の大庭政泰(北田上総介政泰)は、協力して蘆名氏に反旗を翻しました。
新宮次郎盛俊は、陸奥・青山城の加納新左衛門実詮(佐原実詮)を攻め滅ぼしています。
そのため、1408年、蘆名盛政は、新宮城を攻撃し、新宮盛俊は小布瀬城へ逃れましたが、同じく、北田城も攻撃されたようです。
1409年、蘆名盛政は、北田城を、再度、総攻撃すると、陥落させ、北田氏を滅亡に追い込み、小布瀬城の新宮盛俊は蘆名氏と和議を結んだようです。
しかし、1413年、新宮時康が再起を図り、蘆名氏の代官を破り新宮城を奪還したようで、北西に、詰め城として陸奥・高館城を築いて籠城しました。

陸奥・高館城

この抗争は長引いたようですが、1419年、高館城が陥落し、新宮盛俊は、奥川城へ逃れるも追撃を受けたので、越後国小川庄にある越後・津川城を攻撃します。
しかし、蘆名氏は新宮氏の拠点のひとつ「おぶせの城」(陸奥・小布瀬館)を攻略し、1420年、ついに新宮盛俊は討死したため、新宮一族は越後国五十公野(いじみの)に落ち延びました。(五十公野城の付近か?)
会津新宮城は、蘆名氏に接収され、西海枝館の西海枝駿河守が、駿河館を築き、おぶせの城には、蘆名氏の家来・渡辺氏が配置されたようです。

会津新宮城(陸奥・新宮城)

なお、ここからはだいぶ離れていますが、鹿瀬町鹿瀬の国道459号沿いに、新宮盛俊の墓と伝わる、塚があるようです。

1433年、家督を継いでいた新宮時兼は、再起をはかり、越後・津川城へ押し寄せましたが、金上盛勝が撃退し、新宮時兼が討死。
新宮氏は滅亡しました。

会津新宮城(陸奥・新宮城)の見学所要時間ですが、外の道路部分を少し散策して5分といったところでした。

交通アクセス

会津新宮城への交通アクセス・行き方ですが、喜多方駅から歩くと、距離4.5km、徒歩60分といったところです。
お得なキップとしては「ゆったり会津・東武フリーパス」が、喜多方駅まで有効なので、便利で安いです。
喜多方駅前の民藝あくた川さん(民芸店)にて、貸自転車(レンタサイクル)もありますが、列車の本数がとても少ないので、なかなか現実的ではありません。
道路の脇に数台の駐車スペースがあるほか、南側に大きな未舗装の駐車場がありました。
なお、会津新宮城の城域は「私有地」ですので、立ち入っての見学は自粛致し、道路からの撮影に留めました。
ちなみに、会津は、平地でも、クマが出没することがありますので、ご注意を。





駐車場の場所などは、当方のオリジナル東北地図にて、ポイントしております。
スマホで表示して、目的地としてタップし「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。
一時停止では、しっかり停止して左右確認し、安全運転にてどうぞ。

このあとは、陸奥・北田城に向かいました。

猪苗代城の解説【猪苗代盛国】蘆名氏一族の争いが猪苗代湖畔で
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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