神奈川県

芦名城の解説~三浦一族で戦国大名蘆名氏の発祥地

芦名城

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芦名城とは

芦名城(あしな-じょう)は、神奈川県横須賀市芦名にある平城です。
別名は、芦名館とも言います。
芦名城の正確な場所は不明ですが、相模湾の芦名漁港から、なだらかな斜面を登った標高13mの地点に大楠小学校があり、その付近は、かつて、御館(みたち)と呼ばれていたようです。
その南側に、砦に使えそうな、ちょっとした小高い場所があり、城山とも称されています。

芦名城

この城山は、詰の城とも考えられますが、防御性は高くはないです。
ただし、谷になっている芦名川の上にあることから、南面は、天然の堀とも言え、比高は10mほどになりますでしょうか?


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このような地勢から、芦名城は、平山城になるか、平城なのか?、丘城が妥当なのか、判断が難しいのですが、芦名館があった付近は、特に防御性がないことから、平城としてご紹介させて頂きます。
いずれにせよ、三浦氏関連の城跡・館跡は、平場にあったと考えられる館跡を城跡とせず、有事の際に籠ったり、見張り台として使用する、詰めの城と考えられる山の部分を、城跡としているケースがほとんどでして、いけません。
もっとも、平地の舘跡は、どこにあったのか?、わからないため、目立ちやすい、山が城跡となってしまっているとも言えますが・・。

更にややっこしいのですが、かつて城址にあったとされる石碑などが、谷底となる、芦名川の崖下にまとめられています。
下記がその「芦名城址庚申塔」になります。

芦名城址庚申塔

芦名城の見どころは、上記の芦名城址庚申塔くらいですが、地元の方が徒歩でしか通行しないような箇所で、わかりにくいため、下記の地図にてポイントしておきます。

上記の地図を参照にして、歩いて行きますと、崖下に橋があり、その橋付近にあります。
クルマ・バイク・自転車では困難です。

芦名城址庚申塔

前置きが長くなりましたが、芦名城の最初の築城としては、平安時代末期で、三浦義明の弟・芦名為清(あしな ためきよ)が、芦名郷に入ったと考えられます。
戦国大名の蘆名氏など、芦名さんの発祥地と言って良いでしょう。
芦名三郎為清は、相模湾に面している地の利を生かして、伊豆半島方面との海運を行い、収益もあげていたようです。


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芦名氏は、芦名為清の子・芦名為景と続いて、その子・石田為久相模国大住郡石田郷(神奈川県伊勢原市石田)の相模・石田館に入りました。
この石田為久は、1184年、木曾義仲を討ち取った武功により、近江国石田村を加増され、戦国時代石田三成を輩出しています。

また、芦名国海の子とされる平佐古為重は、平作城主となり、1180年、石橋山の戦いで、源頼朝の軍勢に名が見られます。

鎌倉時代となって、三浦泰村のとき、三浦一族は、執権・北条時頼と対立し、1247年、宝治合戦となります。
そして、鎌倉・法華堂にて、三浦一族約500名は、自刃して果て、三浦宗家は滅亡しました。
このとき、恐らくは、相模・芦名氏も運命を共にしたと考えられ、芦名城も使われなった模様です。


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ただし、北条時頼に味方した、衣笠城主・三浦義村の娘である矢部禅尼は、再嫁先の三浦一族・佐原氏が、宝治合戦の際に、北条時頼に味方して存続していました。
この佐原盛連は、会津にも領地があり、子の蘆名光盛、比田広盛、藤倉盛義、猪苗代経連、会津時連らは、会津に移住したようです。
佐原盛連の子の佐原経連は、佐原氏を継承し、三浦盛時は三浦介を名乗ることを許され、その後の相模・三浦氏となって戦国時代・江戸時代にも繋がりました。
会津に移住した佐原氏の宗家は、やがて蘆名氏を称するようになり、会津・黒川城にて戦国大名化し、蘆名盛氏を輩出しています。

交通アクセス

芦名城への行き方ですが、電車・バスの場合、JR横須賀線の逗子駅から、京急バスで所要30分、芦名バス停下車の徒歩1分となります。
駐車場は、とても残念ながら、ありません。
道路も駐車禁止ですし、駐車禁止ではない道路でも、狭いので、止めると、地元の皆様の迷惑となってしまいます。
そのため、クルマの場合には、例えば、芦名海水浴場にある数台の駐車スペースに止めて、500m、徒歩10分といったところで、とても効率が悪いです。
名門である芦名氏の元祖とも言えますし、横須賀市は会津若松市とも姉妹都市ですので、今後、せめて、駐車場の整備は、望みたいところです。
芦名


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芦名城などは、当方のオリジナル関東地図にてポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

クルマの場合、近くにある天神島も、風光明媚で良い、観光スポットになります。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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