栃木県

下野・西方城 激戦となった皆川氏と宇都宮氏の舞台

下野・西方城

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下野・西方城とは

下野・西方城(にしかた-じょう)は、栃木県栃木市西方町本城にある山城で、標高221m、比高150mとなります。
稜線の先端となる尾根上(本丸)から、東西南北と十字に防衛拠点(北の丸、二ノ丸、南の丸、東の丸)が配置されており、下野・唐沢山城を上回るような規模と、なかなか大きいようです。
ただし、西の丸の部分は、ゴルフ場のために消滅しています。
別名は西堀山城、鶴ヶ岡城とも言います。


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最初の築城としては、鎌倉時代の宇都宮城主・宇都宮景綱の3男に宇都宮泰宗がいます。
その宇都宮泰宗の次男・宇都宮泰宗(うつのみや-やすむね)が、1293年に築いたのが、西方城とされますが、もちろん最初は小規模な城だったのでしょう。
宇都宮泰宗は、蒙古討伐軍の総大将となった兄・宇都宮貞綱に従って九州にも赴いています。
その子孫は、宇都宮から西の方角にあることから「西方氏」と呼ばれるようになりました。

下野・西方城

戦国時代に入り、1585年、北条氏直から宇都宮氏攻撃を命じられた皆川城主・皆川広照が、西方綱吉の下野・西方城を攻略しています。
しかし、1588年、宇都宮国綱は、佐竹義重の援軍を受けて、西方城を奪還しました。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、宇都宮国綱は所領を安堵されていますが、1597年に改易(所領没収)となったため、西方城も廃城になったと推測されます。

下野・西方城

登城する場合には、長徳寺の手前にある西方城址の見学者用無料駐車場(10台ほど)から、急斜面を登ること約20分で、本丸まで到達できるようです。
駐車場では、民家の犬に、吠えまくられましたが・・。

下野・西方城

散策路は整備されていて、見どころ①~⑧を順番に回って、所要時間は90分くらいの模様です。
栃木市では「ふるさとの城郭群再発見事業」の一環として、国史跡指定の登録を目指しているようで、整備もされているため、お勧めの山城と言えます。(素晴らしい活動ですね)

下野・西方城

東側には、下野・二条城(標高136m)、西側には下野・真名子城(標高199m)と支城もあります。
下記は下野・二条城です。

下野・二条城

下野・二条城は、下野・西方城よりも早く築かれていた可能性もありますが、よくわかっていません。
1600年、関ヶ原の戦いのあと、藤田重吉(藤田信吉)が15000石にて西方に陣屋を構えていますが、その西方藩陣屋跡の場所が二条城の場所とも伝わります。
登城口になる長徳寺に案内板があるようです。

下野・真名子城(赤壁城)は、永正年間(1504年〜1521年)に宇都宮元綱が増築したとされ、家臣の岡本秀卓が入りました。


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下野・西方城への交通アクセス・行き方ですが、東武日光線・東武金崎駅から徒歩35分くらいの距離です。
電車は本数が少ないのでご注意願います。
無料駐車場が完備されていますので、当方のオリジナル地図をカーナビ代わりにでもご活用頂けますと幸いに存じます。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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