秋田県

横手城 小野寺氏が本拠地にした出羽の拠点

横手城




出羽・横手城

出羽・横手城(よこて-じょう)は、朝倉城、龍ヶ崎城、韮城、阿櫻城、衝城とも言う、秋田県横手市にある標高107mの平山城で、比高は40mほどになります。
韮城と呼ばれる所以は、敵兵が斜面をよじ登れないよう「韮」(ニラ)を植えたためです。
最初の築城は不明ですが、鎌倉時代から砦程度の詰め城として使われていたとも考えらておりますが、下記のように諸説あります。
1300年に、沼館城主・小野寺忠道の子である小野寺道有が築城した。
1467年に、小野寺氏の家老・横手道前(横手三郎兵衛道前)が築城した。
1554年に、小野寺輝道が築城した。





1546年には、朝倉城(横手城)主とされる大和田光と、金沢八幡別当・金乗坊らが、主君・小野寺稙道を湯沢城に追い詰めて暗殺しています。
跡を継いだ小野寺景道は、一族・家臣や、庄内の大山城(尾浦城)主・大宝寺義増らの支援を受けて数年後には復活し、智将・八柏道為の尽力もあり横手城を奪い返しています。

横手城

その後、出羽・湯沢城を八柏道為に与え、小野寺氏は横手城を本拠と定めて城下町を整備し、約45000石と最盛期を迎えました。
小野寺景道は上洛して織田信長に謁見したあと、1583年に隠居し、小野寺義道が家督を継いでいます。

横手城

武勇にすぐれていたとされる小野寺義道は、政治面が良くなく、鮭延秀綱が離反し、頼りの八柏道為を誅殺するなどしたため、最上義光戸沢盛安の侵攻を受けて領地も減らしています。

横手城

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際には参陣したため所領安堵となっていますが、奥州仕置にて仙北一揆が発生したため、1591年に上浦郡3万1600石に減らしました。

横手城

1600年、関ケ原の戦いで、小野寺義道は最初、徳川家康に味方しますが、のち最上領となった旧領を取り戻すため、寝返ると上杉景勝につきます。
そのため、1601年、所領没収・改易となり、石見・津和野城の坂崎直盛(宇喜多詮家)に預けられました。

横手城

その後、一時、横手城は最上家から鮭延秀綱(鮭延典膳秀綱)が入れましたが、1602年に佐竹義宣久保田城に入ると、佐竹領となりました。
横手城には、伊達盛重(国分盛重)、伊達宣宗、須田盛秀、茂木監物が城主となり、1620年に、一国一城令となっても、横手城を重要拠点であることから、佐竹義宣が幕府の許可を得て、桂城(大館城)と共に破却されずに済みました。

横手城

1624年、宇都宮城の釣天井事件にて本多正純と本多正勝を佐竹家が預かった際には、横手城に幽閉されています。
1672年にからは佐竹一族の戸村義連が入ると以後、戸村家が明治まで城主を務めています。

横手城

戊辰戦争で佐竹家の横手藩は新政府側についたため、奥羽列藩同盟により攻撃を受けて落城したため、建物類は焼失しています。

横手城

南の根岸町にある市立横手病院の脇からの登城口が江戸時代の大手口となります。
そして、本丸北側の武者溜の脇に大手門がありました。

横手城

横手城跡は横手公園として整備されており、横手公園展望台と言う名称で、岡崎城の天守を参考にした模擬天守が建てられています。
ただし、横手城は、大規模な石垣や天守閣はなかったようで、土塁と櫓(やぐら)だけの城郭でしたので、念のため記載しておきます。
また、天守閣の内部は冬期閉鎖となります。





本丸には秋田神社が鎮座していますが、社殿の部材は旧大手門の建材が再利用されていると言います。

横手城

名物は「横手やきそば」で、4月下旬には桜の名所としても有名です。
また、城址の脇には「横手公園スキー場」もあるくらい冬季は雪も積もります。

今回、秋田空港から横手に移動して一泊し、翌朝一番で訪問させて頂きました。
折しも大陸からの寒気によって、断続的に雨が降っており、写真によっては雨粒も入ってしまっておりますこと、お詫び申しあげます。

横手城

あと、その雨のせいか、横手城の一郭にある横手城南高校への通学時間と訪問が重なってしまい、クルマ送迎の渋滞にはまりました。
雨も激しく、渋滞にハマったことでの時間の関係もあり、近くにある本多正純墓所は断念しています。

横手城

交通アクセス

さて、交通アクセスですが、電車の場合、JR奥羽本線の横手駅から徒歩30分。
バスの場合には、保養センター行バスに乗車して約10分「横手公園入口」バス下車の徒歩5分となります。
復元天守の脇に、トイレも完備されている無料駐車場がありますが、駐車場の場所などは、当方のオリジナル東北地図にて、ポイントしております。
スマホで表示して、目的地としてタップし「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。





横手城の見学所要時間は主要部だけであれば、15分~30分といったところです。
次には、出羽・六郷城を目指し、この日は大湯温泉まで移動しました。

小野寺輝道(小野寺景道)とは
小野寺義道 仙北一揆で所領を減らし関ケ原の戦いで改易
八柏道為 小野寺氏を最盛期に導いた軍師
楯岡満茂とは
最上義光とは~羽州の狐・虎将と呼ばれた勇将
戸沢盛安 鬼九郎(夜叉九郎)の異名を得るも25歳の若さで
本多正純~吏僚としての才能を発揮し徳川幕府の為に尽くすも
出羽・久保田城 御隅櫓と表門が復元
出羽・六郷城 六郷道行と六郷政乗
出羽・湯沢城 小野寺経道の本拠地で佐竹南家が整備した山城
東北の城めぐりにも便利なオリジナル地図





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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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