栃木県

鹿沼城 (坂田山城)の解説 壬生綱重・壬生綱雄

鹿沼城

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鹿沼城(かぬまじょう)は、 栃木県鹿沼市今宮町の御殿山にある平山城で、比高20mほどの独立した台地になっています。
すぐ北側にある坂田山城が最初に使われたようで、佐野一族である鹿沼権三郎が、鎌倉時代に鹿沼を本拠としました。
佐野実綱の子が、鹿沼行綱(鹿沼六郎行綱)で、その子・鹿沼勝綱が、鹿沼権三郎入道教阿とあります。
鹿沼権三郎教阿は、佐野家中では勇猛だったようで、鹿沼一円を支配下に納めると、正応5年(1292年)3月には、二荒山神社新宮に銅灯一基を寄進しています。
そして、神山家、久我家などの庶流を配置して勢力を誇りました。


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1491年、鹿沼教清(鹿沼右衛門太夫教清)のときには、宇都宮忠綱の攻撃を受けました。
このとき、鹿沼教清は上野台にて宇都宮勢に対しましたが討死したため、鹿沼城は宇都宮勢が落としています。
その後、加園城なども宇都宮氏に従いました。
鹿沼家が滅んだため、南摩家などの旧鹿沼家臣は、新しい領主・壬生綱重の配下に組み込まれた模様です。

鹿沼城

壬生綱重(みぶ つなしげ)は、下野・壬生城主である壬生胤業の子として1448年に誕生しました。
壬生綱重は、坂田山館を改築し、壬生城には、嫡男・壬生綱房を残したようです。
1512年、宇都宮城主・宇都宮成綱と、重臣の芳賀高勝が対立すると、壬生綱重は宇都宮成綱に協力し、宇都宮氏の重臣となりましたが、1516年に死去したようです。享年69。

鹿沼城

その後、家督を継いだ壬生綱房(みぶ-つなふさ)は、1523年、皆川氏との河原田合戦などで活躍しています。
また、日光山領の支配も獲得するなどしています。
芳賀高経が、宇都宮興綱を傀儡にすると、壬生綱房は宇都宮家の家中では絶大な権力を握りました。

1532年(天文元年)、壬生綱房は芳賀高経・芳賀高孝と組んで、宇都宮興綱を隠居させ、宇都宮俊綱(宇都宮尚綱)を擁立しました。
この時、鹿沼城の大改修を行い、居城としました。

鹿沼城

天文5年(1536年)、壬生綱房は芳賀高経と共に宇都宮興綱を自殺に追い込んでいます。

1549年、宇都宮尚綱は、烏山城主・那須高資との、喜連川五月女坂の戦いで討死します。
この時、壬生綱房は子の壬生綱雄と下克上を果たし、混乱に乗じて宇都宮城を占拠しました。
そのため、城内にいた幼い伊勢寿丸(宇都宮広綱)は、芳賀高定が助けて真岡城に逃れています。
1555年、壬生綱房は急死しますが、芳賀高定による謀殺ともされています。
弘治3年(1557年)、宇都宮広綱は、芳賀高定の支援にて宇都宮城に復帰したため、壬生綱雄は鹿沼城に退いています。
壬生綱雄(みぶ-つなたけ)は、小田原城の北条氏を後ろ盾に、宇都宮家から独立した大名化を模索しますが、叔父・壬生周長は一貫して宇都宮氏への従属を唱えたため、家中が割れます。


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1576年、叔父の壬生周長は芳賀高定と謀り、壬生綱雄を鹿沼城の天満宮にて暗殺しました。
叔父・壬生周長(壬生徳雪斎周長)は、鹿沼城主となり、壬生綱雄の子・壬生義雄が籠城した壬生城を攻めましたが、壬生周長は討ち取られています。
壬生義雄(みぶ-よしたけ)も、北条氏直と結んで、宇都宮氏に対抗しました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐を行った際には、北条氏直の要請にて小田原城に詰めています。
しかし、小田原落城の直後に、壬生義雄は病死したと伝わります。
子に男子がいなかったため、壬生家は断絶して滅亡しました。
このとき、鹿沼城も廃城になったと考えられていますが、豊臣勢の北国軍が攻め寄せたともされています。

鹿沼城

江戸時代に入ると、1647年、朽木稙綱が2万5000石の大名として鹿沼藩を立藩しました。
しかし、鹿沼城の麓に鹿沼陣屋を築いていますので、鹿沼城じたいには手は加えられなかった模様です。
鹿沼陣屋跡は、現在の鹿沼中央小学校となります。

坂田山城と鹿沼城は、現在でも道路1本で隔たられているにすぎません。
すぐとなりの山に新しい城を築いているため、当方と致しましては、鹿沼城と坂田山城(坂田山館)は、ひとつの城と認識するに至っています。

坂田山城

なお、北条家お得意の障子堀の遺構も確認されているそうです。


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鹿沼城への交通アクセス・行き方ですが、東武鉄道・日光線の新鹿沼駅から関東自動車バスに乗り「久保町」バス停にて下車の徒歩約5分です。
無料駐車場が北側にもありますが、南側の鹿沼市役所裏手の駐車場近くに、鹿沼城の緑の案内板があります。
当方のオリジナル地図にて、駐車場の場所をポイントしておきます。

鹿沼城の見学所要時間ですが、30分~60分といったところです。

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コメント

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  • コメント (3)

    • 幸田 秀一
    • 2020年 8月 04日

    2万5千石です。52万石では毛利家を超えてしまいます。

    • 城迷人たかだ
    • 2020年 8月 07日

    幸田さま、ご指摘助かります。入力間違えです。訂正してお詫びを申し上げます。

    • masami iitake
    • 2022年 8月 30日

    【千手山城】 坂田山城の北西400mに千手山公園があります。この公園は公園全体が山城跡を利用して作られているようです。数本の深い空堀があり数段の広場からなる形状は城としての機能も坂田山城よりはるかに優れています。大規模でわかりやすい城跡にもかかわらず記録や伝承が無いという理由で史跡としてほとんど評価されていません。坂田山(現在は住宅地に造成)の南東斜面で、東は宇都宮、南東は筑波山まで見渡せる高台にあります。坂田山城は山の反対側になり、むしろこちらが出城ではないかとも思われます。おそらく後から造られた鹿沼城(亀城)以上の価値のある史跡だと思いますが地元の教育委員会では史跡として文化財にも指定していません。残念なことです。

城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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