近江・清水山城(しみずやま-じょう)は、滋賀県高島市新旭町にある標高226m、比高110mほどの山城です。
北曲輪に良好な畝状竪堀が残っているなどから、国指定の史跡になっています。
別名は、日高山城・比叡谷城と言います。
ただし、清水山城と言う名前の城は、対馬・清水山城もありますので、注意が必要です。
東近江の箕作山城も別名は清水山城と言います。
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最初の築城は不明ですが、一般的には鎌倉時代の1235年に高島郡田中郷の地頭になった佐々木高信(高島高信)が築いたとされます。
近江守護の佐々木氏が、六角氏・京極氏・高島氏と別れて行きました。
当然、住まいとして使用したのではなく、築城したとしても、簡易的な詰の城だったことでしょう。
麓には御屋敷と言う地名も残ります。
高島高信のあと、長男・高島泰信が継いでおり、次男は朽木頼綱として朽木氏岩神館を築いた模様です。
そして、高島一族は、高島七頭を形成し琵琶湖の西岸・西近江に勢力を誇りました。
南の山麓に近江・井ノ口館(大荒比古神社の東側)があり堀内障壁(障子堀)もありますので、そこが戦国の頃には館だったのかも知れません。
高島七頭のひとつ、近江・田中城からは、関ケ原の戦いのあと柳川城主となる田中吉政を輩出しています。
戦国時代になると、観音寺城主・六角氏の勢力下となりましたが、近江・小谷城の浅井長政、一乗谷城の朝倉氏とともに織田信長に抵抗しました。
しかし、六角義賢が没落するのと運命を共にしており、高島氏の嫡流は途絶えたようで、織田信長が進出すると、伊勢・神戸城主で北畠家・神戸具盛の子孫・高島政光が、高島一族の名跡を継いでいます。
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近江・清水山城跡への交通アクセス・行き方ですが、電車の場合、JR湖西線・新旭駅かせ徒歩約15分で新旭森林スポーツ公園に至ります。
無料駐車場は、新旭森林スポーツ公園の駐車場50台が利用でき、そこから登城するのに林道などを歩くこと片道30分ほどのようです。
今回は、若狭・高浜城まで向かう予定で、時間が足りず登城は断念しました。
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