福岡県

柳川城 難攻不落の堅城も遺構が乏しい

柳川城

柳川城(やながわじょうは、柳河城、舞鶴城とも言う平城で、福岡県の南に位置する柳川市にあります。
佐賀城と同様に水路が網の目のように巡らされているのが特徴です。
柳川城の最初の築城は、蒲池城主・蒲池治久が1501年~1504年頃に支城として柳川城を築城したと考えられます。
のち、筑後十五城筆頭として筑後を納めた12万石の蒲池鑑久、あるいは蒲池鑑盛(蒲池宗雪)が柳川城を本拠地としました。
なお、本格的に造営したのは蒲池鑑盛となり、城の周囲に水路を縦横に張り巡らせ、九州屈指の難攻不落の城としましたので、築城の知識もあったようです。





そのため、龍造寺隆信鍋島直茂が20000にて柳川城を攻めても、落とせませんでした。

佐賀城主・龍造寺隆信によって蒲池氏が滅亡すると、柳川城には鍋島直茂や龍造寺家晴が入っており、名将・立花道雪も柳川城を落とす事ができずにいました。

豊臣秀吉の九州攻めの際、蒲池氏は島津家に味方したため、領地没収され大名家としては滅びました。
そのあとには、立花道雪の養子・立花宗茂が13万石にて柳川城主となっています。
そして、天守閣などを建造しますが、1600年、関ヶ原の戦いの際には、鍋島直茂ら九州の東軍諸将が柳川城を攻めており、黒田官兵衛(黒田如水)、加藤清正らの降伏勧告を立花宗茂は降伏しています。

その後、田中吉政石田三成を捕えた功績にて柳川城主として筑後32万5千石となり、拡張工事して城下町も整備し、複合式層塔型5重5階の天守も設けたとされます。

柳川城の案内板

のちに田中家が改易されると、立花宗茂が10万石だけではありますが、柳川城主として復帰し柳川藩が続きました。
おもな見どころは、このページトップにある写真の石碑がある場所くらいとなります。
下記の地図ポイント地点です。

上記の地図ポイント地点にはクルマで入れます。
ただし、方向転換できる場所は無いので、長くはない短い車で入ってください。

柳川城

なお、柳川城の雰囲気を堪能するのに一番最適なのは「柳川の川下り」です。
今回訪問時には大雨でとても無理でしたが、いくつからの運行会社が、それぞれの場所から運航しています。

また、柳川の辺りは「有明海沿岸道路」の整備が行われており、部分開通していましたが、今度訪問した際には多少、道路事情も良くなっているかも知れません。

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攻略難易度
中級者向け
旧国名
筑後
著者コメント
有名な城も遺構少なし




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