滋賀県

坂本城 明智と共に隆盛し滅びた琵琶湖の名城

坂本城

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坂本城とは

近江・坂本城(さかもと-じょう)は、滋賀県大津市下阪本にある標高86m地点の平城で、琵琶湖に面していることから水城でもあります。
坂本は、霊山である比叡山延暦寺などのおひざ元で、物資輸送の拠点でもある交通の要所です。
森可成が城主だった宇佐山城がありましたが、1571年に織田信長比叡山焼き討ちを行ったあと、宇佐山城主になっていた明智光秀によって坂本城が新築されました。
なお、坂本城と申しますと、肥後・坂本城、土佐・坂本城、播磨・坂本城もありますが、圧倒的に琵琶湖の坂本城のほうが有名ですので、そんなに混同することも無いでしょう。


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ルイス・フロイスの印象によりますと、安土城の豪華さにつぐほどの名城になっていたとされます。
そして、明智光秀は、坂本城と城下町の整備を行い、近江・木戸城、近江・田中城、近江・石山城、今堅田城と攻略して付近を平定しました。
また、明智光秀は、安土城に赴く際には、坂本城から舟にて向かったとされています。

坂本城

その後、苦労しつつも、黒井城の戦いでなんとか勝利して丹波を手に入れ、1580年に明智光秀は丹波・亀山城に入りました。
ただし、引き続き坂本城も維持していました。

明智光秀の銅像

そして、1582年6月2日、皆様ご承知の局面が訪れます。
明智光秀は、本能寺の変にて織田信長に謀反を起こすと、二条城に籠った織田信忠も自害に追い込みました。
そして、安土城も手中に収めましたが、中国大返しにて羽柴秀吉(豊臣秀吉)が摂津に入ります。
その報を受けて、明智勢も出陣し、6月13日、天下分け目の山崎の戦い(天王山の戦い)となりました。


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敗走した明智光秀は、勝竜寺城に入ると、そのあと、坂本城を目指してて再起を図ろうとしました。
しかし、その途中、のちに明智藪と呼ばれる場所にて、小栗栖の百姓らの落ち武者狩りに遭い、命を落としたとされています。

なお、安土城の留守を守っていた明智秀満は、山崎の戦いでの敗戦を知ると、坂本城に入っています。

坂本城

伝説では、坂本城に急ぐ戻るため、琵琶湖を馬で渡ったとされていますが、もしかしたら、船に馬も載せていたと言う事かも知れません。
まもなく、羽柴勢の中川清秀高山右近らが坂本城に押し寄せると、明智秀満は天守に火を放ち、残されていた明智光秀の妻子(明智光慶らか?)ととも自刃しました。

近江・坂本城

諸説ありますが、明智光秀の正室・妻木煕子(明智煕子)(ひろこ)も、この時、死亡したともされ、妻木氏の菩提寺である西教寺に墓があります。
明智一族の墓は、坂本城が陥落してすぐに、重臣の妻木広忠が建てたと言い、その墓前にて自刃したとされています。

明智一族の墓

下記は、坂本城の内部と言われる場所にある、明智光秀の供養塚「明智塚」です。
坂本城の公園からは少し離れた場所にあります。む

坂本の明智塚

一説には、光秀の名刀「郷義弘並宝器物」などの名刀を埋めた跡ともされているようですが、恐らくは、討ち死にした武将を埋めた場所と言う事なのでしょう。
丁重にお参りさせて頂きました。

坂本城の明智塚

明智家が滅亡したあと、坂本城は丹羽長秀に与えられて、再建されました。
1583年、賤ケ岳の戦いのあと、丹羽長秀は123万石になって越前に移ったため、福知山城から杉原家次(すぎはら-いえつぐ)が、3万2000石にて坂本城に入っています。
その後、坂本城主には五奉行の筆頭・浅野長政が就任しており、更に城下町が拡大したようです。
いまでも旧道のほうは、雰囲気が残っています。

坂本城

しかし、大坂城へ繋がる導線の守備が重要となり、1586年、豊臣秀吉は大津城を築城するように命じ、坂本城は廃城となりました。
この時、坂本城の建物の多くは移築され、城下に住んでいた庶民も、大津に転居したと言います。

その後、坂本城の本丸は、琵琶湖の湖底に眠っているとされ、坂本城の場所は不明となっていました。
1979年(昭和54年)に発掘調査が行われると、だいたいの場所が判明しており、少しずつ解明されてきています。


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交通アクセス

公園整備されている坂本城址公園には、無料の駐車場もありますが、止めているクルマのほとんどは、釣りを楽しむ方々のようです。
平日の夕方に訪問して、たまたま1台あいていましたので、よかったですが、常に満車気味のようです。

近江・坂本城

西教寺には、坂本城の移築城門(下記)が現存しています。

坂本城の移築城門(西教寺)

森可成の墓がある、聖衆来迎寺の門(下記)も、移築門です。

坂本城の移築城門(聖衆来迎寺)

近江・坂本城への交通アクセス・行き方ですが、JR西日本の湖西線で比叡山坂本駅を減車して徒歩約10分となります。
クルマの場合は、前述のとおり、坂本城址公園に駐車場があります。
駐車場の入口は、当方のオリジナル関西地図にて、わかるようにしておきました。
移築城門がある場所もポイントしてあります。

明智光秀の妻子まとめ 妻と子供の一覧リスト
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明智秀満 本能寺の変を明智光秀が最初に相談した重臣
西教寺 明智一族の墓(明智光秀の墓)・妻木一族の墓
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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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