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本佐倉城とは
本佐倉城(もとさくらじょう)は千葉県印旛郡酒々井町と佐倉市にまたがる、標高33mの将門山に築かれた連郭式平山城で、国指定史跡になっています。
比高は24mで、別名は将門山城とも言い、続日本100名城にもなりました。
最初の築城は文明年間(1469年~1486年)とされますが、江戸城を築いた太田道灌の圧迫を受けた、千葉城(亥鼻城)の千葉輔胤が築城して新たな本拠地にしたとされます。
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1479年、太田道灌が千葉氏を攻めましたが、このとき、千葉輔胤(ちば-すけたね)は、下総・臼井城にて籠城しているため、まだ、本佐倉城は完成していたなかったとみられています。
その後、本佐倉城は整備されて、戦国時代も千葉氏本家の居城となりました。
三方を湿地帯や田んぼで囲まれた要害であり、城域は東西約700m、南北約800mと広大だったようです。
城内や麓には、一族や家臣らの屋敷もあったと考えられます。
下記は本丸からの展望です。
また、土塁や空堀などの遺構が非常に良い状態で残っているのは、千葉県の城跡で 国の史跡はココだけですして、ほんと、あちこち見たくなる城跡です。
城山郭が本丸とされ、大型の掘立柱建物跡、櫓跡、門跡、塀跡、庭園跡などが発掘されています。
庭園があると言う事は、城主は、本丸にて生活していたものと考えられます。
千葉氏の衰退
1557年、北条氏康の意向もあり、千葉胤富に家督を譲渡させられた千葉親胤が、幽閉されていた城内の妙見宮で暗殺され、下総・森山城主の千葉胤冨(ちば-たねとみ)が家督を継いでいます。
千葉親胤は、享年17であったと伝わります。
千葉家は弱体化し、1561年、里見氏の家臣・正木信茂の侵攻を受けて、臼井城や小弓城を奪われています。
そのため、千葉氏は小田原城の北条家を頼るようになり、臼井城や小弓城を奪還しました。
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千葉胤富が1579年に死去すると、子の千葉良胤(ちば-よしたね)が継ぎますが、北条氏ではなく織田信長と誼を通じるなどします。
それに危機感を抱いた、臼井城の原胤栄(はら-たねひで)が、千葉良胤を下総・公津城に幽閉しました。
そのため、弟の千葉邦胤(ちば-くにたね)が家督を継ぎました。
ところが、1585年、千葉邦胤も本佐倉城内にて、就寝中に短刀で刺されて、暗殺されました。享年29。
近習に恨まれたと言う事ですが、本丸あたりで殺害されたのでしょうかね?
千葉氏はほんと怖いです。
家臣に殺害された千葉邦胤の子・千葉重胤(ちば-しげたね)は、小田原城に人質として出されていました。
そのため、千葉家の筆頭重臣である原胤栄は、北条氏政の子・千葉直重を、千葉邦胤の娘と結婚させて、家督を継がせると言う北条家に協力しました。
このように、北条家に事実上、乗っ取られても、収まらないのが千葉氏です。
下総・森山城主になっていた原親幹(はら-ちかみき) が反乱を起こそうとしたため、北条氏直自ら出陣して、本佐倉城の守備を固めています。
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下記の丘は、本佐倉城の南側にある出丸「根古谷の館跡」(向根古谷城)となります。
1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際には、徳川勢が攻め寄せ、守備していた原邦房が降伏しています。
<注釈> 成東城の成東将胤(成東兵庫介将胤)が本佐倉城の城代で討死したともある。
そして、千葉氏は北条家とは独立した勢力とは認めらられず、北条家の家臣であったとされたため、千葉氏の所領も改易(所領没収)になると、江戸城に入った徳川家康が領有しました。
このとき、下総・本佐倉城は破却され、麓に陣屋が置かれたとも考えられています。
武田家からはたくさん家臣を迎えた徳川家でしたが、平安時代からの名門・千葉氏に、徳川家からは仕官などの話はなく、千葉氏は没落しました。
そして、1602年には40日間だけ松平忠輝が5万石で佐倉藩主になっています。
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1606年には小笠原吉次が入りましたが、1610年、小見川城1万石から3万2000石で土井利勝が佐倉藩主になると、防御力の関係から下総・佐倉城の工事が進められて佐倉陣屋も廃止されました。
本佐倉城の城下町は、酒々井宿に移転したようで、成田街道の宿場町として栄えたようです。
現在、本佐倉城は、歩きやすいように、整備されておりますので、今後は「城門」や「塀」など、簡易的なモノでも良いので、雰囲気を高める何かが、どんどんできることを期待したいと存じます。
本佐倉城の見学所要時間ですが、くまなく探索しますと、2時間以上は必要です。
新しいトイレも完備された駐車場から、本丸への往復でしたら、30分程度で戻って来れます。(本丸への行き方がちょっとわかりにくい戦国の城跡ですが・・。)
本佐倉城への交通アクセス
本佐倉城への交通アクセス・行き方ですが、京成大佐倉駅より徒歩10分、京成酒々井駅より徒歩20分、JR酒々井駅より徒歩25分になります。
無料の駐車場ですが、道が狭いです。
場所も分かりにくいため、当方のオリジナル関東地図でわかるようにしておきます。
地図はスマホで表示してカーナビ代わりにも使えます。
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続日本100名城のスタンプは、大佐倉駅と酒々井町中央公民館にあるそうですが、新しいトイレのところにもありました。
シールタイプが置いてあるのかも知れませんが・・。
私は、スタンプはやっていませんが・・。
・臼井城の解説【臼井城の戦い】臼井景胤・白井胤治の奮闘
・土井利勝とは 大老にまで出世した徳川家康の隠し子?
・亥鼻城(千葉城)の解説~千葉胤直が最後の千葉氏宗家
・生実城の解説(北小弓城) 原胤清・原胤貞・原胤栄【足利義明の小弓御所】
・佐倉城の解説【日本100名城】歴代の老中・大老の所領になった広大な千葉の城
・日本全国のお城がある場所が分かる地図
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