滋賀県

大津城 想像豊かに見学したい琵琶湖の湖城

大津城

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大津城(おおつじょう)は滋賀県大津市浜大津にある平城で、戦国時代には琵琶湖岸に面した水城でした。
大津の付近には、古くから瀬田橋の抑えとして山岡景隆の瀬田城がありましたが、1583年、賤ケ岳の戦いにて羽柴勢に味方したため所領没収となっています。

その後、浅野長吉(浅野長政)が城主だった坂本城を廃城として、琵琶湖の水運において重要な湊(港)でもあった大津に、1586年、羽柴秀吉の命にて城が築かれました。
大津城の建物としては、坂本城から移築もあったとされます。
城下町も坂本から移されたため、住民の多くも大津に移住しました。


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その後、浅野長政は小浜城に移り、豊臣家奉行の増田長盛、御伽衆の新庄直頼と大津城主が変わり、1595年には、近江・八幡山城から6万石にて京極高次が入りました。
なお、京極高次のこの出世は、自身の活躍ではなく、豊臣秀吉の側室となった妹・京極竜子や、正室・お初の姉になる豊臣秀吉の側室・淀殿などの嘆願もあったことから、陰では「蛍大名」と囁かれました。

しかし、1600年、関ヶ原の戦いの前に、会津征伐のため大坂城を発った徳川家康は、大津城に寄り、味方するように頼んだだ、弟の京極高知と家臣・山田大炊を徳川勢に同行させています。
しかし、石田三成が挙兵を決意すると、西軍についた桑名城主・氏家行広と、朽木城主・朽木元綱からの要請もあり、石田三成が大津城を訪れると、嫡子の京極忠高を人質として大坂城にも送っています。
こうして、京極高次は、西軍の大谷吉継に同行して越前にも出陣しましたが、西軍の動向は、井伊直政を通じて徳川家康に随時報告していました。
そして、突然、大津城に引き返すと、3000にて籠城したのです。

そのため、毛利元康・立花宗茂小早川秀包・筑紫広門ら西軍1万5000によって、大津城を包囲されました。
淀殿も、浅井鶴千代(海津殿)を使者として大津城に送り、妹・お初もいた大津城を開城して西軍につくように説得しています。
ところが、京極高次は大事なところで、勇断をしたと思います。
京極高次は、籠城することに決し、赤尾伊豆守・山田大炊は兵500にて撃って出たりしながら抵抗し、大津城の戦いとなりました。
しかし、長等山からの大砲による攻撃を受けて、大津城はしだいに痛めつけられて行きます。
天守にも砲弾が命中し、北政所の側近・孝蔵主と木食応其の仲介にて、開戦から約7日後に降伏したのが、1600年9月15日となります。


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この9月15日と言うのは、まさに、関ヶ原にて、徳川家康と石田三成が戦った日であり、その知らせがまだ届いていなかったと言うタイミング的なところがありました。
京極高次は園城寺に入って出家すると高野山に登りました。
しかし、約1万5000もの軍勢、そして、田辺城の戦いのほうでも、細川藤孝が小野木重次・前田茂勝・織田信包・小出吉政など1万5000を釘づけにしていました。
そのため、西軍としては、約3万の軍勢が、関ヶ原の本戦では不在していたことから、敗因の大きな要因になったことは間違いありません。
もし、プラス3万で東軍よりも優勢であったら、小早川秀秋も勝つ見込みがあるほうに味方したでしょうから、裏切らなかった可能性が高い訳です。
もっとも、東軍の徳川秀忠も、上田城の戦いにて真田昌幸に足止めをくらい、3万8000の軍勢が関ケ原に間に合っていませんが・・。

この功績は大きく、徳川家康は高く評価し、京極高次は、若狭一国8万5000石を与えられて、後瀬山城に入り、若狭・小浜城を築きました。


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なお、大津城の再建は、背後にあった長等山から城内が見渡せて、大砲を撃ち込まれたと言う欠点もあったことから、大津城は廃城にすることが決定しました。
そして、藤堂高虎の縄張りにて、膳所城が築城され、焼失を免れていた建物などは、膳所城や彦根城などに移築されたと伝わります。

一説によると、彦根城の天守は、大津城の天守を移築したともされ、もともと五層四重の天守を、移築した際して三重三階に高さを短くしたとも言います。

なお、膳所城が完成したあとも、大津城の本丸跡には大津代官所が置かれて、明治維新まで続きました。

大津城

現在の大津城跡は、完全に市街地になっており、遺構はあまり残っていないと言うよりは、地面の下にあると言う感じです。
石垣が復元されていますが、昔の様子での復元ではなく、現代の最新技術による復元となっています。

大津城

大津城跡への交通アクセス・行き方ですが、京阪石山阪本線・京阪京津線の浜大津駅で下車し、琵琶湖方面へ徒歩2分となります。
大津港口交差点の横に石碑があります。
駐車場は、大津城跡の地下に、大津港有料駐車場があります。
ただ、駐車場の入口が、初めての場合、わかりにくいので、当方のオリジナル関西地図にて、わかるようにポイントしておきました。

スカイプラザ浜大津の6階には、大津城の簡単な模型なども展示があるようです。

瀬田城、膳所城、坂本城とセットでどうぞ。

大津城の戦い~京極高次と京極竜子~武田元明や京極高知との関係も
後瀬山城 武田信豊・武田義統 若狭武田家の滅亡
若狭・小浜城 本丸と天守の石垣が残る小浜湾の海城
近江・瀬田城(勢多城) 山岡景隆による明智勢への抵抗
膳所城 江戸幕府による天下普請第1号の城跡
お初~常高院-浅井初とは【浅井三姉妹】
坂本城 明智と共に隆盛し滅びた琵琶湖の名城
日本のお城「オリジナル」地図


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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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